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 兵庫(白鷹禄水苑で法事) (2018/05/12)

叔父の七回忌がありました。
結構従兄弟も来るようです。慶事よりも法事で顔を合わせる機会のほうが多くなりましたね。

そんなシーンなので、レポにすることじゃないのかもしれませんが、近代化産業遺産にも登録されている、白鷹禄水苑に行くし、灘の酒のこともちょっと書きたかったので、文字多いですがレポにしてみました。

さて、法事ですが会席でお酒呑むでしょうということで、親父と電車で阪急・西宮北口駅で待ち合わせ、タクシーで移動します。

叔母宅で法要をした後、白鷹禄水苑で会席となりました。
てくてく歩いて移動です。

-12:35-
白鷹禄水苑」にやってきました。
ここですよ
では中へ。
杉玉 白鷹の看板と竹葉亭
このあたりは、酒蔵地区と呼ばれる地域で、古くから、灘五郷と呼ばれる中での西宮郷として、酒造りで栄えた地域でした。

灘五郷は、神戸市・西宮市の沿岸部に栄えた、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の5つの地域の総称で、室町、江戸時代から受け継がれる「日本一の酒どころ」です。

室町時代中期から他所酒(室町時代から江戸時代にかけて、京都以外の土地から京都に入ってくる日本酒のことを、京都に住む人々が呼んだ名称)を生産し始めていた、摂津国猪名川上流の伊丹・池田・鴻池、武庫川上流の小浜・大鹿などの酒郷でした。これらの酒郷は、のちに摂泉十二郷と呼ばれる上方の一大酒造地として発展していく母体となりました。
私の近所の小浜宿(中国道・宝塚IC付近)でも昔は酒造りがされていたのですね。

日本酒製法のひとつ、奈良流の諸白を改良し、効率的に清酒を大量生産する製法が、慶長5年(1600年)に伊丹の鴻池善右衛門によって開発され、これが大きな契機となって次第に酒が本格的に一般大衆にも流通するようになっていきました。

江戸時代初期には、後世から四季醸造と名づけられる技術があり、新酒、間酒(あいしゅ)、寒前酒(かんまえざけ / かんまえさけ)、寒酒(かんしゅ)、春酒(はるざけ)と年に五回、四季を通じて酒が造られていました。
酒造りは大量の米を使うために、米を中心とする食料の供給と常に競合する一面を持っています。
そこで幕府は、ときどきの米相場や食糧事情によって、さまざまな形で酒造統制を行ないました。まず明暦3年(1657年)、初めて酒株(酒造株)制度を導入し、酒株を持っていなければ酒が造れないように醸造業を免許制にしました。
寛文7年(1667年)伊丹でそれまでの寒酒の仕込み方を改良した寒造りが確立されると、延宝1年(1673年)には酒造統制の一環として寒造り以外の醸造が禁止され(寒造り以外の禁)、これにより四季醸造はしばらく途絶えました。こうして酒造りは冬に限られた仕事となったので、農民が出稼ぎとして冬場だけ杜氏を請け負うようになり、やがて各地にそれぞれ地域的な特徴を持った杜氏の職人集団が生成されていったというわけです。

摂津国の中で酒蔵の集中していた上方の十一の地域、すなわち大坂・伝法・北在・池田・伊丹・尼崎・西宮・今津・兵庫・上灘・下灘に、和泉国の堺を加えた摂泉十二郷と呼ばれた、伊丹や灘やその周辺地域で造られた酒は、天下の台所といわれた集散地大坂から、すでに人口70万人を擁していた大消費地江戸へ船で海上輸送されたましたが、こうして上方から江戸へ送られた酒を下り酒と呼びました。

かつては伊丹・池田が摂津の代表的な酒どころであり、元文5年(1740年)には伊丹「剣菱」が将軍の御膳酒に指定されたこともあって、江戸市中の酒の相場でも、伊丹酒や池田酒は他の土地の酒に比べはるかに高値で取引されていました。

宝暦年間初期は豊作が続いたため、幕府は宝暦4年(1754年)に勝手造り令を出し、新酒を造ることも許可しました。このため四季醸造は復活の機会があったのですが、もはや生き証人としてその技術を心得ている杜氏がいなかったこと、また消費者もうまい寒酒の味に慣れ、酒郷ではよりよい酒質を求めて熾烈な競争をくりひろげていたことなどから復活に至りませんでした。
この勝手造り令以降、概して土地が乏しく夏場の耕作だけでは貧しかった地方の農民が、農閑期である冬に年間副収入を得るべく、配下に村の若者などを従えて、良い水が取れ酒造りを行なっている地域、いわゆる酒どころへの出稼ぎは増えて杜氏集団が形成されていきました。
勝手造り令により生産が拡大し、より多くの人手を欲している造り酒屋と、少しでも農閑期の現金収入を得たい農民とのあいだで利害が一致したからですね。
北陸や東北の諸藩では、領民の貧窮を救済するために、摂泉十二郷やそこから突出した灘目三郷(今津郷、上灘郷、下灘郷)から発展した灘五郷など酒造りの先進地域から酒師や麹師といった技術者を藩費で招聘し、御膳酒などを造らせ、その醸造の現場へ地元の農民を派遣して技能を習得させ、やがては領民だけの力で藩造酒の生産が可能になるよう図りました。
銘醸地の聞こえ高い灘も、もともとは農業だけでは生活できない貧しい村々でしたが、寛政年間あたりから灘酒の評判は高まり、彼ら農民は高給を以って酒師として各地へ招聘されるようになりました。
これは灘からみれば一種の頭脳流出でもありました。灘酒の生産量の増大などによって、やがて灘の中では人手が不足しはじめ、これを補うかたちで播磨や丹波から出稼ぎ人が集められるようになりました。
中でも丹波からの杜氏集団は灘の蔵元たちと深い関係を結ぶにいたり、天保年間(1830年 - 1844年)には灘の蔵元はほとんど丹波杜氏で占められるようになったそうです。

天保8年(1837年)、山邑太左衛門によって宮水が発見されると、摂泉十二郷の中心は海に遠い伊丹から、水と港に恵まれた灘へと移っていきました。

明治期以降、豊かな醸造家は阪神間モダニズム文化の牽引役ともなりました。

日本酒は、1970〜80年代に消費低迷期を経て、阪神・淡路大震災(1995年)では、白壁土蔵造りの酒蔵、赤煉瓦の酒蔵など伝統的な景観が大いに損なわれた。震災後、中小蔵元の廃業も見られました。
とはいえ、多くの有名メーカーが軒を連ね、国内での日本酒生産量の約3割を占める日本一の酒造業地帯であることに変わりはありません。

日本酒は、米と水と麹でできています。
灘五郷を含む兵庫県は清酒生産量で実は全国1位を誇ります。
県内でもナンバーワンの生産量を誇る灘五郷は酒造りに適した風土に恵まれ、水・米・技に優れた「日本一の酒どころ」です。
日本酒造りに適した上質の酒米である山田錦と、宮水と呼ばれるミネラルが豊富な上質の地下水が取れ、寒造りに最適と呼ばれる六甲おろしが吹き、そして製品の水上輸送に便利な港があったことから江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えました。
大手日本酒メーカーの多くが灘五郷を発祥地及び本社としているほか、現在も中小の酒蔵が点在します。

山田錦は、兵庫県立農事試験場で山田穂と短稈渡船を人工交配させて誕生し、1936年(昭和11年)に「山田錦」と名付けられ、兵庫県の奨励品種になりました。その後、全国でも栽培されていますが、全国の生産量8割を兵庫県産が占めています。

西宮市内には、西宮郷と今津号がありますが、白鷹禄水苑のある西宮郷では今もなお、日本盛、「灘自慢」の國産酒造、「喜一」の木谷酒造、「金鷹」の本野田酒造、白鷹、「白鹿」の辰馬本家酒造、「灘一」の松竹梅酒造、「寳娘」の大澤本家酒造、「島美人」の北山酒造、「徳若」の万代大澤醸造が蔵を置いています。
最近ではおいしい日本酒といえば、新潟、福井、山形、秋田、宮城などの東北、北陸や、広島や山口の酒、近くでは、京都や滋賀の酒もおいしいのが多いです。
以前、関東の方に「兵庫県のお酒って美味しいのは聞いたことないな」と言われ、ちょっとショックでした。
日本最大の清酒メーカー「白鶴」も兵庫県なのになぁ。

白鷹禄水苑は、辰馬本家(白鹿醸造元)の分家で白鷹の蔵元・北辰馬家の住居イメージを再現した建物のなかにはショップ「美禄市」、蔵BAR 、白鷹集古館、東京竹葉亭西宮店があります。
今日はここの東京竹葉亭で会席です。

ということでいただきます。
5月ですねー 兜の中
お吸い物いただきます。
お上品なお味
お刺身きました。
鰹とホタテもあるね
炊き物はタコが入っていました。
柔らかいタコでした
焼き物は、海老を焼き石の上で焼くものでした。
固形燃料一個でいけるかな 焼いてます
竹葉亭といえば鰻です。
鰻あんまり写っていない・・・
そしてデザート。
メロンだー
-15:05-
お開きとなりました。
外に出ましたよ。
案内があった ほうほう
時間があれば、白鷹集古館の見学もしたかったのですが、もう帰るようなので、仕方ない。諦めますか。

ささっと、日本酒と酒粕買いましたよ。

姉夫婦の車に乗せて行ってもらえるようですが姉がなかなか出てきませんね。

どうやら先に帰られた親戚が、間違って姉の靴を履いて帰っちゃったらしい。
サイズもだいぶん違うそうなんですが・・・。

その親戚の電話は家のしかわからないようなので、早くて連絡つくのは2時間後とか・・・。
仕方ないので、姉は車載靴で帰ることに。お店のつっかけ借りて帰らずに済みました。

帰り出したら、叔母から電話。
間違えて靴はいた親戚の方が戻ってくるとのこと。

じゃぁということで、叔母宅へ。
戻ってくるまで時間がかかるということで、月末に親父と叔母の傘寿祝いをする、「白鹿クラシックス」の場所確認を義兄がしたいと言うので行きます。

「白鹿クラシックス」のショップも見て行こう。
お、奈良漬あるなぁ。買っていこう。
白鹿にも「白鹿記念酒造博物館」がありますが、今日は時間的に見学は無理だなぁ。

そして姉から連絡があり、姉をピックアップして家まで送ってもらいました。
お酒と酒粕 解説
灘五郷のうち、今津郷と西宮郷はほぼ毎日近くにいるので、いつでも行けるかなという感覚でゆっくり行くことがあまりないですね。
またちゃんと訪れたいものです。

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