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宮城・岩手(本州最東端制覇ドライヴ) (2012/03/18)
東北での生活もあと3週間あまりとなった。
これからの土日は退去の準備とかもあるので、なかなか遊びにいけそうにない。
こちらに来てから、三陸沿岸には、北の方にはあまり行っていない。
そういえば、本州最東端の、トドヶ崎(トドは、魚へんに毛と書きます)があるのだが、ここに行くには片道1時間歩かなければならない。
往復で2時間・・・ツーリングの途中とかで行く距離じゃないよね。こっちにいる間に行けないかなと考えていた。
しかし、そこまで行くにも往復で400km以上走ることになる。通勤で借りている社用車で行くのはなぁ・・・気が引けたので、社用車ではなく、レンタカーをあてがわれている同僚に、車貸してもらえないか聞いてみた。
というより、いっしょに行く??と聞くとOKとのこと。
てことで、同僚と2人で行くことになりました。
前日はボランティアで山の斜面に文字書きしたりして、全身クタクタになりました。
今日は一日運転だなあ。
-05:45- 目覚めます。
昨夜は早い目に寝たので、元気も復活です。
-06:20- 駐車場に出ると、同僚がエンジンかけて待ってくれていました。 |
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ダイハツMOVE L 4WDです |
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-06:30- では行きますか。
石巻バイパスから県道16号を西へと走ります。 |
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朝の石巻 |
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-06:40- 三陸道・石巻河南ICから無料高速に乗ります。 |
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石巻河南です |
本線空いています |
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ずんずん走って行きます。軽四とはいえ、オートマの乗用車はいつも乗っているマニュアル1BOXより格段に楽ですね。
走っていると、霧がかってきました。 |
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ガスっている |
視界もイマイチ |
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-07:00- 三陸道・登米東和ICで三陸道は終点です。
延伸はいつのことやら。 |
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登米東和ですよ |
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R398を海へと向かいます。
途中、モアイ像の欄干の橋がありました。 |
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南三陸町とチリは姉妹提携しています |
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南三陸町の復興名店街がありました。
先月25日に開店した、仮設の商店街です。 |
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正式名は「南三陸さんさん商店街」と言うようだ |
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南三陸町は、前回来ましたが、やはり津波の被害が広範囲ですね。 |
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何もないです |
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-07:15- 南三陸町の防災対策庁舎に寄ってみました。
ここは、3.11の津波で屋上に避難した住人・庁職員50名ほどのうち、ほとんどが流されて10名ほどが屋外階段にしがみついていて助かったという建物です。ほかの40名ほどは、屋上のフェンスと共に流されたのだとか・・・。
庁舎内では、最後まで防災放送で避難を呼びかけた、町職員・遠藤未希さんがいましたが、津波が来る瞬間まで避難を呼びかけ、そして帰らぬ人となりました。 |
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防災対策庁舎です |
3月10日にNHKの番組を見るまで詳しいことは自分自身わかっていませんでした |
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防災対策庁舎で手を合わせ冥福を祈りました。
志津川総合病院もここから見えました。 |
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総合病院に何か乗っている |
あっ船だ・・・ |
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本当に何もかもなくなってしまいましたね。ガレキを片付けてしまったのが、さらにもの悲しさが増して感じられます。 |
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海の方向 |
何もない |
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復興は長くかかるだろうなぁ |
途中の仮設のコンビニ |
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かなり内陸に入っても、船とかが結構打ち上げられています。 |
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船残っていますね |
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清水浜駅あたりは、完全に流されてしまっていますね。 |
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柱脚が残る線路 |
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歌津あたりは、国道がなくなっていて、迂回路になっていました。 |
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国道のほうです |
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ところどころ、以前と同じ美しい三陸の風景が垣間見えるんですげとね。 |
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きれいな風景 |
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ところどころ橋が落ちていて、仮橋が架かっています。 |
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仮設橋です |
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壊滅的です |
高架がたくさん落ちています |
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津波がむこうから押し寄せたのですね |
橋は落ちて隣の仮設橋を渡ります |
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漁港がありますね |
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-07:55- 道の駅「大谷海岸」に寄りました。
ここも津波の被害を受けました。
道の駅の裏には大谷海岸駅があります。 |
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被害を受けました |
むこうは線路がない・・・ |
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ユンボがいますね |
護岸もなくなったので応急的に土嚢で止めています |
道の駅の建物は形は残っていますが、閉鎖されていますね。仮設がありました。 |
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なんとか残っていた |
でも仮設営業です |
津波来た時の避難経路 |
では行きますか。
R45から県道26号に入り、気仙沼市街に入ります。 |
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ここもかなりの被災です |
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気仙沼は、6年前に泊まったことのある土地です。
何もかもが変わってしまっていました。悲しいです。
県道26号を北上していくと、何か大きな物体があるなぁと思ったら、大きな漁船でした。 |
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何もない・・・ |
んん??なんかある・・・ |
おわーっでかい船だー |
気仙沼にも、「復幸マルシェ」って仮設商店街ができていました。 |
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ファイトー!! |
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県道34号からR45に戻ります。
-08:25- 昨年12月に開通した、唐桑道路に入ります。ここは三陸道の一部でもあります。 |
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唐桑南IC(仮称) です |
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汚れていないです |
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3km走って唐桑北IC(仮称)で自動車専用道路は終わりです。
-08:30- 岩手県に入りました。 |
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きました岩手県 |
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途中で道路工事のため片側交互通行になっていました。 |
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しばし待つ |
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波が来たラインがわかります |
長部小学校かな |
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落ちた気仙大橋の横に仮設橋 |
遠くに希望の松が見えますね |
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道の駅「高田松原」も津波被害にあって閉鎖中ですね。 |
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建物は残っていますが |
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何があったかすらわからない |
5階建てのマンションの4階にまで波がきています |
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-08:40- 三陸道のうち、高田道路区間である、通岡ICから無料高速に入ります。 |
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通岡ICです
2009年に開通しました |
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そのまま、三陸道の大船渡三陸道区間に入ります。
-09:00- 三陸ICで自動車専用道路はまた終わりです。 |
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終点 |
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なんとなく雪っぽい空 |
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どこも全滅ですね・・・ |
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釜石大観音が見えます |
ガレキ集積場だ・・・ |
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確か中は展望台とかあったような・・・ |
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釜石の街中には入らず、そのままR45を走ります。
-09:35- 三陸道の、釜石山田道路部分の釜石両石ICから無料の高速道路に入ります。 |
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震災の6日前に共用開始された道です |
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終了です |
トンネルもないしこの先はまだまだだな |
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県立大槌病院が見えます |
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でかい看板です |
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吉里吉里と書いて、「きりきり」と読む地名のところを通過していきます。 |
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吉里吉里あたり |
仮設のコンビニ |
このあたりもひどいですね |
人道橋の手すりが、津波と引き波とで変な風に曲がっていました。 |
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それでも橋は残っていた |
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途中の電光掲示板に「県内 地震発生 通行注意」の文字が出ていました。
んん??気付かなかったが、強かったのか?? |
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うわー 大丈夫か?? |
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ラジオを聞いてみると最大震度4の地震があったようですが、津波は大丈夫なようです。
-10:00- 三陸道の、山田道路部分に山田南ICから入ります。 |
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またまた無料高速道路 |
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山田町市街地のほうです |
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終点です |
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漁協ですかね 被災しています |
道路も落ちて仮道ができています |
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そして県道は、かなり狭い道へとかわります。
延々、約15km山道となります。 |
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雪も残っているし |
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途中、小さな集落をいくつか通過しました。15kmほどの間走るのに、ほとんど車とはすれ違いません。3〜4台ほどでしたかね。 |
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擁壁とか結構補修しているなぁ
震災前のかな |
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姉吉バス停のところから、市道に入り姉吉キャンプ場方面に向かいます。
その途中に「大津波記念碑」があります。
「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建ているな」
と書かれています。
1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた姉吉地区。
先人の意志を尊重し、後世の人たちはこの碑より高い場所に家を建てていました。今回の震災での津波は、この碑より50m手前まできたそうですが、この地区12世帯は全員無事でした。
港からは、約800mで海抜約60mの位置にあります。 |
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記念碑です |
よくぞ残したものだ |
ポツンと建っています |
そして、海へと向かうと、津波の爪痕がひどい状態で残っていました。 |
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えぐられていますね |
右側はキャンプ場があったところです |
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-10:45- 姉吉漁港にやってきました。
何もないですね・・・。
ここからは、本州最東端を目指して歩くことになります。 |
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自然歩道の入口・・・かわからないくらい |
看板ができていてよかった |
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写真を撮る同僚 |
車ポツーン
誰もきていない様子 |
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最初の700mくらいが一気に登りになっていてキツかったです。 |
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ふいー一気に登ったなぁ |
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びょんと耳のように飛び出た岩が遠くに見えました。
昔は2本突き出していて、ウサギの耳のように見えたらしいです。震災前には1本になっていたということですが・・・ |
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奇岩ですな |
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急な上りを終えたらあとはなだらか |
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わぁ高いなぁ |
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あと2.8km |
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同僚とてくてくひたすら歩く |
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さらに10分歩いて、ほぼ中間地点。ここまで25分かかりました。 |
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あと2kmです |
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コヒガシリ沢だそうで |
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約40分です |
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境界杭です |
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こっちに120mらしい |
道・・・ないよ・・・ |
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道っぽい道がないですが、なんとなく進めそうなところを進んでいきます。
-11:30- ついに本州最東端にやってきました。 |
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きたよ最東端 |
GPSは東経142度4分16秒
一応最東端となっているのはあと19秒東の35秒だそうです |
最東端の碑と灯台 |
てことで、本州最東端制覇の写真を同僚に撮ってもらいました(笑) |
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やったー |
「喜びも悲しみも行く歳月」はここの燈台守婦人が書いたそうです |
その婦人・田中きよさんの書による銘板 |
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火曜サスペンス劇場な風景 |
同僚はあっちまで行ってしまった |
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それでは、日本の灯台50選のひとつである、トドヶ崎灯台に行きますか。 |
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灯台に行ってみよう |
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1902年に初点灯しましたが、太平洋戦争時に焼失。その後、1950年に再建されたのが今の灯台です。
1966年までは灯台守が住んでいて、その後は宮古市の職員が宿直をし、1996年に無人となったそうです。 |
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最果ての灯台 |
うーん・・・説明読みにくい・・・ |
「とど」と言う字は「魚毛」という字で一応変換されるが環境依存文字なんですよね |
34mの高さがあるようです。水面から灯火は58mらしいです。 |
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白亜の灯台 |
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バカなことを書いているやつもいますけど |
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龍飛も尻屋埼も行ったなぁ |
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もう来ることはないかも |
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与奈への道は途中通行止めらしい |
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なんだろうそれ |
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古来から、森を大切にしないと漁場が荒れると言い伝えられていて、そのように漁場を守るための森を「魚つき保安林」として保護してきているそうです。
言い伝えからなので、元々は科学的根拠がなかったのですが、最近では山を大切にしないと、川から海に流れ込む成分が変わってしまい、海藻が育たなくなったりということもあるそうです。
因果関係が確立されているわれではないですが、三陸の被災した町は、高台移転をしようとしているところも多いわけですが、そうなるとまた問題視されるかもしれないですね。
てくてく歩いて戻ります。
先のわからない行きと違い、帰りはわかっているので気分的にかなり楽です。
途中、クロスカントリーしている人とすれ違いました。よくここまで走りにきましたねー。 |
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帰りのコヒガシリ沢で水のチェックをする同僚 |
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今はもう使えない本州最東端のキャンプ場 |
車が増えていますね |
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-12:35- 結局帰りは走っていた人、1人とすれ違っただけで他には誰にも会いませんでした。
姉吉港のほうをちょっと見てみますか。 |
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上屋とかなくなっています |
洞窟がありますねー |
こっちから波が押し寄せてきたのだな・・・ |
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道がなくなって仮の道を走る |
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無事でなによりです |
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姉吉バス停のところから県道41号を戻って行きます。 |
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トトロが出そうなバス停 |
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このあたりは壊滅的 |
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県道41号からR45に出ます。
-13:15- 山田ICから三陸道の無料区間を走ります。 |
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山田ですよー |
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ほんのちょっとですね |
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大槌町のですね |
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-13:35- 釜石北ICからまた三陸道の無料区間へ。 |
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タダの高速です |
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早く全線開通してもらいたいね |
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ここもかなりやられていますね |
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-13:50- ちょっと遅くなりましたが、お昼にします。
ナビに電話番号を入れて、「工藤食堂」さんにきたのですが・・・ |
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やっているのか?? |
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精肉店の2階で食堂していると聞いていたのですが、んん?なんか違うなぁ。
ちょっと歩いていまわりを調査すると・・・ありました!! |
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ここだー |
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2階に上がると、お昼時も過ぎているので若干空いていました。 |
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何しよっかなー |
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豚ヒレカツ定食にしてみました。同僚は豚ロースカツ定食です。
20分ほどしてやってきましたよ。 |
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おおーなかなかいいねー |
おいしそう |
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定食ですが、ナイフとフォークがデフォルトでついてきています(笑) |
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同僚のロースは1枚もの |
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ではいただきましょう。
さすが、肉屋の肉ですね。うまいです。待っただけあって、揚げ方もよく、サクっとしていて、油っぽくない揚げ方です。
ソースはデミグラスっぽいけど、ちょっと甘目ですが、これがまた合いますね。
ごはん、かなりの大盛りって聞いていたのですが、食べた感じではそういうほどでもなかったです。
隣のテーブルのカツカレーとかは見た目すごかったですが(笑)
-14:40- では帰りますか。 |
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新日本製鋼稼働中 |
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釜石駅 |
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津波想定区域看板がところどころに出ていますが、生かされていたのでしょうか。 |
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ここまできたのかな |
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無料の高速です |
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帰りは東北道経由で帰るので、東北道を目指しているのです。 |
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新仙人トンネルです |
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山に近づくにつれ、雪が残っている場所が多くみられるようになりました。 |
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まだまだ溶けないかなぁ |
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降ろされちゃいます |
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R283からR396を通ります。
途中、「南部曲り家千葉家」と言われる、200年前の家があります。 |
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千葉家です |
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そして再びR283に戻ります。
-16:05- 釜石道・東和ICから高速に乗ります。 |
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入口にゲートないですね |
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-16:10- 途中、花巻空港本線料金所を通過します。 |
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ETC搭載車です |
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青森方面に行きたいなぁ |
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花巻入ります |
花巻は宮沢賢治の出身地なんだね |
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しばし休憩した後、一気に帰るとしますよ。
-16:30- 北上JCT通過します。 |
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秋田道とのJCT |
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31日までは高速無料なので、終わりが近づいていることもあってか、東北道は結構な混みようです。 |
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車多いなぁ
川口まで460km |
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威嚇だけでしたよ |
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ただいま宮城 |
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無料でしたよ |
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県道4号からR398と走ります。
-17:35- 登米で県道36号に入ったところで給油です。 |
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レギュラー1リットル150円とかしますよ |
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-17:50- 県道36号から県道4号に入り、三陸道・登米ICから無料高速に入ります。 |
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登米ですよ |
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6時でもまだほのかに明るい |
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無料高速から降ります |
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-18:30- 帰りにコンビニでちょいと買い物です。 |
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いつもお世話になっています |
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-18:35- 帰ってきました。
丸々12時間の旅でしたね。
本日の走行距離 499km
沿岸部は北上していくとどこも同じように津波被害を受け、今後復興するのに何年かかるかわからないような状況で、悲しくなりました。一日も早く復興していけるよう願わずにはいられません。
以前より行きたかった本州最東端も制覇し、かなり歩いて明日あたり筋肉痛になりそうですが、行けてよかったです。
残り少ない派遣生活ですが、最後のひとふんばりをがんばりたいです。 |
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走行マップ |
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