RockzGoodsRoom > Outing > Outing2016 >
RockzGoodsRoom > PAST Contents > Motorcycle2016 >
日本で一番最初に建設された高速道路と言えば名神高速道路。 戦後の混乱を抜け出したとはいえ貧しかった日本は、愛知用水、新幹線に続き道路整備の財源を世界銀行からの借入れに求めました。 その名神高速を建設するにあたり、 建設省(現・国土交通省)の招請によりアメリカからラルフ・J・ワトキンス率いる世界銀行道路調査団(ワトキンス調査団)が来日、本高速道路に係る総合的調査の名目で80日間にわたって各地の道路事情を調査したのが60年前の1956年(昭和31年)のことでした。 ワトキンス氏は、ニューヨーク・ダン・アンド・ブラッド・ストリート株式会社の調査担当役員であり元米国統計学会長も務めた方でした。 「日本の道路は信じがたいほど悪い。工業国にしてこれほど完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない。」という痛烈な批判を報告書の冒頭に掲げつつも、「日本には高い技術力はあるし、高速道路ができれば、日本はもっと発展する。世界銀行がお金を貸せば、早く高速道路をつくることができる。」と言いアメリカに帰ります。 日本の自動車の台数は戦後すぐの1945年(昭和20年)度末には約14万台しかありませんでしたが、約10年後の1956年(昭和31年)度末には100万台を突破するほど増加しました。 しかし、全部で24,915kmあった1級国道(いわゆる2ケタ国道)でさえ約20%しか舗装されていなかったので、雨が降ると、ぬかるみで動けなくなった自動車を人が押していることも珍しくなかったそうです。 ワトキンス調査団の調査報告書の内容で、「調査団が推定した、高速道路のもたらす利益の量的規模は、建設費を十分妥当化するだけの大きさがある。高速道路計画は全ての投資計画の中で優先順位が高い。」と結論したことは、名神高速道路の建設を是とし、その建設費の一部に世界銀行が貸付を行うことを肯定するものでしたが、その条件として当時の日本政府に対しては、高速道路の有料制採用・道路特定財源制度の制定・道路行政の改革などを勧告しており、具体的には名神高速道路の道路予算を3倍増とすることを提言しています。 ワトキンスの調査の結果、世界銀行からも融資を受けられることになり、起工したのは、2年後の1958年(昭和33年)10月19日のこと。 そして、新幹線開業の前年にあたる1963年(昭和38年)7月16日、日本初の高速国道の建設区間となった、名神・栗東IC〜尼崎IC間が開通し、1965年(昭和40年)7月1日に名神・西宮IC〜小牧ICの全線が開通しました。 というわけで、名神高速実行可能判断から60年という無理からな理由ですが、以前から名神起工の地関連は気になっていたので行ってみることにしました。 この「名神起工の地」の存在は、当HPを開始した頃には既にその存在を知っていました。 そして、ここを通るたび、その存在についてもっと知りたいなぁと持思っていました。 |
《2006.11.18撮影》 駐停車禁止だけど停めて写真撮ってみたりもしていました 荷物の固定したついでということで・・・ |
さて、どんな一日になりますやら。 そうそう、来月TMAX530が初回車検なのです。というわけで、大津から八鹿への大移動ですが、帰りにあきさんとこにTMAX530を預けていこう。 -07:30- 目覚めます。 先週は厳しい一週間だったので、疲れているなぁ。 準備しよ。 -08:25- では完全冬装備で行きますか。 |
日も昇ったし行くか |
国道に出ます。 |
朝から踏切ひっかかる |
-08:35- R176に出て給油します。 |
逆トリップになっていた |
-08:40- 中国道・宝塚ICから高速です。 |
宝塚ー | 反対側はいつものように渋滞 |
モノレール走っていますね。 |
EXPOCITYの広告モノレール |
太陽の塔のそばを通ります。 |
芸術は爆発だー |
EXPOCITYの観覧車工事もなんとなく進んでいますね。 |
「Red horse」と言うらしい |
-08:50- 吹田JCTで名神へ。 |
吹田ー |
新名神高槻第2JCTの建設現場を通過します。 |
これできたら渋滞減るかな |
天王山の分岐は右コース行きますか、 |
右行きますー | 左コースと並走 |
そして天王山トンネルへ。 |
天王山トンネです | トンネルの中 |
-09:00- 大山崎JCTを通過します。 |
右コースからは行けません |
-09:05- 名神・桂川PAに入ります。 |
桂川ー |
ここには、名神起工の地の案内板があるということです。 |
他にバイクはいません |
なんだろう。土塀がありますね。 見に行ってみよう。 |
隣になんかあるんかな? | 長岡京の塀跡が見つかったらしい |
いろいろ看板とかありますね。 |
新名神完成したら40km短縮かぁ |
どこに名神起工の地の案内あるかなぁ。 |
PAの反対側になんかあるな |
ありました。ありました。 名神起工の地の案内です。 |
あったぞ | 北に9km行ったところの中央分離帯に写真の碑が設置されているそうです |
名神起工の地の碑は、横を通り過ぎる時、いつも高速道路中央分離帯にあるのを見たいなぁと思っていますが、さすがに100km/hほどの走行で、一瞬しか見えないものは運転しながらは無理ですね。 1963年(昭和38年)に名神が開通した際、日本で初めて高速道路に架かった橋として、鶏林橋がありました。 この橋は、1992年(平成8年)に4車線から6車線に拡幅する工事のため撤去されましたが、その時の橋が輪切りで保存されています。 |
これかー | 橋名版切り取ったかな |
解説もあります。 |
これ | いいコンクリートの施工管理したのだね | PCで緊張させていたのだ |
てことで、ちょこっと公園のようになっている、実は歴史的にも意味のある展示です。 |
まぁほとんど人来ないけど |
観ている間に来たのは、犬を散歩させているご夫婦だけでした。 本来は、ここで休憩した人がこれを見て、走りだして、「あ、ここが起工の地かー」となるんでしょうね。 ショップをちょっと覗いてみます。 お、おもしろいのあるぞ。 |
うまい棒がつくっている「うまい棒の恋人」・・・ |
すげぇな。考えた人(笑) ちなみに、うまい棒をつくっている会社の「やおきん」は東京の会社ですな・・・。 思わず買ってしまった。あきさんとこにお土産にしよう(笑) さ、次行きますか。 -09:20- 名神・京都南IC(第2)で高速を降ります。 |
京都南ー |
府道68号に入り、名神沿いを走るも、竹田駅のところで地下道入らず駅ロータリー方面に入ってしまい、しばし元の道に戻るため彷徨う。 そしてようやく元の道へ。 さらに府道35号から市道へと走ります。 |
おー見覚えのあるシルエットが |
-09:40- 名神起工の地のモニュメント(北側)にやってきました。 これ、長い間高速に架かる施設タワーのデザイン柱だと思っていたのですが、今回来るにあたって色々調べていたら、モニュメントでした。 |
これ | 「MEISHIN」って書いてある | いつできたかは不明です |
ぐるっとまわって、名神起工の地のモニュメント(南側)に行ってみましょう。 南側のほうには、名神起工の地のレプリカが飾られています。 2008年(平成20年)に、名神着工50周年を記念して、この真上、高速道路中央分離帯に設置されている、「起工の地」の碑と同じものをこの市道沿いに設置しました。 『名神高速道路 起工の地 昭和三十三年十月九日 日本道路公団初代総裁 岸道三 この地に鍬入れす』 とあります。 |
ちょっとした展示スペース | これですか |
解説 | ここは京都市山科区です 開通当時の中央分離帯は植栽だけなんだ |
開通当初は高速道路自体が観光名所となっていたため、路肩で弁当を食べ疾走する車を眺めたり記念撮影したりするなど、今となっては長閑なエピソードも残されているそうです。 1966年(昭和41年)の統計によると、国内の自動車保有台数は約800万台で、現在の約10分の1でした。当時の自動車の性能が高速連続走行に耐えられなかったことや、ドライバーが高速走行に不慣れだったため、オーバーヒートや燃料切れで故障する車が続出していたそうです。 そこで、自動車メーカーが常駐する修理所が一部のSAに設置され、また、1970年(昭和45年)には名神・京都南ICに自動車無料点検所が開設され、高速道路を利用する前のクルマの点検整備を行っていた。なんてこともあったそうです。 ちなみに、1965年(昭和40年)7月1日に全面開通するや否や、トヨタ自動車の乗用車であるコロナ(RT40型)の宣伝として小牧〜西宮を10万km往復耐久テストのコースにも用いられたそうです。 58日間で276往復走行したそうです。 その他にも、国鉄(現JR)の高速バス専用車両開発時には、100km/hでの20万km連続走行が課題として各メーカーに要求されていたということで、今では常識的なことが、当時ではかなりハイスペックなことであったと理解できますね。 さて、この名神高速が起工された地は、元々、東海道本線が走っていました。 1879年(明治12年)に京都側からの延伸で開通した際に山科駅も開設されましたが、大量輸送のニーズから、逢坂山(大津駅〜京都駅間)は新逢坂山トンネル・東山トンネルが新たに造られ1921年(大正10年)に現在のルートになったためこの部分は廃線。 そして、今では名神高速が走っているのです。 |
解説地図 | 解説 |
前述したように、まだ未舗装の道路がたくさんあった時代に、アウトバーンのような高速道路を日本で初めてつくろうとしたので、何もかもが初めてのことだったようです。 高速のカーブの曲線を、当時日本では知られていなかったクロソイド曲線を応用して設計することや、大型重機を使っての機械化土木工事など。大型重機は当時の日本には珍しく、米軍の払い下げや、当時の道路公団が海外から輸入して、施工業者に貸すといったことをしていたそうです。 世界銀行からの借款に当たっては、国際入札を行うこと、外国人コンサルタントを雇うこと、英文図面を使用すること、単価契約方式とすることなどが要請されました。 よって、建設工事は日本道路公団の監督の下で請負業者が行いますが、世界銀行からの融資の条件として、最も重要な工事については国際競争入札が実施されました。 これは日本の道路建設では初めてのことでした。また、線形関係については西ドイツのドルシェ氏、土質および舗装についてはアメリカのソンデレガー氏が招かれました。このように、日本の高速道路の技術の目覚しい進歩の原動力には、世界銀行の貸出を通じた海外技術の導入があったことも事実です。 ドルシェ氏は、ヒトラーのナチス政権下で、アウトバーン建設について最高責任を負っていた、フリント・トット道路総監の一番弟子とも言える人でした。 世界銀行の資金援助を受けて外国の建設会社でも工事ができるようにしていたために、設計図はすべて英語でした。日本道路公団の設計図は1980年代まで英語だったといいます。 それまで日本になかったような、大きな橋や新しい形式の橋を設計するためには、模型実験で計算通りの強さになっているか確かめました。 本物と同じ大きさの模型を作って、本物のトラックで走ったり、手さぐりしながら高速道路の設計や工事をしたそうです。 その実験をしたのが、この山科試験工区で、後に本線となりました。 |
そういう事実を知ると重みあるね |
モニュメントは、こちら側は漢字表記でした。 |
「名神」 | 防音版がなかった頃はどんなふうに見えたかな |
このモニュメントは、高速道路上からも見ることができます。 |
《帰りに撮影》 モニュメントとはわからないね |
さ、では次行きますか。 名神・桂川PAと同じような展示が、名神・大津SA(下)にもあるようです。 名神・大津SAはICと併設されていますが、ICから入ってもSAには行けません。 仕方ないので、名神・大津SAの東京側、名神・瀬田西ICから乗ることにしましょう。 その前に、ここまで来たから、近代化産業遺産をひとつ見て行きましょう。 市道から府道117号から市道を走り、R1に出ます。 |
シックなJoshin |
滋賀県に入り、京阪鉄道京津線と並行します。 |
京阪乗る人おけいはん |
名神高速の下をくぐります。 |
蝉丸トンネルのところかな |
R161に入ります。 京津線は一部路面を走りますよ。 |
おや?普通に電車が路面を走っている | さっきの京津線だ | 浜大津駅に入ります |
-10:15- 琵琶湖疏水にやってきました。 琵琶湖疏水とは、琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路(疏水)です。 歴史的には、京都市は禁門の変で市中の大半が焼け、明治維新と東京奠都に伴い人口が減少し産業も衰退したため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画したということだそうです。 この計画は、田辺朔郎という一青年の卒業論文が基になっています。 田辺朔郎は1861年(文久元年)江戸の幕臣の子として生まれ、15歳で工部大学校に入学し、卒業論文で調査・設計をまとめた「琵琶湖疏水工事の計画」を発表していました。 北垣府知事はその構想を聞き、この若者に京都の未来を託そうと決意し、主任技術者として設計監督にあたらせたということです。 当時若干23歳。 すごいなぁ。 大学出立ての若者に、125万6,000円の巨費をかけた超巨大プロジェクトを任せたのですね。この125万円という額ですが、着工当時の国家財政が7,000万円規模,京都府の総予算が50〜60万円であったことから、これは国家プロジェクトと言ってもいいくらいの規模の工事でした。 ちなみに、田辺朔郎は後に関門海底トンネルの提言を行ったり、北海道官設鉄道の鉄道敷設部長の職にあった際には、北海道の狩勝峠の名づけを行ったりもしています。 ケンミンショーとかで滋賀県民が「京都の人はお高くとまっているけど、琵琶湖の水を飲んでいる。その水は次に大阪の人が飲んでいる。つまり、滋賀県民が一番きれいな水を飲んでいる。」って言っていますけど、そのスタート地点がこの琵琶湖疏水なのです。 まずは第1疏水から。 |
第1疏水大津制水門 | 琵琶湖です | ここからずっと伸びているんですね |
交通量の多いR161を渡って、琵琶湖側へ。 琵琶湖疏水取水口の監視塔が見えますね。 |
監視塔の向こうには趣のある艇庫とかありますね | 琵琶湖ですよ 海じゃないよ |
Googleマップには、上の画像の艇庫は「三高・神陵ヨットクラブ」とあります。 旧制三校は京都大学総合人間学部および岡山大学医学部の前身だそうですね。 次は、第2疏水のところにやってきました。 |
敷地内 | その先が制水門ですね | 大津にあるけど管理は京都市なんだ |
山手に行きますか。 途中観光案内板があったので見て行きます。 |
大津城があったのだね | 大津の天守閣が彦根城に移築されたのだ |
左上の浜大津三丁目付近が現在位置 | 解説 |
そして横に架かる橋は疏水に架かる橋です。 |
三保崎橋だそうで | 復元? |
橋から景色を眺めます。 |
第1疏水揚水機場 | 京都方面 | 閘門がありますね |
桜の季節はきれいなんでしょうね。 |
ちょっとしたポケットパーク |
疏水に沿って一番上手へ。 あ、ここ三井寺のところだ。 疏水は、ここから第1トンネルに入り、京都方面へ。 トンネルは、1890年(明治23年)2月に完成し、延長は2,436mです。 |
下流(京都)の人たちが、琵琶湖が氾濫して水が流れ込むと怖いからと蓋がついています | 結構深いね | 伊藤博文が「氣象萬千」と書いています |
「氣象萬千」とは、様々に変化する風光はすばらしい。という意味だそうです。 ここから先は山の中なので断念。 ちょっと下って、すぐ下の橋に行ってみましょうか。 |
橋からの眺め | アップ |
琵琶湖の方を眺めると、大津閘門が見えますね。 |
閘門 | こっちは制水門かな |
疎水沿いには結構案内があるみたいです。 三井寺から先は、バイクでも進入が無理ですが、ハイキングコースとして京都側まで続いているようですね。 |
案内板 | 扁額の解説 | 上のトンネル入口のですね 伊藤博文書 |
地元な案内板もあります。 |
琵琶湖疏水の解説 |
ということで、浜大津側の琵琶湖疏水の調査完了です。 |
琵琶湖側 | 京都側に向けて記念撮影 |
では移動しますか。 県道47号から一瞬R161へ。 |
浜大津駅 | 横に京津線が来ました | 浜大津駅に入りますー |
県道18号を走ります。 |
京阪電鉄石山坂本線 |
来週の3月6日(日)は「びわこ毎日マラソン」だそうです。 |
時間通行止めになります |
市道を経由して、R1に出ます。 |
先日もこの前通ったなぁ 東レです |
瀬田川を渡ります。 |
南のほう | 琵琶湖のほう JR東海道本線が走っています |
そして、市道に入ります。 -11:05- 瀬田の「DELTA CAFE」にやってきました。 ちょうど、店に入る店長さん?と顔をあわせました。 「11時半からですよね」と聞くと、そうですとのこと。 しばし待ちましょう。 店が入っているビルが外壁改修工事しているみたいで、足場だらけになっていました。 |
「DELTA CAFE」さん | 足場だらけ |
店の前のベンチに座って本でも読んでおくかな。 |
ランチメニューあり | 日によって営業時間違います |
営業時間は英語では「store hours」かぁ。 店の前に駐車場が2台分ありますが、隣とかは休みみたいなんで、停められますね。 |
今は停め放題 |
-11:25- ちょっと早くに開店です。 お好きな席へどうぞー。ということで4人席に座らせてもらいます。 メニューを見てしばし思案。 |
単品も豊富だな |
お店のお姉さんに、「今の時間はランチメニューだけですか?」と聞くと、単品でもいいそうだが、ちょっと時間かかるかもとのこと。 では、テリヤキポークライスのランチと、単品でデルタバーガーいこうかな。 バーガーもランチメニューにあるので、時間かかるってことはないでしょう。 |
店内こぢんまり | でもアメリカンな雰囲気 | 夜はバーみたいな感じ |
しばし待つと、ランチのサラダと飲み物登場。 |
コーラにした |
そして、デルタバーガーが先にやってきました。 |
ちょっと小ぶり | 高さはあるぞ | いただきまーす |
おいしいですが、やはりEsquerreさんを超えることはないですなぁ。 そして、テリヤキポークライスとスープが登場です。 |
ジャンクさがたまらんですね |
おおー結構なボリュームですな。 おなかいい感じに膨れました(笑) おいしゅうございました。 ごちそうさまでしたー。 |
自らJunk Foodて言うています |
R1から市道を瀬田西IC方面へ。 途中、「瀬田名物 たにし飴」ってありました。 |
名物なのか!? たにしなのか!?? |
ネットで調べてみたら、たにしの形の飴とのことでした。 以前、甲府でたにし食べたことあったが、めちゃくちゃうまい!ってもんじゃなかったしなぁ。 県道57号に入ります。 -12:20- 名神・瀬田西ICから高速へ。 |
瀬田西ー |
-12:25- そしてすぐの、名神・大津SAに入ります。 |
大津ー | かなりきれいになっていた |
ここには、名神・桂川PAにあったのと同じような案内板があったはずです。 少なくとも、Wikiをはじめとするネット情報にはそう書いてありました。 この名神・大津SAは日本で一番最初に開業したSAです。 普通のIC/SAは、ICにSAが併設される形で計画されるものが多いです。 ところが、ここ名神・大津SAに限っては、SAに併設されるICなのです。 近年、スマートICが設置されるようになり、SA併設のICが増えてきましたが、とんでもない。ここ名神・大津ICはフル規格のICですよ。 名神高速道路が建設された当時、現在の名神・京都東ICが名神・大津ICとして計画されていました。それに対して当時の大津市長 上原茂次は「それでは大津ICとは言えない。京都市内にあるではないか」と猛抗議したそうです。 そこで、当初、名神・大津SAのみの予定であった場所に急遽、名神・大津ICが併設され、当初予定の名神・大津ICは1963年(昭和38年)7月16日、名神・京都東ICに改称の上で設置されたのです。 |
施設もきれいになっているなぁ |
ところで、お目当ての「名神起工の地」の案内板がありません。 下りSA敷地内くまなく探しましたが、ないです。 うーん・・・。 |
屋上展望台から琵琶湖が見えます |
困ったなぁ。 SAインフォメーションで聞いてみよう。 インフォメーションの人もよくわからない様子でしたが、立体交差工事で撤去してしまったかもということでした。 うーん。NEXCOに聞いてみよう。 フリーダイヤルに電話してみます。 R「今、大津SA(下)にいるのいですが、ここに『名神起工の地』の案内板があると思うのですが。見当たらないんですよ。」 N「は?」 R「ですから、日本の高速道路は、名神から始まったでしょ?京都市山科に「名神起工の地」の碑が中央分離帯にあるでしょ?そのことの案内板です。」 N「中央分離帯の石碑を見たいということですか?」 R「そうじゃなくて、敷地内に桂川PA(上)にあるのと同じような案内板があったと記憶しているし、Wikiとかにもそう書いていたり、多くのネット記事にもあるってなっているけど、実際見当たらないんですよ。 SAのインフォメーションの人に聞いたら、立体交差工事で道路ができたので無くなったのじゃないかってことでしたので、そちらに聞いているというわけです。」 N「立体交差工事は2〜3年ほど前に施工しているので、その可能性もあるかと。ただ、今すぐにはわからないので、上司とかに確認してみますが。」 R「20〜30分待っていたらお電話いただけますか?」 N「結果がわからずとも、20〜30分後までには電話します。」 ということで、一旦電話を切りました。 |
右奥の立体交差ができたからかな |
屋上のベンチで、ぼけーっと待っていました。 15分ほどしてかかってきましたよ。 N「確認しましたが、やはり立体交差工事で撤去してしまい、復旧はされなかったようです。詳細については、当時の工事担当や施工業者と今すぐには連絡がつきませんので・・・。また、サイズを変えて設置するなども予定がなく・・・。」 R「わかりました。そこまでわかれば十分です。ありがとうございます。」 2014年(平成26年)6月20日に立体交差の完成をみましたが、その陰で歴史的に重要な案内が消えてしまったのですね・・・。いいのかNEXCO西日本。 1969年(昭和44年)に東名高速道路開通式に招待された際に「かくも短期間に道路の建設をなしとげた国は世界に例がない」とワトキンス氏は驚嘆したそうです。 世界で5本指に入るほどのODA(政府開発援助)出資国となった今の日本には想像もできないですが、かつては発展途上国であった日本は、世銀から名神・東名の建設のために1960年(昭和35年)から1969年(昭和44年)にわたり総額1,368億円の借款を受けましたが、1990年(平成2年)に完済しています。 後に世界銀行首脳は「東名・名神事業は、東海道新幹線と並び、世界銀行にとって最も成功したプロジェクト」と賞賛しています。 ということで、名神起工の地調査は終了。 あきさんとこ行こう。 京都府に入ります。 -13:05- 山科の「名神起工の地」を過ぎます。 |
朝は外から見たモニュメント |
そして間髪入れずに「名神起工の地」の碑のそばを通過します。 |
その位置を看板が示します | 《2012.06.30撮影》 これが今までで一番上手く撮れた「起工の地」の碑 |
《ネットで拾ってきました》 実際はこんなのらしい |
《午前中に撮影》 レプリカ 同じだね |
ずんずん走って、天王山の分岐は左コースへ。 |
左行くのは超久しぶりな気がする | 新幹線ー |
-13:15- 大山崎JCTで京都縦貫道へ。 |
大山崎ー | 京都縦貫道に入ります |
-13:25- 篠本線料金所を通過します。 |
篠ー |
-13:30- 八木本線料金所を通過します。 |
八木ー |
京都縦貫道・園部ICから先は、片側1車線になります。 |
空いているし影響ないかな |
京都縦貫道・丹波ICのランプウェイつくるのに、すごいこと山削ったのですねー。 |
なんかすごいぞ |
-13:40- 京都縦貫道・京丹波PAに入ります。 |
京丹波ー | バイク他にはいない |
ここは、道の駅「京丹波 味夢の里」でもあります。 |
道の駅ー |
スタンプ押して、ちょこっと買い物して、あ、トイレいっとこ。 |
トイレットペーパーとウンを流す 神様のご加護とご幸運があるのかな |
売店ちょっと覗いて、鯖寿司買ったり、生八つ橋買ったり(笑) さて、行きますか。 -14:00- 京都縦貫道・京丹波みずほICで降ります。 |
初めて通るな |
R9をひたすら西へ走っていきます。 |
舞鶴若狭道の下を通過 |
福知山城が見えますね。 |
おー城下町ー |
ずんずん走ると、R426との分岐を通過します。 ここをR426に行かず直進するのは久しぶりです。 |
いつもは「但熊」に行くから右折 |
途中、対向車がパッシング。 おー。やっていましたよ。ネズミ捕り。 対向車の皆さんありがとうー。 -15:00- 兵庫県に入りました。 |
前のトラックはパイプ?積んでいます 落ちないでー |
和田山で、市道を経由して県道104号から県道2号へ。 |
道の駅の鯉 | 国土交通省の鯉 |
まもなく到着です。 |
あきさーん |
-15:25- 「YOU SHOP ツカモト」に到着しました。 |
こんちはー |
あ、「うまい棒の恋人」ご進呈しておこう。 おやつに食べてくださいね(笑) 来月車検なので、一旦預けます。 ここらは、新但馬車検センターでの出張車検(陸運局から検査官が来る日)が、3月は2日と23日だそうです。 その他にも、この機会にするメニューは・・・。 ・転倒によるアンダーカウルなどの交換 ・グリップヒーター交換 ・パーキングブレーキ調整 ・リアキャリアのサビ落としと塗装 ・ヘルメットのダクト修理(2箇所) をお願いしました。 というわけで、引き取りは3月26日(土)の朝一番に。 その足で、山陰方面に一泊ツーリングに行こうと画策しています。 ナビとBT-NEXTとETCカードを回収しておきます。 さて、もうすぐ特急が来ますね。 ドタバタしましたが、それではよろしくお願いしますー。と早々においとまします。 あ、奥さん漬物とかありがとうございますー。 オーバーパンツを預かってもらいました。 |
スノーモビルの季節ももう終わりですかね | ではよろしくですー |
-15:45- てくてく歩いてJR八鹿駅にやってきました。 15時59分発の特急こうのとり20号の指定席を頼んだら、「奥か通路側かの2席しかありません」とのこと。 じゃぁ奥でと。 ・・・。奥?窓側って言わずに奥だったな・・・。後に判明します。 |
八鹿駅ー | ホームです |
ビールでも呑みながら帰るかー。と思っていたのですが、駅売店が撤退していましたよ。 -15:50- 大阪側から回送列車が来ました。 |
1両だけのワンマンです |
-15:55- 特急こうのとり20号がやってきました。 |
287系ですか |
乗り込んで、「奥」の意味が判明。 7名の団体が、通路を挟んで向かい合わせに座っています。 その「奥」の席。 うわぁ(泣) 「すみません、すみません」と奥に座らせてもらいます。 団体さんは気をつかってくれて、反対側を向いていた、向かい合わせの席を進行方向に向けてくれました。 すみませんねぇ。 ということで出発です。 あきさんところであたたかいコーヒーいただいていたので、それ飲みます。 |
本読むか |
途中、眠くなってウトウトしますが、まわりの団体さん酔っ払っていてうるさいのなんの。 あー、多分、カニカニエクスプレスで城崎行っていたのかなぁ。 途中、丹波竜の発掘場所あたりを通過します。 |
川のところで見つかっています |
-17:57- 予定通り、JR宝塚駅に到着しました。 てくてく歩いて帰りましょう。 -18:20- 帰宅しました。 本日の走行距離 243km のんびりとしたプチツーですが、そう寒くもなく、結構楽しめました。 機動性があるといいですね。やっぱり。 長年、名神起工の地については色々気になっていたのでそれがクリアされてスッキリ。 またなんかネタ探していこう。 ひとみちゃん、車検よろしくお願いしますー。 |
■ RockzGoodsRoom ■ Sitemap Copyright(C) RockzGoodsRoom All Rights Reserved.