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第1日(7/13) 第2日(7/14) 第3日(7/15) 第4日(7/16)
今日は九州上陸後、一気に長崎まで走り、軍艦島へリベンジ。 その後は熊本に行って呑むだけという非常に簡単な行程です。 雨どうかなー。 7月14日(第2日) 若干下げ目の気温の部屋で、寒さを感じながら布団にくるまり寝ていました。 風邪ひかないでよかったよ。 -05:00- とりあえず起きてみる。 日の出見れるかな。 デッキに出てみます。 出港とか明石海峡大橋を見たい時は、右舷デッキがよく見えますが、日の出は左後ろに上がるので左舷デッキから見るほうがいいのは、経験上知っています(笑) -05:14- 日の出時間ですが、東のほうは雲が多く、やはり見えませんね・・・。 |
やはり無理か | しばらくしてようやく見えた |
なんか、霞んでいますねー。 |
景色見えない |
フロントで、コーヒー売っているようです。 買っていこう。 |
入れたてコーヒー |
接岸まであと1時間ほど。 部屋で荷物片付けたりするかな。 |
はるばるきました | 別府湾入り口 |
-06:10- 別府湾に入ってきましたよ。 |
もうすぐ |
まもなく接岸のようですが、外に出る元気もなく、部屋で寝転んでボーっとしていました。 昨夜の禁煙アナウンスで寝不足で、冷房で体冷えすぎたしなぁ。 -06:20- 定刻通りに大分西港到着です。 |
到着ー |
昔は接岸前に車両甲板に降りて準備できましたが、最近は接岸してからでないと車両甲板には入れません。 てことで、アナウンスが入るまで部屋で待ち、6Fから1Fまで階段で降りて、JADEとご対面。 |
1Fです | JADEオハヨー |
上の層が下船してからだから、最後かな。 |
CONTOUR ROAM2はここに |
前の車のほうから下船が始まったので、エンジンかけますか。 |
ナビはまだ六甲にいる |
-06:40- では下船開始です。 意外に早かった。 |
さー行きますよ | ≪クリックで動画再生≫ "Sunshine Day"Matt Bianco ぐるぐる上がっていきます |
2Fへ | 3Fへ 3Fが陸と同レベル |
九州上陸! |
今回は、禁煙アラーム鳴ったりで、イマイチな船の旅だったなぁ。 |
でも楽は楽 |
なぜかすぐの港湾道路が渋滞していて、なかなか進めないですね。 ようやく進み、R10に出ます。 |
R10は走りよい |
高崎山に雲がかかっていますね。 |
お猿がいる高崎山 | また「うみたまご」行きたいなぁ |
朝霞かなぁ。やっぱり霞んでいますね。 |
別府湾 |
別府の入口で、「二階堂」の看板を見ると、あー、九州来たなぁという気持ちになります。 |
大分麦焼酎 二階堂 |
別府タワーが見えてきました。 |
東京タワーと同じ内藤多仲の設計 |
県道52号に入るつもりが曲がりそびれ、なんか変なところで曲がってしまい、別府駅をかすめて県道52号へ。 |
ビーコンプラザのタワー |
大分道をくぐります。 |
今から乗るよー |
別府は、あちこちで温泉の湯気が見られます。 |
おー温泉浸かりたいー |
-07:10- 県道11号から大分道・別府ICで高速に乗ります。 |
別府ー | ゴルフボール対策ネット |
ACC(Adaptive Cruise Control)を入れて、のんびり走ります。 前に車がいたら減速してくれるし、いなくなったら加速もしてくれるので、本当に高速走行が楽になりました。 -07:15- 日出JCTを通過します。 |
空港方面は行かない |
そういえば、大分空港の滑走路に隆起が見つかったとかで、今日はクローズになっているらしい。 この旅、大分空港に向けて飛んでいたら完全アウトでしたね。 |
山々がきれい | 湯布岳 | 九州は山がきれい |
風力発電のプロペラがいっぱいありますね。 |
玖珠ウィンドファームかな |
日田や杷木あたりを通過しますが、高速からは大々的な河川氾濫とかは見えませんでした。 それでも山肌が崩れていたりするのは見えました。 |
川が少しだけ見えた | 崩れている |
-07:55- 福岡県に入ります。 |
大分はまた明日 |
朝倉あたりも豪雨災害があった地域ですが、山肌がところどころ滑っていますね。 |
よく見ると山肌見えている | ブルーシート被せているところもある |
災害派遣の自衛隊車両がいました。 |
鹿児島の第12普通科連隊重迫撃砲中隊 |
-08:00- 小腹が減ったので、なんか食べるかな。 大分道・山田SAに入ります。 |
山田ー | 朝は人が少ないね 平日だし |
おー、大揚げうどんってのあるなぁ。 これにしよう。食券買って、カウンターに出してしばし待ちます。 |
これが鳴るんだよ |
しばし待つと、できあがったようです。 |
おーこれはインパクトあるー |
毎日手づくりの、宿里豆腐店特製の大きな三角揚げは分厚さもすごい。 これが出汁をたっぷり吸って、かなりおいしくなります。 さー、食べたら先に進みましょう。 |
行くぜJADE |
キリンのビール工場が見えました。 |
明日来ます |
工事やっていますねー。 |
災害復旧工事ではない | 門司まで100kmかぁ |
-08:30- 鳥栖JCTを通過して長崎道へ。 鳥栖JCTを過ぎれば佐賀県です。 |
鳥栖ー | 長崎道に入りました |
そしていまた工事。 |
植栽工事みたい |
あー、トラックが故障していますねー。 |
パンクかな |
-09:05- 武雄JCTを通過します。 |
西九州道とのJCT |
-09:10- 俵坂トンネルで長崎県に入ります。 |
今度は左車線が工事 | 県境です 写っていないけど |
おや、大村湾沿いはなんとなく南国イメージですね。 |
ヤシ生えているし |
またしても工事。 |
多すぎ |
長崎道・長崎多良見ICから先は片側1車線ですね。 |
一応拡幅工事は進んでいる模様 |
きれいな斜張橋がありましたよ。 |
名は不明 |
-09:40- 長崎道・長崎ICを通過し、ながさき出島道路に入ります。 |
下りは有料道路と合同徴収 | ながさき出島道の料金所 |
オランダ坂トンネルに入ります。 |
トンネルー | 長いトンネル |
トンネルを出ると、そこは長崎市街。 R499を走ります。 長崎みなとメディカルセンターは、3年前はまだ工事していたなぁ。 |
赤丸に「鉄道発祥の地」の碑があります |
-09:40- 長崎水辺の森公園の有料駐車場に停めます。 -09:45- とりあえずトイレいっとこ。 あれ?電話だ。 出れないので(笑)留守録聞くと、今回もお世話になる「シーマン商会」からまだ来ていないので、集合場所わかりますかー?の電話でした。 10時10分に集合なのに、えらい早い確認電話だな。 てくてく歩いて、常盤2号桟橋へ。 |
でかい客船がいる |
歩いてすぐの常盤2号桟橋にやってきました。 「シーマン商会」さんお世話になりますー。 |
さるく号です |
誓約書と割引クーポン持っていますよー。と伝えると、そのまま船内へ。 船内で受付します。 |
団扇くれた | チケットとかパンフレット 絵葉書も |
これをつけておく | 裏には注意書き |
平日だし、人少ないかなと思っていたら、割りとどんどん人来ます。 軍艦島へのツアークルーズは何社か開催していますが、この「シーマン商会」さんは小規模で開催されるので、詳しくいろいろ聞けます。 さらに、代表の方は、高校生の頃まで軍艦島に住んでおられた方ということです。 |
出港までDVD見る |
-10:30- では出港です。 今日は平田さんという若手がガイドしてくれます。 軍艦島(端島)に行きつくまでに、長崎港の案内もしてくれます。 接岸している大型客船は、イタリア船籍のコスタ・ビクトリア号(75,166t)だそうです。 これは中型規模だそうで、大きいのは15万t以上あり、護岸の端から端まで停泊で占領しちゃうそうです。 |
コスタ・ビクトリア号 中型って言ってもでかいよね |
長崎港は港湾法上の重要港湾および特定港に指定されている港湾です。 江戸時代、鎖国を行っていた幕府が唯一公認していた国際貿易港であり、安政の開国により国際的に開港した5港(箱館・神奈川(横浜)・新潟・兵庫(神戸)・長崎)の一つに数えられる歴史ある港です。 また、長崎港では造船が盛んで、長崎の造船業は、江戸幕府が1857年(安政4年)国内初となる艦船修理工場を長崎に設立したのが始まりとされています。港の西側には数多くの造船ドックがひしめき合い、様々な船舶が建造されています。 |
三菱重工長崎造船所 |
ジャイアント・カンチレバークレーンが見えてきました。 このクレーンは1909年(明治42年)に竣工した同型としては日本で初めて建設された電動クレーンです。 英国アップルビー社製。高さは約62m、アーム部分の長さ約75m、巨大なクレーンは、三菱重工業長崎造船所内の機械工場で作られたタービンや、船舶用プロペラといった製品や機材を吊り上げ吊り下げし、船に積み込む役目を担っています。 輸出したスコットランドが称賛する歴史的に貴重な存在。現在も稼働しています。 導入当時は、国内3箇所にこのクレーンがあったそうですが、現存するのは長崎港のこの1基だけです。 そして、モーターを始め、ほとんどの部品が当時のままで現役で使われているそうです。 |
ジャイアント・カンチレバークレーンは「ハンマーヘッド型」とも呼ばれる |
LNGタンカーがいますね。 これまでのLNGタンカーのイメージは、大きな球形タンクを4つ積んだものでしたが、最新のものはそのタンクの上にカバーを施し、空力特性を向上させ、燃費向上を図っているそうです。 |
へー空力かぁ |
あくまでもカバーなので、その下には今までと同じように球体タンクが並んでいるそうですよ。 三菱長崎造船所第三船渠が見えてきました。 この船渠(ドック)は、4年に亘り崖を削り、海を埋め立てつくられた、当時東洋最大のドックです。 長崎造船所では1879年(明治12年)に立神に第一船渠が作られ、1896年に第二船渠、1905年3月に第三船渠と次々に竣工されました。 100年以上経った現在でも稼働しているのは、世界遺産に選ばれた第三船渠のみです。 第三船渠は造船業形成期の三菱合資会社時代に建設された大型乾船渠(ドライドック)です。 満潮時に船を引き込み、運河のように水門を閉めて排水し、船の修理や整備を今も現役で行っています。 竣工時は長さ222.2m、幅27m、深さ12.3m、建造能力3万重量トン。船の大型化に伴い1943年、1957年、1960年と三度も拡張工事をし、現在は276.6m、幅38.8m、深さは同じ。修理・建造能力9万5千tとなっています。 英国製の電動機で、駆動される排水ポンプは110年を経た今も現役で活躍し、底や壁面の石垣も当時のものです。 第二次世界大戦中に建造された大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦「武蔵」もここで建造されました。 大和型は、戦艦として、排水量、主砲口径、共に史上最大です。 そして、武蔵は大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦でもありました。 |
歴史ある第三船渠 |
第三船渠は一般見学はできないそうです。 以前、ブラタモリで中の様子やっていたなぁ。 三菱重工でジャイアント・カンチレバークレーン、第三船渠と共に世界遺産となったのは、三菱長崎造船所旧木型場というのがあります。 こちらは長崎造船所史料館として現在は活用されているそうで、予約制ですが見学可能です。 また、三菱長崎造船所占勝閣というのも世界遺産に認定されています。 1903年(明治36年)に長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として着工、翌年に完成しました。 1905年(明治38年)、軍艦千代田の艦長東伏見宮依仁親王殿下が宿泊された後に「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名されました。 洋風木造2階建(地下は煉瓦造)で延べ123坪、2階に寝室やホールなど、1階に食堂、応接室、書斎などがあり、地下には厨房を備えています。 玄関に飾られている「占勝閣」の文字は、1913年(大正2年)に中国の革命家・孫文が書いたものだそうです。 調度類は当時の最高級英国製品を輸入し、揃えたといいます。 創建当時の状態を保つべく、三菱が維持管理を行い、現在も迎賓館として使用されています。 そのため非公開で見学はできません、三菱の社員でも、退職前に一度だけ見学を許されるという 場所だそうです。 日本近代建築の父と呼ばれたジョサイア・コンドルに師事した曾禰達蔵が設計。 尖塔と白壁、暖炉の煙突が特徴的で緑とのコントラストが異彩を放っています。 明治政府の社交場「鹿鳴館」の建築に関わった、お抱え建築士として来日した英国人建築家・コンドルは、東京大学工学部建築学科の教授として東京駅などを設計した辰野金吾らを教えたことでも知られています。 第三船渠の横では海上自衛隊の護衛艦がメンテナンス中でした。 |
104 護衛艦きりさめ 春までソマリア沖に行っていた |
178 護衛艦あしがら イージス艦ですね |
No.1ドックとNo.2ドックで船体が建造されていますねー。 ちなみに、このNo.1とNo.2、第三船渠に番号の繋がりがなく、第三以前にあった第一、第二はもう使われなくなり、埋められてしまったそうです。 |
No.2ドック | 護衛艦建造中 | イージス艦だな あさひ型護衛艦の2番艦かな |
では軍艦島(端島)に向かいます。 女神大橋の下をくぐります。 女神大橋は、日本で6番目に長い斜張橋ですが、長崎港に寄港する大型客船の障害とならないよう、橋の下のスペースを大きくとっているのが特徴です。 水面から65mの高さを確保しています。ちなみに、世界最大の豪華客船、クイーン・メリー2号もここを通過したそうです。 クイーン・メリー2号の高さは72m、喫水が10mなので、水面上62mとなり、3m程度の余裕でクリアしていたのですね。 |
そういうわけで高い |
三菱重工香焼工場が見えますね。 車からGARMIN eTrex外してこなかったので、どのへん航海しているかよくわかりませんが。 |
ここから見てもでかい |
神ノ島のカトリック神ノ島教会と、聖母マリア像が見えます。 神ノ島は名前の通り、もともとは離島でしたが、埋立により今は陸続きです。 |
カトリック神ノ島教会 | 聖母マリア像 |
カトリック神ノ島教会では、加山雄三さんの父、俳優・上原謙(故人)が結婚したということですが今の若い人は、上原謙知らないだろうなぁ。私でも名前くらいしか知らないし。 神ノ島の隣には、小さな高鉾島があります。この島の南側には断崖絶壁があり、キリシタン禁制の頃に見つかった隠れキリシタンは、改宗をしなかった場合この断崖絶壁から飛び降ろされ、殉教者なったそうです。 三菱重工香焼工場の横を過ぎます。 3年前に来た時は、日本国内で建造されたクルーズ客船としては過去最大アイーダ・プリマ号(124,500t)が三菱重工としては11年ぶりの客船建造受注で行っていました。 三菱は、この船の建造で、納期を2年も遅らせてしまい、結構会社的に厳しい状況になっているらしいです。 この香焼工場は、1972年(昭和47年)に完成した三菱重工最大規模の工場です。通称「100万トンドック」と言われています。 造船工場は深さ15m、幅100m、長さ1,000mのドックをフルに生かした建造法でLNG船、LPG船などを効率よく建造しています。 30万トン級・長さ300mの大型船を同時に3隻作ることのできる世界最大のドックです。 3基見えるアーチ型クレーンがあります。このクレーンの中には国会議事堂がすっぽり入ります。 吊り上げ能力は、真ん中が1,200t、前後が各600t、3基併用で最大1,500tの吊り上げ能力があるそうです。 クレーンの三菱マークはテニスコート1面分もあるのだとか。 |
香焼工場 | このマークがテニスコート1面分 |
「香焼」という名は、弘法大師の焼香伝説に由来しているそうです。 804年(延暦23年)、遣唐船に乗り難波津から出港した弘法大師・空海は、途中暴風雨に遭いこの地に避難。御香を焚いて仏に感謝し祈りを捧げます。その時の御香の芳しい薫りが洞窟内に染み渡ったので、その巌山を「香焼山」、その島を「香焼島」と名付けたと伝わっています。 伊王島のそばを通ります。 |
カトリック馬込教会 |
伊王島大橋の下をくぐります。 |
伊王島にはまた後で来ますよー |
さて、軍艦島に上陸する前に、当時の暮らしぶりとかを知るDVDを見ましたよ。 |
鑑賞中 | 見れるエリアは3つなんだね |
同じ時刻にもう1隻のクルーズ船のお客さんが上陸するので、とにかく上陸したらまず第2見学広場まで行きます。第1見学広場は後で行くので、写真撮るのに足を止めたりしないでくださいね。とのこと。 端島の手前に小さい島、中ノ島があります。 小さいながらも、都市としての機能をほぼ揃えていた端島ですが、なかったものが2つ。 それは、火葬場とお墓だったそうです。 端島で炭鉱が操業されていて、人が住んでいた頃、端島の人が死ねば、中ノ島で火葬し、墓に入ったということです。 |
中ノ島 |
さぁ、軍艦島に近づいてきましたよー。 |
おおー | 桟橋のほう | また来れてよかった |
台風被害で、護岸の下の土が抜けてスカスカになっているそうです。 このままでは護岸破壊の可能性があるので、補修工事しているそうですよ。 |
工事台船 陸からは無理なんだろうなぁ |
ここは、炭鉱が動いていた時は不夜城なようだったらしいです。 |
夜にこの島全体が明るいと異様だな |
軍艦島(端島)は、本来は南北約320m、東西約120mの小さな瀬でしたが、その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)に亘る6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張しました。その大きさは南北に約480m、東西に約160mで、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われています。面積は約6.3ha、海岸線の全長は約1,200mです。 人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人がここに住み、人口密度は83,600人/km2と世界一を誇り、東京特別区の9倍以上に達しました。 鉱夫は常に死と隣り合わせの仕事ではありましたが、その代わり給料も良く、奥様方はファッショナブルな服を買い求めていたりしたそうです。 1950年代後半、「三種の神器」といわれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の全国普及率はそれぞれ7.8%、20.2%、2.8%でしたが、軍艦島では全家庭に備えられ、豊かで文化的な生活を送っていたようです。 テレビは当然各住戸がアンテナを立てて見ていたので、台風通過後はアンテナの方向が変わったり倒れたりしたので、島に2件ある電気屋さんは台風通過後は大儲けだったそうです。 炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗・病院(分娩設備もあった)・寺院・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)「白水苑」などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していたそうです。 ただし、火葬場と墓だけは、先にも言いましたが中ノ島に設置されました。 5,000人規模の食材を扱えるだけの店舗規模がなかったため、対岸の野母崎から行商の船が毎日来ていたそうです。 島民は、三菱が1962年まで運航していた社船「夕顔丸」のほか、野母商船が長崎港より、伊王島高島を経由して端島に至る航路を運行していたそうです。 インフラ関係では、まずは水ですが、最初は海水から真水を蒸留する施設を使用していたそうですが、人が増えてからは 船で水を運び、島の中央にある給水タンクに貯めていました。当然、それでは追いつかなくなり、1957年(昭和32年)野母半島から海底に送水管を敷設して、荒天時に年間数回の断水がある他はほぼ安定して供給ができていたそうです。 ちなみにこの水道管の長さは約6,500mで世界最長だそうです。 電気については普及が早く 本来炭鉱はガス爆発事故防止の観点から電気を照明や排水ポンプなどの動力使うため、1902年(明治35年)には発電機が置かれ、1917年(大正6年)からは隣の高島炭鉱の火力発電所から送電され、逐次増設され居住区に電灯が引かれたのは、1918年(大正7年)からだそうです。 電話は、1938年(昭和13年)から会社内には引かれ、1947年(昭和22年)からは公衆電話が設置されました。 各アパートには内線電話がありましたが、各家庭用の電話はなかったそうです。午後8時以降は通話料が安くなるため、公衆電話に行列ができたそうです。 ガスはあまり使われず、釜戸で煮炊きをしたり 電熱コンロが使われていたようです。昭和30年代からは、各家庭にプロパンガスボンベ(いわゆるダルマと言われるサイズ)がひと月に1本配られていたそうです。 |
先に上陸していた人が離島しないと上陸できない |
ぐるっと回っていきます。 |
左は貯水槽 右は3号棟(職員社宅) |
妻側が見えているのは端島小中学校 ベランダ(?)側が見えているのは65号棟(鉱員住宅) |
北東端くらいですね |
右手の一段低いのは69号棟(端島病院) | 軍艦で言うところの後方から見る | 白いのは68号棟(隔離病棟) |
59〜61号棟 65〜67号棟の鉱員住宅 | すごいなー |
1号棟の端島神社は、拝殿はなくなってしまい、今では祠のみが残っています。 |
それでも祠がよくもっているよな |
59〜61号棟の建物感覚はすんごい狭いですね。 |
5階建で地下には購買会(店舗)とかあった |
窓が海に面した51号棟(鉱員住宅)は、平時はいい眺めだろうけど、台風の時は大変だったろうなぁ。 |
後ろの住宅の高潮避になっているような・・・。 |
手前の白い建物39号棟(公民館)の後ろに、21号棟(警察派出所・鉱員住宅)があります。 派出所には警察官が常時2名駐在していました。 留置所もありましたが、そこに留置される犯罪者は1人もいなかったそうで、使われたのは、酔い潰れて家に帰れない島民を収納する程度だったとか。 |
その右手には映画館があった |
映画は島民最大の娯楽で、常に新しい映画が真っ先に送られてきたそうです。 |
建物がないところが50号棟(映画館)跡 |
31号棟(鉱員住宅)の1階部分には、炭坑からベルトコンベアーで運ばれるボタを通すベルトコンベアー穴があります。 |
すげぇな部屋の真横通っているぞ |
護岸はまっすぐではないですが、これはわざとだそうです。 まっすぐにしないことで、波の力を打ち消しているのだそうだとか。 |
まっすぐでないのは精度が悪いのではなかった 31号棟(鉱員住宅) |
30号棟(下請住宅)の壁にあるパイプはダストシュートだそうです。 |
近代的だったのだね 1916年(大正5年)の発想 |
西側から見ると、軍艦に見えますねー。 |
旧日本海軍の「土佐」に似ているらしい | クルーズ船のサイズと比べると超弩級サイズだな |
中ノ島もそう言われれば、端島の生活の一部だな。 |
お墓も火葬場も今はもうないらしい |
-11:25- いよいよ念願の軍艦島上陸です。 |
前はこの桟橋が台風で壊れていた |
上陸して、第2見学広場まで移動します。 |
おおー上陸ー | 間近で見るとすごいな | 石積みの護岸 |
貯炭場のほう | ラピュタ感がすごい | ベルトコンベアが通っていたらしい |
後ろの背の高いのが30号棟(下請住宅) | 第二竪坑坑口桟橋跡 | 突き出たところの下に竪坑があります |
釣りをしている人がいますねー。 |
釣れますかー? |
釣り人たちは、違法ではないそうです。 海岸は、誰もが自由に利用できる、公共の財産です。いわば国有地ですね。 漁業権があるので、利用すること=釣りとはなりませんが、漁業権を持つ人が渡船したならOKってことらしいです。 逆に、釣り人がこの軍艦島に入って見て回るのは、「長崎市端島見学施設条例」により、係船をするため桟橋を利用しようとする許可を受けた者、すなわち「許可事業者」の船舶により運送された者に限る。とあるので、漁船に乗って来ただけで内陸に入るとアウトになります。 第2見学広場にやってきました。 説明を聞きますよ。 ちなみに、ここまで見学用通路がコンクリート敷で整備されています。 元々は、桟橋あたりからはこのあたりはトンネルしかなかったそうです。 世界遺産に決まろうかという時に整備されたそうで、現状より逸脱するので「これで世界遺産に登録できなくなるんじゃないか」というような声もあったそうですが、役所は「これは護岸で、護岸整備工事の後、上をたまたま歩けるだけ」と言い切ったそうです(笑) |
総合事務所 | この下はトンネル |
初期の頃は、船から島に降りるのも大変だったそうです。 |
ちゃんとした桟橋がなかったころの写真で説明 |
第二竪坑への階段は、「命の階段」と呼ばれていたそうです。 |
次に無事で出てこられるかわからないかららしい |
坑道は、ここから約3km沖の、三ツ瀬という岩礁あたりまで海底下の岩盤を掘り進んでいました。 |
炭坑の説明 |
軍艦島(端島)は、島自体が近代化産業遺産に認定されていますが、世界遺産として認定されているのは、1850年代から1910年年代のものなので、今では総合事務所のレンガ壁と30号棟だけしかないそうです。 |
貯水槽 その横の灯台は閉山後設置 |
総合事務所のレンガ壁 | 石積み護岸 コンクリートで造られていたら今頃は崩れ去っていたらしい |
総合事務所は、この端島鉱山の中枢でした。 中には鉱員用の共同浴場があったそうです。 3槽からできていて、第1の槽は海水で、炭の煤だらけの服のまま入ります。 2番目は海水の温浴槽でここで体を洗い、3番目の真水の温浴槽でさっぱりしたそうです。 |
今ではこっちの壁だけ |
護岸の石積みは、天川を使ったものです。 天川とは、凝固剤のことで、赤土と石灰を混ぜ合わせたものです。 |
天川積み | 向こうは海 | すごいねー |
パノラマしてみました。 |
廃墟だなぁ |
第3見学広場へ移動します。 |
貯水槽横の灯台は端島が不夜城でなくなったから設置 | 自然に朽ちてこうなるんだ | すごいなー いや本当にすごいしか言葉が出ない |
これはなんかの工場跡かな | 30号棟(下請住宅)が見える |
第3見学広場にやってきて、説明を受けます。 |
台風の時の高波の様子 | 島全体が波に覆われている |
御婦人方のレジャーで「波見物」というのがあったそうです。 屋上に集まって、大波を見物していたそうです。 海が時化て、物資が届かなくなると、食卓には缶詰が並んだそうです。 島の子供たちは、嵐の時にしか食べられない特別なごはんだと思っていたそうです。 |
30号棟(下請住宅) いつ倒れてもかしくない |
1916年(大正5年)に建てられた日本で一番古いコンクリート製アパート | 101年ですか今年で |
今日のツアーの人たち | あー鉄筋見えたりしているなぁ |
30号棟の老朽化具合は、もう修復不可能なのだそうで、このまま朽ち果ているのを待つ他はないそうです。興味のある方、一日でも早く訪問されるほうがいいですよ。明日にでも冗談抜きで倒壊してしまうかもです。 では、第1見学広場へ移動しましょう。 |
哀愁漂う | 今は瓦礫だらけ | 3号棟(職員社宅)のほう |
ここから野母崎の半島が見えますね。 |
6.5kmの距離 |
第1見学広場にやってきました。 ここから山を貫いて、31号棟のベルトコンベア貫通口からボタを海に捨てていたそうです。 |
ベルトコンベアの支柱が並ぶ | 下の塞いでいるトンネル口が向こうまで貫通 | 台風来たら逃げ場ないね |
炭坑が稼働していた当時は本当に緑がない島だった | コンベアの支柱の列 | 閉山から40年あまりで草木が自生して緑豊かな島に |
70号棟(端島小中学校)は、当初6階建でしたが、7階部分に講堂を増築しました。 今ではその7階が崩れてきています。 |
屋根が落ちてきている | アップ | あー危ないねー |
パノラマしてみます。 |
どうだろう雰囲気出ているかな |
いいねー |
反対側は・・・。イマイチかな |
最後に全員で記念撮影しました(笑) ここに暮らしていた人たちのことを想いながら景色を眺めます。 |
へー |
では、桟橋に戻りますか。 |
なんかの機械室 |
トンネルをくぐっていきます。 |
本来の通路 |
この桟橋の手すりが3年前は台風で破壊されていました。 |
3年に1回くらい台風で壊れるらしい |
名残惜しいですが、船に乗り込みます。 |
昔の桟橋跡とか | 乗り込みます |
-12:10- 出港です。 |
三ツ瀬が見えました |
船内で今日の上陸記念証明書と、本物の石炭のプレゼントがありました。 石炭は、可燃性なので機内持ちこみできないんですって。 |
上陸記念証明書 | 石炭 | へー機内持ち込みNGなんだ |
では帰っていきます。 |
さようなら軍艦島 |
高島のそばを通っていきます。 |
前回はあの島に上陸した |
伊王島のそばを通りますよ。 伊王島も、元々は炭坑の島で、閉山後は過疎化が進みましたが、最近では「長崎温泉やすらぎ伊王島」ができたりで、リゾート化が進んでいます。 |
オレンジの屋根が「やすらぎ伊王島」 |
三菱重工香焼工場そばを通ります。 |
でかいねー |
神ノ島を通過します。 |
聖母マリア像 | カトリック神ノ島教会 |
鼠島って島があります。 今では埋め立てられて陸続きになっていますが。 その島は、日本で初めてピクニックが行われた場所だそうです。 1854年(嘉永7年)、長崎奉行はイギリス人に長崎港口の鼠島への上陸を許可しました。イギリス領事は、ビクトリア女王の誕生日(5月24日)を記念して居留地在住のヨーロッパ人を誘い、船でこの島のピクニックを楽しんだそうです。 その時に写された写真には、ライフル銃を持ったグラバーも写っているそうです。 女神大橋が近づいてきました。 |
長崎港に入る |
帰りは高鉾島の断崖絶壁がよく見えます。 |
あーあそこかぁ・・・。 |
離島航路の船とすれ違います。 |
おーどっかで見たなぁ | あ 五島列島に行くフェリーだ |
三菱重工長崎工場まで戻ってきました。 |
でかいねー |
対岸に小菅修船場跡があります。 日本最古の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を整備した洋式スリップ・ドッグが小菅修船場です。 船をボイラー型蒸気機関の力で曳き揚げるために設置されたレール上の船を載せる台がそろばん状に見えたため、通称「ソロバンドック」の名で親しまれています。 1866年、薩摩藩は外国から買い入れた蒸気船の補修が必要となり、トーマス・ブレイク・グラバーが薩摩藩士ら(維新十傑の1人小松帯刀・英国に留学した五代友厚)と計画し、スコットランドから曳揚げ装置一式(ボイラー、堅型2気筒25馬力の蒸気機関、歯車曳揚げ装置)を取り寄せ、1869年(明治元年)に完成しました。 このドックは、翌年明治新政府が買収、長崎製鉄所が管理し、1887年(明治20年)に三菱へ払い下げられた後は、日清戦争、日露戦争と戦争が続いた事もあり、軍艦や商船などの建造が大型化していくとともに、厳しくなり1953年(昭和28年)に閉鎖になりました。 その意味では小菅修船場は日本の近代造船所発祥の地ともいえます。 また、曳揚げ小屋は現存する日本最古の本格的な煉瓦造の建物です。 |
これかー | おおー |
帰りは、第三船渠の奥まで見えました。 |
すごいなー |
稲佐山が見えますね。 |
福山雅治がコンサートしているところですか |
グラバー邸が見えますね。 |
そういえば行ったことないなぁ |
海上保安庁の巡視船もいますね。 |
PL05 巡視船 でじま 第七管区ですな |
-12:55- 常盤第2桟橋に戻ってきました。 下船と共に解散です。 いやー、観れてよかった。 ありがとございますー。 |
お世話になりましたー |
有料駐車場の清算して、車に乗り込み、では昼食行きますか。 長崎市内は駐車が厳しいので、今回は伊王島に行ってみようと思います。 R499を南下しますよ。 |
コスタ・ビクトリア号 やっぱりでかい |
小菅修船場跡を通過します。 駐車場ないので、止められませんね。 |
ここかー | ここを降りていくんだ |
女神大橋の下をくぐります。 |
でかーい | きれいだねー |
県道29号に入ります。 三菱重工香焼工場のあたりを通過していきます。 |
風力発電の工場もあるぞ |
海沿いを走ります。 |
いいねー |
県道250号に入り、伊王島大橋を渡ります。 |
≪クリックで動画再生≫ "Purple Haze"Jimi Hendrix こういうところはやっぱりバイクで走りたいなぁ |
まぁ車でも気持ちいいけど | 高島のほう |
長崎港のほう | まもなく伊王島 |
伊王島に上陸し、県道118号に入りますよ。 カトリック馬込教会のそばを過ぎます。 |
きれいな教会ですねー |
-13:25- 「長崎温泉やすらぎ伊王島」にやってきました。 この中に、「網元食堂」ってレストランがあるみたいなんですけど、うーん看板とか出ていないなぁ。 まぁ、いいか。入ってみよう。 |
島風の湯です |
ガラガラっと引戸を開けると、温泉施設ぽく靴箱が並んでいますねー。 フロントっぽいところの人に聞くと、ここに「網元食堂」はあるそうです。 温泉浸からず、食堂利用だけでもOKってことで、中に入ります。 家族風呂の横を過ぎ、「網元食堂」にやってきました。 |
この先かぁ | 家族風呂が並んでる |
案内されて、席に着きます。 さて、何を食べるか・・・。正直そこまでリサーチしてなかったのですよねー。 多分、夜は魚出るし。 |
これよさげ | 地元の人たちかな | これもおいしそう |
ということで、かなり悩んだ末に、淡麗潮そばと、和牛すじ肉煮込み丼をオーダー。 潮そばだけだと少ないような気がしたので(笑) しばし海を眺め待っていると、先に和牛すじ肉煮込み丼がきました。 |
和牛すじ肉煮込み丼 |
いただきまーす。 おー。これはなかなかうまいぞー。温泉玉子を絡めていい感じ。 続いて淡麗潮そばが来ました。 これは三度楽しめる蕎麦だそうです。 蕎麦と言っても中華蕎麦ですよ。 |
スッキリスープでした |
最初は蕎麦だけをいただきます。 次に薬味を入れていただきます。 最後は残った出汁に焼きおにぎりを投入し、崩していただきます。 おー。これは斬新。いいねー。 満足しました。 ごちそうさまでしたー。 |
ビーチがありますね |
時間あれば温泉にも浸かりたいところですけどねー。 時間がないので次行きます。 県道118号をそのまま走ります。 急に道が狭くなりますねー。 -14:15- 伊王島灯台にやってきました。 この灯台は1866年(慶応2年)、幕府がアメリカ、イギリス、フランス、オランダ4カ国との間で締結した江戸条約で設置を約束した8カ所の灯台の一つです。「日本の灯台の父」と呼ばれたリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1871年(明治4年)に日本最初の鉄造六角形灯台として完成点灯しました。 |
この先かな | 説明 |
では灯台へ歩いて行ってみましょう。 ここは、高倉健主演の映画、「あなたへ」のロケ地にもなっていたそうです。 |
ほほう | このアングルで出ましたかね |
灯台までやってきました。 |
説明 | おーこれかー |
ブラントンの設計した灯台は、長崎原爆により損傷を受け、1954年(昭和29年)に四角形の鉄筋コンクリート造で修復されました。ただし、ドームは建設当時のものを利用しています。 2003年(平成15年)に現在の六角形の姿で再建していますが、ここでもドームは再利用されています。 つまり、ドーム部分は明治の初めにブラントンの設計により建設されたものがそのまま残っているということになります。 |
説明 | これが昔の基礎 |
ちょっと下ったところに、伊王島灯台旧吏員退息所があるようですね。今は灯台資料館になっているようなので、行ってみましょう。 この旧吏員退息所は同じくブラントンの設計で1877年(明治10年)に完成しました。日本最古の無筋コンクリート構造で、近代化産業遺産に登録されています。 |
説明 | 無人の資料館 |
中見てみましょう。 |
フェートン号の模型 | 一般的なポルトガル船 |
近代化産業遺産のプレートと認定証が、無造作に置かれていますよ。 |
暖炉のところに | 大丈夫かいな |
実は、プラントンが灯台を建ている前に、既に鋼製の六角灯明台があったそうです。 |
左が灯明台 |
おお!?灯台カードなんてのやっているのか?? |
七管だけのオリジナルかなぁ |
初点灯の記念プレートもあったり。 |
1870年ですよ |
伊王島灯台の示す範囲の図がありました。 |
結構遠くまで光が届くんだね |
四等レンズとかありますよ。 |
おおー | 二神島灯台のだったのだ |
通信機器ですかね。 |
昔のですね |
離れには、五右衛門風呂がありました。 |
薪で炊く風呂 |
ということで見学終了。 |
これが当時のままの建物かぁ |
またてくてく駐車場に戻りますよ。 しかし今日も暑いですねー。 少し歩いただけで汗だくです。 おや?道標があるなぁ。 |
長崎要塞?? | 明治32年 |
まぁ、こういうところは軍事上の要所ですからね。 過去、そういう歴史もあったのでしょう。 旧旗立所ってのがありました。 |
解説 | 見える範囲・・・。薄くてわかんない | こんな感じのとこ |
景色をパノラマしてみました。 |
うーん・・・。 |
ということで、灯台終了。 |
また来るかな? |
ここは、一帯が公園として指定されているようですね。 |
案内図 | 訪れる人少ない |
さあ、後は熊本まで走ってうまい酒呑むぞー。 県道118号を戻り、伊王島大橋を渡ります。 |
≪クリックで動画再生≫ "Take Cover"Mr. Big 帰りのほうが景色はいいな |
海に向かう感じ | いいねー |
長崎港のほう | 気持ちいい | そして九州本島に戻る |
香焼の桟橋に黄色い遊覧船が停泊していました。 行きも気になったのですが、どうやらFRONTIERって船のようですね。 |
黄色いのいるよね |
県道250号を走り、R499へ。 県道237号に入ります。 そして県道51号へ。 |
自動車専用道へ |
-15:05- 長崎道・長崎ICから高速です。 |
さぁ高速で熊本へ |
長崎空港へ行く飛行機ですかねー。 目の前を横切っていきました。 |
関西から1時間くらいかな |
帰りも工事で1車線規制ですな。 |
うー | トンネルの関係工事 |
しばらく走ると、また工事規制。 |
平日だし仕方ないか |
海を眺めながら走ります。 |
大村湾です |
-15:30- 佐賀県に入ります。 |
佐賀ー |
藩士なら反応しちゃうよなぁ。 |
嬉野先生! |
-15:35- 武雄JCTを通過です。 |
西九州道乗ると佐世保方面かぁ |
そしていまた工事規制。 |
うがー |
またまた工事規制。 |
今度は走行車線が規制 |
災害救助部隊が走っていました。 消防と自衛隊が混ざっていましたが、たまたまかな。 |
長崎県の消防隊 | 小倉の第40普通科連帯 | 島原広域消防とか |
-16:05- 鳥栖JCTで九州道へ。 まっすぐに行かない鳥栖JCTは若干面倒なんですよね。 |
まずは熊本・大分方面 | ぱっと見は隣車線と重なってわかんなくなりそう |
次は左に行きます | で右に 左行くと長崎に戻れちゃう |
-16:10- 福岡県に入ります。 |
また明日来るよ |
筑後川を渡ります。 |
いつ見ても特徴的な橋 上下線が一体 |
災害派遣の自衛隊燃料車が。 高良台分屯基地って、明日行く高良大社のあたりかな。 |
重機とかの燃料かな |
-16:25- 熊本県に入ります。 |
ちょっと遅れているなぁ |
まぁ、急いでもそう変わらないからのんびり行きましょう。 |
そしていまた工事規制 |
-16:45- 九州道・熊本ICで高速を降ります。 |
熊本ー |
R57を走って行きますが、夕方の渋滞の模様。 ナビが抜け道を示し、県道145号を走って行きますが、やっぱり途中で渋滞。 |
現在17:03 2km進むのに10分ほどかかるのか??時速12km・・・。 |
むー動かない |
なんとか動き出し、県道28号までやってきました。 |
白川沿い | 市電道だ |
県道28号からR3に入ります。 |
いいね市電 |
市電道慣れていないから、線路横切る時とかちょっと躊躇しますね。 新市街のほうに入りますが、またしても一度で行き着けない(泣) ようやく本日のお宿、「東横イン熊本新市街」にやってきましたが、駐車場が満車らしい。 「どこか提携駐車場ない?」と聞くと、歩いて5分くらいの「パス―ト24」というところがそうらしい。 仕方ないので、そこまで行きます。 そして、ようやく駐車しました。 |
JADEまた明日ねー |
てくてく歩いていきます。 |
レトロな市電 |
花畑広場では「熊本オクトーバーフェスト2017」を開催中でした。 |
今7月ですけどいいんですか? |
-17:35- ということで、ようやくチイェックインです。 |
本日の東横イン |
荷物を置いて、すぐ呑みにでかけましょう。 |
Wi-Fiパスワードが変わるって |
てくてく歩いて、酒場通へ。 |
酒場通ですよ | こんな感じ |
-18:00- いつもの「七福神」さんにやってきました。 |
きましたー | お店は2階 |
一番客でした(笑) 大将にお土産渡して、では乾杯。 |
お通しはひじき こういう一筆がうれしい |
18:00 大将にかんぱーい |
大将お任せでお願いします。 |
馬刺 | 馬レバー |
暑かったし、ビールがうまい!! |
18:04 2杯目 |
ほっとするなぁ。 |
かわはぎ刺身 |
ビールやなくて、焼酎いきますか。 |
18:14 三岳 ロックで 屋久島の芋焼酎ですな |
くああー。うまいぜ。 |
辛子蓮根揚げ | 太刀魚塩焼き |
カウンター席は、入口に一番近いところが大将曰く一番いい席だそうで、常にそこです(笑) |
いい景色 |
板場のムラタ君は相変わらずでした。 人は変わるものだけど、ムラタ君だけは成長なく変わらない。などと大将は言っていましたが(笑) |
18:26 万膳 ロックで なぜかワイングラスでいただく 霧島連山にある蔵の芋焼酎 |
今日はタコがいいの入ったそうです。 |
たこぶつ | シャコ天 |
今日も大人気ですねー。 飛び込みの人はお断りされています。 |
18:49 池の露 ロックで 天草の芋焼酎 |
いつものお姉さんもやってきて、しばしお話など。 女性の話す熊本弁って、なかなかいいんですよねー。 九州ってどこ行ってもその傾向あるかも。 |
らっきょいただいた |
ということで、酒も進みます。 |
19:03 ひばり 熊本の日本酒です |
大将文庫も健在です。 |
いろいろ勉強されています |
お任せ以外で桜納豆をオーダーしました。 馬肉と納豆です。 |
桜納豆 これ好きなんですよね |
そろそろおなかいっぱいになってきたかな。 |
牛すじ 柚子胡椒で食べるとさらにおいしい |
最後にもう1杯呑むか。 |
19:28 天草・ロック 麦焼酎 |
アフリカ岩塩も変わらずありますね。 |
でかい塊 | ゴルフのスコア | 「川」が大将 |
最後に寿司が出てきました。 |
おおーステキー |
ということで、おなかいっぱい、酒もたらふく呑んで、楽しい時間を過ごさせていただきました。 ありがとうございます。 また来ますねー。 てくてく歩いて、宿向かいのコンビニでちょっと買い物。 -20:10- 宿に戻ってきました。 |
コーラとガリガリ君買った |
寝てしまわないうちに、風呂して、サッパリしてから早めに寝ましたよー。 本日の走行距離 499km 通算の走行距離 519km いやぁ。やっぱり熊本ナイトは楽しいなぁ。 今日は軍艦島にも上陸できたし、走行はほとんど高速移動だけでしたが、充実した1日でした。 明日は大分中津に向かいますが、道はどうかな・・・。 明日もいい1日でありますように。 |
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