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父親が、本当は昨年傘寿のお祝いをするところだったのですが、なんやかんやドタバタしていてできずじまい。 そこで、満年齢にはなりますが、誕生日までにってことで、父親の傘寿と、叔母が数えで傘寿なので、2人のお祝いをすることにしました。 姉と2人で企画して、本日となりましたよ。 場所は、「白鹿クラシックス」という、灘五郷のうちの西宮郷にある、白鹿酒造の直営レストランです。 白鹿酒造は、他にも「白鹿記念酒造博物館」もあり、ほぼ地元ながらも行ったことがないので、ちょっと早めに行って、見学をすることにしました。 4月末には記念品とかを準備していたので、あとは当日、お花持って行けばいいな。 今回のレポは、ちょっと文章がいつも以上に多いですが、気になさらずにー。 -09:40- では行きますかね。 てくてく歩いて、阪急・小林駅へ。 西宮北口駅で乗り換えて、今津駅まで行き、阪神電車に乗り換えて西宮駅へ。 EBISTA西宮にあるお花屋さんの、「conoka」さんでアレンジメントをお願いしていたので、受取り、親父と合流。そしてタクシーで「白鹿クラシックス」へ。 -10:45- 「白鹿クラシックス」にやってきました。 前日、最終確認の電話がかかってきた時に、プレゼントとお花を先に預かってもらい、博物館見学をしたい旨を言っていたのですが、レストランには誰もいないな・・・。 仕方ない、ショップの店員さんにお願いしました。 「黒松白鹿」としたブランド、「白鹿」は、屋号は「辰馬本家酒造」と言います。 1662年(寛文二年)、創業者である辰屋吉左衛門が初代辰屋(当時の屋号)で創業。酒造をはじめます。その後、海漕業や金融業などに拡大していったそうです。 白鹿グループの中には関西の有名進学校である、甲陽学院中学校・高等学校がありますが、これは灘の嘉納治郎右衛門(菊正宗酒造)、嘉納治兵衛(白鶴酒造)、山邑太左衛門(櫻正宗)によって設立された灘中学校・高等学校と並び、酒造メーカーが設立した学校としても著名です。 灘五郷については、先日の叔父の十三回忌の時にも書いたので(こちら)詳しく書きませんが、灘の酒造業が江戸向けの銘醸地として発展したのは、亨保期以降、つまり18世紀以降でした。その要因となったのは、高度な酒造技術や西宮の一角から湧き出る良質な水=宮水が挙げられますが、その他にもいくつか要因があったようです。 ひとつは、六甲山系の急流を利用した水車の存在で、これまでの足踏み精米に比べ、水車によって精白度を高めたと共に、精米量の飛躍的な増大により量産化の道を大きく開きました。 良質な原料米が集まる兵庫津や大阪に近いという恵まれた立地条件も功を奏しました。 さらに、灘地域は船積みの便に恵まれていた上に、西宮に樽廻船問屋ができたため、その発着点になるなど、輸送体制が着実に強化されたことも発展の大きな要因です。 江戸へ輸送する際には海路を使った樽廻船で運ぶことができ、陸地からの輸送よりも早く大量に出荷することができました。また、その際に樽の杉香が清酒に移り、熟成されることにより酒質も向上。「灘の酒」は江戸での人気を得て、江戸後期には江戸の酒の需要の8割を供給したと言われています。 江戸の繁栄とともに酒造業界は発展を続け、灘目一帯には千石造りの酒造蔵が建ち並び、その盛況ぶりを物語りました。 しかし、明治維新を迎えるとそれまで営業特権を保証されてきた灘五郷の江戸積み酒造株体制は、大きな時代の変革に巻き込まれます。 維新政府は、江戸時代の酒造株に対して酒造鑑札書替料を徴収。灘五郷の株高五十万石余りに対し、十万両以上という巨額の出費を命じました。 酒造鑑札が「永世の家督」として保証されることを期待して、巨額の出費に応じていましたが、1872年(明治4年)になり旧酒造鑑札は没収され、新鑑札が交付されます。 新しい鑑札は、新規免許料金二十両と、免許料として酒造稼人1人につき毎年五円を納めると、誰でも酒造業を始めることができるというものでした。酒造特権は消滅し開業が自由になったため、全国の地主たちは一斉に酒造業を始めました。こうした地主酒造家の台頭によって灘酒造業は受難期を迎え、全国的な競争体制の中に投げ出されてしまったのです。 その後、酒造業の近代化に向かって組織や技術・流通機構の改革を試み始めました。 江戸時代の酒造蔵から酒造工場へとイメージを一新。急速に市場も拡大し、日清戦争を契機に灘五郷の地位は再び確立されたものの、昭和に入り世界規模で起きた経済恐慌、日露戦争を発端として戦時体制下になり、第二次世界大戦をはさんで転業者・廃業者が続出しました。 戦後、一定の復興を見せたものの、1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災では、白壁土蔵造りの酒蔵や赤煉瓦の酒蔵などが崩壊し、伝統的な景観が大いに損なわれました。その痛手からいくつかの中小蔵元が止む無く廃業に追い込まれ、灘五郷酒造組合員数は51社から42社へと減ってしまったのです。 現在では大手日本酒メーカーの多くが灘五郷を発祥地及び本社としているほか、現在も中小の酒蔵が点在し、28社が組合に加入しています。 清酒業界も近代化が進む中で、近年昔ながらの酒造りに触れるという事は難しくなってきました。それと同時に酒に関する資料も姿を消しつつあります。 「黒松白鹿」醸造元の辰馬本家酒造株式会社は、日本人の生活文化遺産である酒造りの歴史を後世に正しく伝えていく事を目的とし創業320年にあたる1982年(昭和57年)に白鹿記念酒造博物館を設立し「酒蔵館」と「記念館」で構成された博物館を開館しました。 しかし1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では「記念館」は残ったもののレンガ造りの「酒蔵館」は全壊してしまいました。現在の「酒蔵館」は江戸時代末期の火災を経て1869年(明治2年)に復旧し1945年(昭和20年)の戦火も阪神・淡路大震災での倒壊をも免れた酒蔵で、辰馬本家の本蔵と呼ばれていたものです。震災3年後の1998年(平成10年)に「明治の酒蔵が帰ってきた」をコンセプトに復興しました。 さて、前置きが長くなりましたが、では、博物館見学です。 「白鹿記念酒造博物館」の、まずは「酒造館」から行きましょう。 「酒蔵館」の正面玄関は、長屋門をイメージしています。この入り口横にかけられている幕は、「太鼓幕」と呼ばれるものです。また、幕に書かれた「酒」という文字は江戸時代の文人の1人として知られている亀田鵬斎の字だそうです。 |
長屋門のイメージ | 「酒」 |
門をくぐると、菰樽が積まれています。 |
おー |
「酒造館」の受付で記念館・酒造館の共通入館券となります。 記念の来館記念の清酒ボトルがいただけますよ。 では見学しましょう |
昔の蔵の棟瓦 | ここにも瓦 |
板石道があります。 昔、西宮の路地は高い酒蔵で両側が迫っていたため、暗くタヌキがよく出たそうです。その中を、宮水を運ぶ大八車が行き来しました。この大八車が走りやすいように石をレール状に敷き、その道は港へとつながり、これを板石道と呼びました。 |
酒蔵 | 板石道 | 大八車 |
蔵は大きな樽を内部に置いていたので、背が高いですねー。 |
平屋ですけど |
建物前には、つるべ井戸がありますね。 昔は、「秋洗い」といって、酒造りを始める前に、秋になると、酒造道具を洗い、点検したそうです。 ここで大桶などを洗っていたようですね。 |
お庭というより作業場 | 井戸 | つるべ井戸 |
では建物内へ。 酒林がありますね。 |
いわゆる杉玉 | 新酒ができたお知らせ |
軒下がなんともいえずいいですねー。 |
ほっこりする |
「洗米・浸漬」のところから見ていきましょう。 |
作業場風景 |
灘が清酒の大量生産ができたのは、先にも書いたとおり、水車精米をしたことにより、飛躍的に高い精白度で精米ができたことで、量も、そして質も向上できました。 「灘酒沿革誌」によると、一つの水車小屋には100〜150個の臼があり、それぞれに一斗(15kg)の玄米を入れ、1分に50回挽くとあるそうです。 精米歩合82%(18%削る)にするのに、24〜48時間かかったそうです。 明治頃の酒造米は、今では播州米(山田錦)が主流ですが、当時は摂津の米が一番良いとされていたそうです。 現在、酒米として代表的な「山田錦」の母体である「山田穂」は明治20年代には既に播州では酒米と使われていましたが、今の山田錦のように主流の酒米にはなっていなかったようですね。 「会所部屋」を見ます。 蔵人の部屋ですね。 |
個室は杜氏だけはあったそうです |
蔵人の一日は 1:30 総起き。蔵人全員が起きる時間。(釜屋は2時間前から起きて蒸米の作業) 2:00 甑取り、麹づくり、仕込みなど 5:00 朝食(15分)、ズル(仮眠・1時間半〜2時間) 7:30 道具の洗浄、掃除 10:00 昼食(15分)、1〜2時間の昼寝、麹、?の点検、櫂入れ 16:00 夕食(30分)、入浴、風呂上がりの作業(添仕込みの水汲み、添、仲の櫂入れ、ムシロの準備など) 風呂上がりの作業が終わると自由時間になるのですが、交代制の作業があるので、睡眠時間は平均4時間くらいになっていたそうです。 今では有名な丹波杜氏も、元々、江戸幕府体制では農民が田畑を離れることを良しとしていませんでしたが、1800年(寛政12年)に丹波・市原村の清兵衛父子による藩主への直訴で百日間の出稼ぎが初めて許されました。 今でも毎年秋の結団式には、丹波杜氏組合全員で、篠山城址にある清兵衛の顕彰碑に詣でるのが習慣になっているそうです。 麹室に来ましたよ。 |
麹の出来るまで | 麹室 |
昔の酒蔵の遺構があります。 |
へー |
酒絞りの工程です。 |
重さかけたのだね | 酒袋自体の荷重で出てきた「荒走り」はにごりが大きいのでもう一度酒袋に入れて搾りなおした |
酒絞りの作業は、蔵人全員で行ったそうです。 大桶一本のもろみを二昼夜かけて搾り、一度に使用する酒袋は約1,600枚にも及んだそうです。 酒造りの道具がいろいろありますね。 |
いろいろ | これ酒絞るやつだ | 昭和8年の樽 |
打刻かなぁ。型ありますね。 |
焼き印かな | アップ |
「樽詰・出荷」です。 |
大正の頃の売り出しチラシ |
瓶の値段が書かれたものがありました。 |
1905年(明治38年)のもの | へーおもしろい |
下り酒については、1727年(享保12年)から始まった行事で、約10隻の回船が大坂または西宮を同時に出帆し、江戸・新川までの速さを競うものが「新酒番船」と呼ばれました。 1789年(文化2年)からは西宮港からの出帆のみとなり、3位以内の新酒はその年の酒の基準となりため、関心を持たれていたようです。 江戸への到着日数は、通常の回船が20日程度だったのに対して、一番船は4〜5日という速さだったそうです。 |
これはスタンプみたいなのだな |
仕込み風景の人形もいましたよ。 |
ほほう |
1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の際には、ここの蔵も倒壊してしまいました。 個人住宅とかなら、役所手配の業者さんがガレキ撤去をするのですが、ここはあまりにも多くの古くからのものがあったので、片づけは自前でしたそうですよ。 |
わぁ | 当時の写真 | 白い洋館が辰馬家かな |
こんなだったよなぁ当時は | 震災前の姿 | うわぁ |
ぐい飲みのコレクションがありました。 |
楽しそう |
仕込んでいますねー。 |
もろみ状態の頃かな |
なんか、菊の御紋が入った額がありますね。 |
証明書みたいなものかな |
製造工程の絵巻みたいなのがありました。 |
結構わかりやすい | 酒蔵は蔵人18人で編成されているらしい |
酒蔵の断面模型がありました。 |
へー |
ということで、見学終了しました。 次は、道を挟んで向かい側にある「記念館」に行きます。 |
タイルいっぱい | 向かいの建物の向こうに白い洋館 |
-11:15- 「記念館」にやってきました。 「記念館」正面には「酒林」があります。 いわゆる「杉玉」ですが、「酒林(さかばやし)」は「酒箒(さかほうき)」がなまったものといわれていて、箒(ほうき)には「憂さを酒で掃く」意味がこめられています。 日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たします。 一般的に酒林が緑から茶色に変わるのが夏から秋にかけて、ちょうどひやおろしが美味しくなる季節になります。 この色の変化がまた人々に、新酒の熟成の具合を物語ることになるわけです 。 今日では、酒屋の看板のように受け取られがちですが、元々は酒の神様に感謝を捧げるものであったとされています。 この酒林の起源は諸説あるようで、その中でも最も有力なのが奈良県の桜井市にある大神神社を由来とするもののようです。 この大神神社は主祭神である大物主大神が酒造りの神とされていて、毎年11月14日に醸造安全祈願祭(酒まつり)で拝殿に杉玉が吊るされる習慣が全国に広がり、酒屋や酒蔵では杉玉を吊るすようになったそうです。 |
でかいねー | 直径90cm 重さ100kg |
では館内へ。 館内は撮影禁止です。 今は、「笹部さくらコレクション展」が開催されていました。 植物学者で「桜博士」といわれた故・笹部新太郎氏が桜の研究のかたわらに収集した数千点にも上る桜関連の美術工芸品などのコレクションや桜研究の資料が、本人の遺言により西宮市に寄贈されて、西宮市から財団法人白鹿記念酒造博物館付設笹部さくら資料室に寄託保管されています。 春はこの「記念館」でコレクション展を開催しているようですね。 ちなみに、笹部新太郎氏は、大阪造幣局の桜の通り抜けでの桜の管理・指導もされたそうです。 ということで、「記念館」も見学終了。 |
記念館でした |
「白鹿クラシックス」へ向かいます。 |
なんだあれは・・・。お釜を裏返したのか |
てことで、「白鹿クラシックス」にやってきました。 |
「白鹿クラシックス」です | ここにも酒林 |
今回は個室を予約していました。 叔母と、姉夫婦もやってきましたよ。 |
御献立 | 酒いろいろ | いいねー |
-12:00- では、傘寿のお祝いをしますか。 |
前菜 |
最初はビールにしましたが、やっぱりここで呑むなら酒だなぁ。 |
5月なのでカーネーション |
ということで、西宮郷 大吟醸生貯蔵酒、白鹿クラシックス生酒、しぼりたて原酒 辛口の利酒セットを試しましょう。 |
利酒セット |
しぼりたて原酒 辛口がいいなぁ。 |
造り | 椀物 |
ということで、いきます。 |
しぼりたて原酒 辛口 |
お料理も続きますよ。 |
煮物 |
sakeハイボールってどんなだろう。 |
呑んでみた | パートナーのmisenさんは和sakeサングリア |
親父には、sakeハイボールは薄いと不評でした(笑) で、食べます。 |
揚げ物 |
ちょっと中休み。 |
箸休め 吟醸粕入り自家製豆腐 |
そしていまだ食べる。 |
鍋物 鯛と春野菜のしゃぶしゃぶ |
そして〆です。 |
御飯 |
デザートですよー。 |
デザート 甘酒ジェラート |
最後に、記念品とお花、私のパートナーのmisenさんの書を贈呈して無事終了です。 終了後、叔母がお茶しに行こうという提案を。 すぐ近くの、「アンリ・シャルパンティエ」の酒蔵通り店のカフェに行きますよ。 -14:35- 「アンリ・シャルパンティエ」にやってきました。 |
酒蔵通り店 工場併設です |
ありゃー。混んでいますね。 しばし待ちます。 20分ほど待って、座れました。 クレープ・シュゼットがおいしいらしいので、1人前2枚なのですが、みんなおなかいっぱいだし、3人前頼んでシェアすることにしました。 もちろん、飲物は人数分言いますよ。 しばし待つと、何やらワゴンが。 目の前で仕上げをするようです。 薄く手焼きをしたクレープを、銅製の片手鍋に入れ、バター、オレンジ果汁を加えて加熱し、オレンジリキュールの一種のグランマルニエでフランぺして香り付けします。 |
おー | ≪クリックで動画再生≫ "Kiss"Prince フランペー!! |
できあがり |
すごーい。 そして、おいしい。 オレンジの風味がなんとも言えない。 しばらくいろいろお話していましたが、そろそろお開きしますか。 姉夫婦が親父を家まで車で送ってくれるそうです。 叔母は家近所なのでここで解散。 てくてく歩いて阪神・西宮駅まで行き、電車に乗って帰りましたよ。 いやいや、いろいろ企画して、調整して、なんとか喜んでもらえてよかったです。 今度は米寿のお祝いができるといいですね。 |
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