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長崎(軍艦島と五島列島の旅) (2014/07/19〜21)
第1日(7/19) 第2日(7/20) 第3日(7/21)
以前から軍艦島に行ってみたいと思っていた。
かなり朽ちてきているため、そのうち上陸できなくなるかもと言うことだったので、行ってみたいなぁと考える。
今年の夏は仕事が忙しく、いつ行けるかなかなか予定が立たない。
ようやく行けそうなのが、海の日の連休だとわかった時は、もうあと一ヶ月もない頃。
軍艦島に行くため長崎に行くなら、五島列島も行きたいなぁと考える。
2泊3日で行けなくはないな・・・。
というわけで、ざっとプランニングして、宿、交通手段などを押さえにかかる。
どれもこれも結構ギリギリでした。
さすが三連休だなぁ。
1日目:新幹線と特急で長崎へ。午後から軍艦島ツアー。夜は新中華街
2日目:ジェットフォイルで五島列島へ。福江島に着きレンタカーで島内観光。夜は地元の居酒屋で飲む。
3日目:ジェットフォイルで長崎に戻り、特急と新幹線で帰る。
こんな感じでいきましょう。
6月23日
軍艦島ツアーはすんなり確保。しかし、長崎も福江島も、宿が既に満室でなかなかない・・・。いろいろ調べてなんとか確保。福江島の宿は、レンタカー屋さんもやっているようなので、そこでレンタカーも借りました。
6月24日
仕事帰りにみどりの窓口の寄る。
新幹線は、さくらに乗りたかったが乗りたい時間帯のは既に満席らしい・・・。
しかし、なんとか往復の足は確保できた。
7月17日
7月8日・9日頃に九州を襲った台風8号の影響で、なんと軍艦島の桟橋が破損し、上陸できないことになったと連絡がありました。長崎市からの通達だそうです。
自然相手では仕方ないですね・・・。
週間天気予報は、海の日の三連休は傘マークが残る天気でしたが、直前にその傘マークもなくなりました。
せめて、天気な中で旅行したいですよね。
7月19日(第1日)
-06:00- 目覚める。
-07:00- さて行きますか。
てくてく歩いて、JR宝塚駅まで。
-07:28-
丹波路快速に乗ります。 |
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丹波路快速ですよ |
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新快速です |
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-08:03- 新大阪駅に着きました。
お昼ご飯のお弁当を買って、新幹線に乗ります。 |
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のぞみ99号に乗ります |
まだかなー |
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-08:21- のぞみ99号・博多行に乗りました。
席は車両一番前の席でしたよ。 |
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すぐドアが開いちゃうのが難点 |
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本読んだりして過ごします。
-09:50- さて、ブランチにしようかな。
買ったのは柿の葉寿司でした。 |
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柿の葉寿司ですよ |
三色はいっています |
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下手な幕の内弁当買うよりこういうのがいいなぁ。
-10:30- 関門トンネルを抜けて、九州上陸です。 |
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九州上陸しましたー |
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-10:51- 博多駅に到着しました。
ここで、つばめに乗り換えます。 |
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おおーつばめかー |
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つばめ、中身めちゃくちゃゴージャスですねー。
シートは木材多用で柄も高級感あります。 |
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なんかいいぞー |
木製だ |
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へへー |
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テーブルは、前の席についているのを倒すのではなく、0系とかで懐かしい座席の横から出すタイプでした。 |
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これも木製 いいね |
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雰囲気いいぞ |
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のぞみは座席案内は、日本語と英語のみですが、つばめは中国語とハングルでも書かれていました。 |
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国際的ですね |
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和テイスト満載です |
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-10:57- つばめ321号・熊本行発車です。
そして、15分ほどで新鳥栖駅です。在来線の特急かもめに乗り換えです。 |
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新鳥栖駅です |
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白いかもめ |
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おーいいねー |
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すごいなぁ |
メニューとか |
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-11:19- かもめ17号・長崎行発車です。
1時間ほど揺られていると、車窓には有明海。 |
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海だー |
今は満潮に近いかな |
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-12:49- 長崎駅に到着しました。
かもめ、先頭車両には、車みたいにエンブレムのマスコットついていますねー。 |
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快適でした |
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長崎駅を出て、特に見て行くものもなさそうなので、タクシーで移動します。
軍艦島ツアーを申し込んだ、「シーマン商会」の船は、長崎港の常盤2号桟橋から出航するのですがタクシーで行くなら「水辺の森公園近くのガストまで」と言って乗るのがいいそうです。
タクシーに乗ると、運転手さんがいろいろ道中案内してくれます。 |
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出島です |
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今夜は、稲佐山に夜景見に行こうかどうしようか悩むところなんですが、タクシーの運転手さんに聞いてみると、中華街から稲佐山往復だと、6〜7千円はするそうです。
微妙だなぁ。
タクシーで頂上まで行けるそうですが、頂上駐車場は台数が限られていて、満車で入れなかったらゲートで足止めになるそうです。
むー。夕食次第ってのもあるなぁ。
-13:05- ガストのところで降ろしてもらい、常盤2号桟橋にやってきました。 |
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お あれかー |
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「シーマン商会」の、さるく号がいましたよ。
13時半までに集合ってことだったのですが、早くきすぎちゃいましたね。 |
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船の人いましたよ |
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しかし、もう乗船可能だそうで、一番客で一番いいポジションに座れたようです。
荷物は船内に置かせてもらえましたよ。
船内涼しいー。
船内で受付しました。 |
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上陸できませんが・・・ |
注意書き |
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軍艦島ツアーは、数社が開催していますが、ここを選んだのは、運営しているNPO法人の理事長さんが、高校生になるまでこの軍艦島に住んでいて、生の声を聴けるのと、45人上限の少人数だからということでした。
この船、さるく号は三重県伊勢で造られたのですね。 |
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ブレた・・・ |
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さらば長崎港 |
女神大橋が見えます |
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長崎港には海上保安庁の船が停泊していましたよ。
ここは第七管区・長崎海上保安部になります。 |
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PL05- 巡視船 でじま
1200t級の船です |
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右手に三菱重工長崎造船所のハンマーヘッドクレーンが見えてきました。
1909年にイギリスより購入して、現在も稼働中だそうです。 |
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150tクレーンです |
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「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として、世界遺産候補リストの載っているそうで、この150tハンマーヘッドクレーンや、軍艦島などが構成要因となるそうです。
おー!造船所にイージス艦がいますねー。 |
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176 こんごう型護衛艦4番艦 ちょうかい |
300名も乗船するんだ
1996年進水です |
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No.2ドックの奥に赤錆びたガントリークレーンがあります。
これは太平洋戦争中、日本最大の戦艦であった、大和型2番艦「武蔵」が建造された時にも使われたものでした。 |
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あれかー |
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ちなみにこの戦艦「武蔵」は、基準排水量が65,000tというものだったのですが、ドック式ではなく進水式で造られたため、進水時には対岸に1.5mの津波が押しよせたということでした。 |
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このあたりは床上浸水だったのだろうなぁ |
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女神大橋の下をくぐります。
高さ65mの橋桁は日本一の高さだそうです。 |
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女神大橋 |
愛称はヴィーナスウィングだそうです |
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皇后島(通称:ねずみ島)が見えてきました。
1855年(安政2年)に外国人の遊歩場として開放された島で、その後はビーチがあったので海水浴場になっていたそうですが、長崎港の工業化に伴い、今は泳げたものではありません。 |
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昔野鼠が大量にいたらしい |
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ちなみに、今はこのねずみ島、陸地とつながっていて島ではなくなっています。
高鉾島の案内もありましたが、見えづらかったのでいまた帰りに。
神の島が見えてきました。
ここには「神の島教会」と岬に立つマリア像が見えますね。 |
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教会とマリア像 |
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左手に三菱重工長崎造船所香焼工場が見えてきました。 |
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あれかー |
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この工場は、全長1km、幅100m、深さ10mの「100万t」ドックがあります。
クレーンは1,200t吊りのゴライアスクレーンで、高さ95.5m、幅185mの超どでかいものです。 |
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三菱マークだけでテニスコート1面分 |
すげぇな |
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工場では豪華客船が建造中でした。来年3月に完成する、国内建造の客船では過去最大だそうです。 |
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全長300m 幅37.6m
1643の客室があるそうです |
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その豪華客船が小さく見えるほどなので、いかにこの工場がでかいかわかりますね。 |
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主にLNG船とか造っているらしい |
すごいなぁ |
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夜にはライトアップするらしい |
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3年前に架かった橋です |
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伊王島は元々炭鉱の島だったそうですが、閉山後はリゾートの島として転換しているそうです。
沖合に横島と呼ばれる岩礁が見えます。
ここは元は炭鉱島だったそうですが、地盤沈下で島の大部分が水没してしまったそうです。 |
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これですな |
潜水艦みたいに見える |
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右手に中ノ島が見えてきました。
軍艦島には火葬場がなかったので、軍艦島で人が亡くなると、この島に運んで火葬したそうです。 |
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中ノ島 |
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おおおー! |
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軍艦島は正式名を端島と言い、1869年(明治2年)に長崎の六海商社が採掘を開始しましたが翌年廃業。
次に旧鍋島家当主・鍋島孫六郎に経営権が移ったもののうまくいかず、三菱が買収し本格的に採炭が始まりました。
その後、国のエネルギー施策の転換により1974年(昭和49年)に閉山となるまで、24時間体制で堀り続けられ、約1,570万tの石炭を産出し、八幡製鉄所への燃料炭の供給をはじめ関西地方のガス会社への供給などによって日本の近代化を根底から支えました。
島は本来南北約320m、東西約120mの小さな瀬であったのが、その後6度の拡張により南北約480m、東西約160mとなりました。それでも小さな島ですが、坑道の最深部は1,000m以上にもなっていたそうです。
人口密度は1960年(昭和35年)の最高時で1haあたり1,400人ほどにもなる、東京都の約9倍にもなる世界一の過密さで、それを支えたのが当時ではありえなかったほどの高層ビルの建物群でした。
その姿が、長崎造船所で建造された戦艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれることになったそうです。
閉山後立ち入りは禁止されていましたが、2009年(平成21年)より観光客が上陸・見学できるようになりました。
さー、島をどっち回りで船は進むんだろうか・・・。
案内によると反時計回りとのこと。ラッキー。左一番前の席はベストポジションだー(笑)
まずは、ドルフィン桟橋に近づきます。 |
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当時の桟橋をそのまま使っています |
桟橋から島への渡り廊下が破損
手すり倒れているしコンクリート壁も倒れていますね |
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3号棟が見えますね。
職員(管理社員)住宅で、唯一内風呂を備えたものでした。 |
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偉い?人ほど高台へ |
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ここに架かっていたそうです |
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70号棟が見えてきました。
端島小学校・中学校となっています。当初は6階建で、後に7階を増築したそうです。 |
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70号棟の7階は台風が来たらいつ壊れてもおかしくないそうです |
3号棟 |
祠だけ残った端島神社 |
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65号棟と70号棟
手前の低いのは資材倉庫 |
煉瓦の壁 |
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70号棟は学校なので窓は大きい |
65号棟の屋上には幼稚園があったそうです |
少し離れて全景を観ます。
軍艦島の坑道は九州側にあり、建物は外洋側にありました。
台風が来た時は、建物が台風での波除の役目を果たしていたそうです。 |
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70号棟 65号棟
右手の低いのは69号棟・病院です |
こっちからは海上都市だな |
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70号棟の学校は、密集して建っているこの島の建物の中でも、できるだけ子供たちには光を届けたいということで、窓がかなり大きくとられています。 |
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7階本当にヤバそう |
65号棟は317戸ありました |
65号棟は島民にも人気だったそうです |
屋上の幼稚園ってのが残っているのかよくわかりませんでした。 |
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これかなぁ |
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屋上幼稚園には滑り台もあったそうです。
69号棟の病院には、68号棟の隔離病棟が付随していました。 |
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白いのが隔離病棟です |
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当初、島は上水道がなかったので、赤痢なんかが発生したこともあったそうです。
学校は本当に窓が大きく骨組みだけのように見えますね。 |
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学校前の建物は小学校教員・家族アパート「ちどり荘」です |
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学校には25mプールもあったそうで、本土で長崎県大会とかあると、端島の子供たちは泳ぐのが速かったそうですがそれも25mまで。
島には50mプールなんてなくて泳いだことなかったので、大会で泳ぐ50mプールが初ですからね。
外洋側へまわっていきます。 |
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すごいなぁ |
手前の低いのは鉱員住宅の67号棟です |
北端からの眺め |
白っぽい護岸は破損したのを後に復旧したところです。
65号棟をアップで見てみます。 |
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廃墟だね |
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66号棟・啓明寮
鉱員住宅 4階建です |
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かなり傷んでいますね |
6本の管?は排水管とか言っていたような・・・ |
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66号棟の南には59、60、61号棟と妻側を向けて建っています。 |
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こっちの面は波除だなぁ |
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新しい灯台がありますね。
24時間採炭していた頃は、煌々と明かりが灯っていたので、灯台など不要でしたが、閉山してからは灯台が必要になり設置されたそうです。 |
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まだきれいな灯台 |
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66号棟、59、60、61号棟はかなり朽ちてきています。 |
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端島神社の祠も見えます |
これだけ残ったのは神の意志ですかね |
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48号棟、39号棟(公民館)、31号棟が見えます。 |
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南の端のほうです |
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48号棟の後ろに14号棟、その後ろに3号棟が見えます。 |
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下層は太陽の光浴びないね |
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残骸だらけの上に貯水槽と灯台 |
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31号棟が見えてきました。
下層に大きな穴がありますね。この穴は炭坑からボタを海に捨ているために31号棟を貫通して海にベルトコンベアが通っていたのでした。 |
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隣に住んでる人はうるさかっただろうなぁ |
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できるだけ波の影響受けないように建ていたのかな |
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57号棟の屋上には、各戸の台所用煙突が立っていますね。 |
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煙突です |
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後ろの日給住宅の防護壁になっているなぁ |
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51号棟の後ろにある16〜20号棟などでは屋上菜園があり、子供たちが本土に行った時に、野菜がどう成長するのか知らなくて恥をかかないように野菜を植えていたそうです。
51号棟の1階は商店、48号棟の地下にはパチンコ屋なんかがあったそうです。 |
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左の51号棟は8階建 |
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木造の職員住宅だった8号棟や12号棟、寺院などの木造建築は残骸となっています。 |
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手前の土台が12号棟
後ろは8号棟で共同浴場が残っている |
現存するもので一番新しい13号棟は1967年(昭和42年)建築です |
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高級職員住宅の3号棟のみが、唯一東西の景色を眺めることができました。 |
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一等地 |
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貯水槽と灯台が見えますね。
1957年(昭和32年)に上水道が野母半島から当時の金額で3億1千万円をかけ6.5km敷設するまでは給水船が毎日水を運んで山の上の貯水槽送り、そこから各家庭に配布されていたそうです。 |
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これがその貯水槽 |
その隣に今は灯台 |
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31号棟の真横にきました。
31号棟は6階で建てられ、その後北半分に2階増築されていますが、現在ではその2層の増築部分は崩れて無くなっています。 |
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31号棟です |
ベルトコンベア貫通部 |
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そして最後に見えてきたのが、日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパートです。
1916年(大正5年)に建てられた下請飯場となっていました。 |
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30号棟です
ロの字型の建物です |
6畳一間台所付で上にピョコピョコ出ているのはその煙突です |
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すごかった |
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南西の沖合には、三ツ瀬と呼ばれる岩礁があり、軍艦島から海底下を約2.5km掘り進んで三ッ瀬の近くまで石炭を採炭していたそうです。 |
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あそこまで掘り進んだんだ |
望遠しなかったらこんな感じ |
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最後に、軍艦島たる所以の眺めの位置に船を向けてくれました。 |
今回は残念ながら上陸できませんでしたが、実はGoogleマップのストリートビューで島内見れるんですねー。(位置はこちら)
-14:40- 次に、軍艦島を離れ、高島に向かいます。 |
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中ノ島です |
ここで火葬とかしていました |
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あれですな |
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結構船員さん多く乗り込んでた |
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乗ってきた「さるく号」 |
ブラックダイヤモンドって名前の他社の船 |
しばらく待っていてねー |
ここには、三菱の創始者、岩崎彌太郎の銅像があります。
三菱はこの島を始めとする炭坑での採炭と、長崎造船所で会社を大きくしたことは間違いようのない事実で、ここがなかったら三菱も大きくならなかったかもしれませんね。 |
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高島町が建ていたのだ |
土佐藩士だった岩崎彌太郎 |
最初に石炭が見つかった場所を指しているそうです |
高島炭坑は、江戸時代中期以降、佐賀藩が採掘し、幕末にグラバー商会をパートナーにして近代化を試みましたが、グラバー商会は倒産し、行き詰まり。
その後、後藤象二郎の蓬莱社が払い下げを受けましたが、資金繰りに窮し、見かねた福沢諭吉と大隈重信が岩崎彌太郎に買い取りを進言したそうです。 |
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解説 |
地図です |
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さて、ここでは「石炭資料館」を見学します。
資料館のそばには、1/100の軍艦島の模型があります。 |
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解説 |
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30号棟 ロの字型 |
31号棟 増築後の姿 |
ガイドさん中に入って説明です |
いつもは島に住んでいた理事長さんがガイドをしてくれるそうですが、今日は体調が悪いそうで、若手のガイドさんが説明してくれました。 |
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偉い人が住む3号棟 |
公民館とかお寺 |
屋上で野菜つくっていたのを再現 |
当時坑道で使われていた車両とかも屋外に展示しています。
どうも銀色の錆び止め塗っているようですが、それでも錆び出てきていますねー。 |
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バッテリー車 |
炭坑夫さんたちの乗った列車 |
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こぢんまりした資料館 |
近代化産業遺産なんだ |
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岩崎家の三階菱と土佐藩の三つ柏を合わせたのだ |
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良質の石炭が出たらしい |
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安全装備とか |
照明器具いろいろ |
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ガス防護服とか |
石炭運搬器具とか |
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これです |
この部分 |
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ラピュタの石のようだ |
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すごいなぁ |
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毎年4月3日には山神祭をしたそうです |
解説 |
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最初の頃 |
明治末期 |
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1939年頃 |
1961年頃 |
これだけの規模の島からは想像できないほどの建物の数ですねー。 |
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図です |
その一覧 |
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緑に飢えていた島の人たちは、コンクリートの斜面を緑に塗ったりしていました。 |
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右の斜面は緑に塗られていますね |
屋上で田んぼもやったのだ |
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なんと、日本で最初の鉄製汽船は長崎〜高島〜端島で運行していた、三菱の社船「夕顔丸」だそうです。 |
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解説 |
模型 |
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三菱は、高島、端島の他にも付近で炭坑を開発していました。 |
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石炭黄金期ですね |
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次は上陸したいなぁ |
小学校の運動場は広くとっていましたね |
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ビシ!! |
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埋もれ木娘が石炭になるんですね |
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さるく号 |
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しかし、ちょっと待っていてくださいってことで待合へ。 |
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待合です |
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世界遺産になったらなったで維持費が・・・ |
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長崎フェリーターミナルの駐車場を使っていたら、離島航路を利用すると割引があるそうです。 |
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最初の24時間が半額なんだ |
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早かったら来年は世界遺産 |
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結構立派な桟橋です |
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さらば高島 |
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冷たいおしぼりと、飴のサービスがあった後、石炭のお土産と、上陸していないけど上陸記念証明書をくれましたよ。 |
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石炭 |
証明書 |
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後ろに座っているおばぁちゃんが、「上陸していないのに、上陸証明書なんてね」ってブツクサ言っていましたよ(笑) |
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伊王島大橋をくぐります |
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「聖ミカエル大聖堂」とか、「やすらぎ伊王島」を眺めていきます。 |
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教会です |
リゾート「やすらぎ伊王島」 |
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万葉って船 |
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結構速いんだ |
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高鉾島は隠れキリシタンが処刑された島だそうです |
ねずみ島です |
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速度落としますよ |
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造船所です |
ガントリークレーンが見えます |
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「福島復興・浮体式ウィンドファーム実証研究事業」で建造中の7メガワット洋上風力発電設備がありましたよ。
福島沖に引いてって風力発電するそうで、国内最大規模だそうですよ。 |
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2015年(平成27年)に可動らしいです |
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ゴライアスクレーンの奥に、戦艦「武蔵」を建造した時にも使われたガントリークレーンがあります。 |
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スケール感がすごい |
No2ドックが武蔵を建造したドック |
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176 ちょうかい |
LNG船よりは小さい |
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何やっているんでしょうかね |
すごいなー |
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あそこかー |
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100年以上も可動しているってすごいな |
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-16:10- 長崎港・常盤2号桟橋に戻ってきて解散です。
軍艦島は、元は三菱が買収したってことですが、閉山後の今はどこの所有なんだろう。
ガイドさんに聞いてみたら、島自体は長崎市の所有で、護岸とか桟橋は長崎県の管理だそうです。
どちらもお金がないそうなので、上陸できるのはかなり先になるかもとのことでしたが、また上陸できるようになったら必ず来たいものです。
さて、宿に向かいますか。
なんとなく歩いていけそうなので、てくてく歩きましょう。
R499を行きます。 |
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旧英国領事館 |
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長崎市立病院前に、鉄道発祥の地の碑がありました。
鉄道が最初なのは横浜あたりかなと思っていたのですが、1865年(元治2年)にトーマス・グラバーが蒸気機関車 アイアン・デューク号を走らせたそうです。
営業路線ではなかったのですが、当時の日本人には衝撃の光景だったでしょうね。 |
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鉄道発祥の地 |
解説 |
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解説その2 |
病院は大工事中でした |
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おおーいいねー |
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ネコ陰でお休み中 |
長崎市の原付プレートは出島の形 |
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やっと着いたー |
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とにかく暑いので、まずはシャワー。
そして、疲れたので、ごろんとなったらちょいと昼寝してしまいました。
-18:20- では飲みにいきますか。
てくてく歩いて中華街へ。 |
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いいねーこの雰囲気 |
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来ましたよー |
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三連休だし、混むと嫌だったので予約しておいたのですが、予約はコースのみとなっていました。
4,000円〜12,000円(税サ別)なんですが、5,000円でお願いしていました。
ちなみに、値段の違いは量ではなく、質だそうです。
そこまではよかったのですが、最低2名からとのこと・・・。ん?だから電話で予約したときうまく話がかみ合ってなかったのか・・・。
2名分で通っているらしいので、まぁいいや。それくらいいけるでしょう。 |
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オードブル 少な目 |
海鮮サラダ |
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でもうまいんだよね |
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フカヒレスープ |
エビマヨみたいなの |
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ハトシが出てきました。
パンにエビのすり身を挟んで揚げています。 |
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これうまーい |
ソー酢をかけるとなおおいしい |
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何の魚だったかな |
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では紹興酒に切り替えますか。
さすがにたくさんは飲みきれなさそうなので、180mlのにしました。 |
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永昌源ってとこの「古越龍山」ってのです |
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角煮まんですね |
うまーい |
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2個は食べられないね |
こんなにでかいです |
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これで終わりかー。チャンポンなかったなぁ。
でもちょうどいいくらいのおなかの満足具合。2人分っていっても十分でしたねー。
と思っていたら・・・。 |
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きましたチャンポン |
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のああー。
しかし、具が山ほどのではなかったので、食べきりましたよ。 |
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最後に本当のデザート
マンゴープリン |
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というわけでおいしくいただきましたー。
「蘇州林」に寄って、麻花兒(マファール)買ってみたり。 |
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ということで新地中華街でした |
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市電の駅 |
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ここかー |
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このお店は、恐らく九州で一番古いとされる喫茶店です。
トルコライスとか、長崎風ミルクセーキとかありますよ。 |
元祖長崎風ミルクセーキをいただきにきました。
てことでオーダーです。
まわりの人はみんなトルコライス食べていますけど。 |
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トルコライスもいろいろありますね |
レトロメニューてのがいいね |
喫茶店の王道メニューですな |
しばし待つときました!
元祖長崎風ミルクセーキ!! |
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おおーおいしそうだー |
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濃厚さといい、口当たりといい、これはいいですねー。
おいしくいただいて、宿に戻ります。 |
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ホテル前の夜の風景 |
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余裕のあまりない一日でしたが、満喫しましたねー。
軍艦島には上陸できませんでしたが、楽しかったです。
明日は五島列島に行きます。楽しみですねー。 |
2日目に続く→
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