RockzGoodsRoom > Outing > Outing2014 >
RockzGoodsRoom > PAST Contents > Motorcycle2014 >
JR北陸本線にある北陸トンネル。このトンネルは1962年(昭和37年)3月に抜本的な北陸本線の輸送能力改善を目指して開通しました。 それまでは、敦賀〜今庄間を、いわゆる「山中越え」と呼ばれる経路を、スイッチバックなどを駆使し越えていたのですが、1962年(昭和37年)6月10日に北陸トンネルが開通した後は廃線となり、1963年(昭和38年)11月4日より道路として転用されたそうです。 その後、高速・北陸自動車道の建設などもあり、いくつかのトンネルはなくなってしまったものの、当時あった12のトンネルのほとんどが残っているらしいのです。 行ってみたいなぁ。 あと、敦賀からは、これも廃線になってしまいましたが、柳ヶ瀬線というのもあったそうで、こちらもいくつかトンネルがあるようなので、併せて行ってみることにしました。 来週の東日本大遠征を前に、スナップショット用のデジカメを急遽買い替えたり、レーダー探知機の音声ラインを変えたりで、いろいろテストしたいこともありましたし、一度遠征前に走っておきたかったのですよね。 Bluetoothインカムを導入したものの、zumo660が2チャンネル独占するので、レーダー探知機の音声が聴けないのが不便で・・・。Bluetooth機能をレーダー探知機が持っていても使えなく、BT-NEXTと有線でつないだけど、どうも音レベルが合わずほとんど聞こえない。 そこで、昔よくやった荒業で、スピーカー2段重ねをやってみました。Z320Bに付属のスピーカーをヘルメットに埋め込み有線接続。これならよさげです。 また、このホームページを2002年に開始してから、宿泊していない県がいまだ2つあり、滋賀県と福井県ってことで、今回は福井県に泊まってみようということもありました。 ちなみに2002年以前なら、滋賀も福井も泊まったことあるんですけどね。 7月・8月は超忙しく、特に8月は夏休み2日とったのですが、3日休日出勤したので、いつもより1日多く働いていたこともあって、お出かけ不足(笑)ちなみに、盆とか関係ない仕事なので、カレンダー通りですよ。 9月5日か8日のどちらか休めたら休んで、金土か日月で福井行けば、日曜か土曜に来週の遠征準備がちょっとできそうです。 仕事を調整したら、金曜なら休めそうなので、急遽決定。 当初、天気予報では水木が雨で週末はよくなりそうでしたが、あー、ずれ込んできている・・・。 まぁ、今回のコースは例え雨でも車では行く気の出ないコースだったので、気合い入れて行くとしますかー。 9月5日(第1日) -06:30- 目覚めました。 危ない。二度寝しかけていましたよ。 雨だなぁ。 ニュースをチェックすると、京都の綾部市で、全市で避難勧告。 うわぁ。これは、舞鶴若狭道ヤバイんじゃない? JHの情報を確認。 |
あー通行止めになっている・・・ |
舞鶴若狭道を敦賀まで行くのは無理ですね・・・。 名神経由で行くとします。 フルメッシュ仕様の上にレインウエアを着ます。 -07:20- では行きますか。 |
さー頼むよ |
走りだしてすぐ、ナビの電源がバッテリー駆動に。 でも電源繋がったり・・・。なんだー?先日フロントバラした時に配線緩んだかなぁ。 しばらくすると電源は正常に。 うーん。ちょっとした爆弾だなぁ。ちなみにzumo660はバッテリー駆動だと、3〜4時間しか動きませんよ。これは困った・・・。 |
いつものマンション |
R176を東へ走ります。 -07:35- 中国道・宝塚ICから高速です。 |
宝塚ー |
反対側はそういうほど混んでいませんでした。 ずんずん走っていきます。 -07:45- 吹田JCTで名神に入ります。 |
中央環状は通勤渋滞 | 吹田ー |
新名神との高槻第二JCTも鋭意建設中ですね。 |
いつ完成かな |
天王山の分岐は右行きますか。 |
右行きますー | 左コースと並走 |
そして天王山トンネルをくぐります。 |
天王山ー | ちょっと幻想的 |
-07:55- 大山崎JCTを通過します。 |
左コースじゃないと利用できません |
京都ICあたりでは、新名神の案内看板がありましたよ。 |
早くなるのかな |
-08:20- 草津JCTを通過します。 |
このまま直進 |
天気悪いですねー。 |
近江富士も雲の中 |
あれー?蒲生スマートICってあったけ? |
昨年12月22日に供用開始でした |
ここまで本降りにはなっていませんが行く手はヤバそうですね・・・。 |
うーん雨雲に突入だな |
そして、やはり雨でした・・・。本降りだー。 |
痛いくらいの降りようだー |
湖東三山スマートICってありますね・・・。あったかな? |
秦荘PAが改名してスマートICができたのだ |
-08:45- かなり雨もきつくて、走りづらいので、名神・多賀SAでちょいとコーヒー休憩にすることにしました。 |
多賀ー |
平日の大雨の中、バイクで走る物好きは他にはいませんでした(笑) |
やれやれ |
コーヒーと、「まる天」のチーズ棒と、じゃがいも天も食べよう。 |
コーヒールンバが流れます | 多賀にも「まる天」あったのだ |
チーズ棒 うまし!! | じゃがいも天もうまーい |
メガメロンパンってのもありますねー。 |
1個620円のメロンパン・・・ |
食べ終わって、さぁ行こうかと外に出ると雨は止んでいました。 |
おーよかったー |
そしていまた走っていきます。 |
伊吹山は雲の中 |
-09:25- 米原JCTで北陸道に入ります。 |
米原ー | 本線料金所跡 |
名神はそこそこ交通量あったのですが、北陸道に入ると一気に減りますね。 |
走りやすい |
そしていまた雨が降り出します。追っかけているのかなぁ。 今日は、北陸道・今庄ICで降りて、最後は余呉あたりまで一般道を南下してきます。 |
9:38 木ノ本ICを通過 |
-09:40- 北陸道・賤ヶ岳SAで給油していきましょう。 |
賤ヶ岳入ります |
給油だけしてすぐ出発です。 |
190円台でした |
北陸道は、山岳地域の突入です。 |
山岳地と言い切る潔さ |
-09:50- 福井県に入ります。 |
福井ーひさびさ |
北陸道・刀根PAを過ぎます。 ここはのちほど通る、柳川線の刀根駅があった場所でした。 |
刀根ー |
山越え区間は、トンネルも多いです。 |
オレンジの光 |
-09:55- 敦賀JCTを通過します。 当初の計画では、舞鶴若狭道を通って、ここに出てくるはずでした。 |
また来ましょう |
そして北陸道・敦賀ICを通過します。 |
下道でここまで戻ってきます |
北陸道は、途中で上下線が入れ替わります。 |
右側通行にシフトします |
-10:05- 北陸道・杉津PAに入ってみます。 |
杉津ー |
杉津PA(上)は、旧北陸本線の杉津駅があったところとなっています。 北陸道は、米原方面行が上りとなっており、今いるのは下りとなっています。 鉄道唱歌第4集54番で 「海のながめのたぐいなき 杉津をいでてトンネルに 入ればあやしやいつのまに 日はくれはてて暗(やみ)なるぞ」 と歌われた、敦賀湾を見渡す景勝地でした。 |
でも今日の天気ではイマイチ | こっちが上りPA |
杉津PAには、陸上自衛隊の人がたくさん休憩していましたよ。 -10:15- さらに走って、北陸道・今庄ICで高速を降ります。 |
今庄ー |
R365から市道に入ります。 |
おー廃線っぽい道だ |
旧北陸本線と、新線の分岐点にやってきました。 標識とかないです。いろいろ調べたらこのあたりだろうってことで。 |
スタート地点です | 分岐していっている感じ | さー行くよー |
と、すぐ先の踏切が鳴ります。 列車が通過するのかなー。とカメラを構えて待ちます。すると・・・。 |
なんとトワイライトエクスプレス!! | すげぇ偶然でしたー |
これはなんとなく幸先のいい展開ですね。 では廃線探検スタートです。 廃線跡をできる限りトレースしていきます。 -10:20- 最初の廃線トンネル、湯尾隧道にやってきました。 遠目で見ても、いかにも廃線トンネルって感じしますねー。 |
おおー | 3分間待つのか | 湯尾隧道です |
この隧道、道としては認知されていないのか、Googleマップにも、zumo660の地図にも道はここで行き止まりになっています。 |
なんでかな |
トンネル入口に着いた時はちょうど信号が変わったところだったので、3分間フルに待ちます。 旧北陸本線のトンネル郡は割と有名ですが、今庄〜敦賀間をはずれたこの湯尾隧道はあまり情報なかったです。 しかしこの隧道はインパクトありますねー。このトンネルは明治時代にできたトンネルの一つです。 この路線が1896年(明治29年)に開通していますので、実に100年以上も経過しているトンネルということになります。 今日くぐるトンネルのほとんどは同年代のものです。 ちなみに、長尾隧道の全長は400mってことらしいです。 |
内部は曲がっていますね | レンガ張りだー | 要石もあります |
3分って、結構長いです。 |
降りて写真撮れるくらいだもんね |
ようやく青になり、トンネルへ突入です。 後ろに続く車もなく、途中で停まってフラッシュ炊いて撮ったり(笑) |
内部はSLの煤で黒いんですかね | 出たところ |
お、看板に「オートパーク今庄」って書いていますねー。 |
noriさんがダートラで来るとこだー |
R365に戻ります。 -10:25- 「今庄サイクリングターミナル」に寄ります。 ここにはD51が保管されています。 旧北陸本線の山中越えは最大25/1,000(25‰)の勾配で、そこをD51が重連、三重連で牽引して越えていたそうです。 |
解説 | でっかい車輪が4つでDタイプ | TMAXとの比較(笑) |
後ろは給水車 | 運転台への階段あるけど登れません | 481番目に製造されました |
この481号機は、神戸の鷹取工場で造られたそうですが、その鷹取工場は、阪神大震災後、閉鎖となりました。 こういうのが、これから行く廃線を走っていたのですねー。 -10:30- すぐ隣の今庄駅にやってきました。 |
今庄ですよ |
旧北陸本線の時代では、敦賀方面の列車は急勾配を上らなければならなかったため、今庄駅で補助機関車を増結・開放していたため構内は非常に広くかつては機関区もあり、非常に賑やかであったそうです。 しかし、現在ではかなり閑散としていますよ。 |
駅舎です | 除雪車があるぞ |
当時はここで重連とか見れたのだなー | 長いホーム |
駅前の「エフ・エフ・ストア」は駅前最高の立地にもかかわらず、撤退していました。 |
皆さんどこで買い物するのかな |
駅前には観光案内地図もあります。 |
下の端に山中トンネルが案内されていますね |
今庄で、蕎麦食べて行こうかと考えていました。 「忠兵衛」さんに2度ほど行きましたが、もう一軒評価の高いお店があるようなので、今日はそちらに行ってみます。 しかし・・・。昔ながらの町並みで、ナビで詳細地図の出ないところなので、ちょっとうろうろ(笑) |
うだつのある家 |
-10:45- ようやく「ふる里」さんにたどりつきました。 開店は10時45分って書いているとこもありましたが、どうも11時っぽいです。 |
今日は休みじゃないはずなんですが |
駐車場は横のシャッター前に1台置いていいようですが、バイクをそこに置くのはさすがに気が引けたので、道沿いに停めました。 |
雰囲気いいね |
外から見ても、中で準備している雰囲気ないので、11時になって開かなかったら「忠兵衛」さんに行くかなと思い始めます。 -11:00- 隣のシャッターが開いて、おばちゃんが「あら、お待たせ」と(笑) 暖簾も出てオープンです。 平日の一番客ですが、他にはお客さんいませんでしたよ。 ここは、福井県出身の俳優・宇野重吉さんが通ったお店と言われています。 寺尾聰は長男さんになりますね。 |
メニュー | 宇野重吉さんとたくさんの提灯 |
越前そばは、1人前が少ないのは知っていましたので、おろし滑子そばと、わさびとろろそばをオーダーです。 しばし待つときましたー。 |
1杯が小さいです | おろし滑子そば | わさびとろろそば |
つるつるっといけちゃいますねー。 コストパフォーマンスは決していいとは言えないないですかね(笑)しかし、しっかりした蕎麦はおいしいですねー。 「蕎麦湯です」と言って湯呑にに入って出てきましたが、そのまま飲むのか蕎麦の器に移して飲むのか迷った挙句、蕎麦の器に移して、残ったつゆと共にいただきました。 てことでごちそうさまでしたー。 |
「ふる里」さんでした |
さぁ、では本格的に廃線探検いきますよ。 |
動画カメラもセット |
R365から県道207号に入ります。 しばらく走ると不吉な看板が・・・。 |
山中トンネル点検通行止め!? |
しかも今日から・・・。 しかし、12時から13時までは通れるみたいですねー。のんびり走っていったら、そんなに待たずに通過できそうです。 ということで進みます。 大桐の集落に向けて走ります。 SLが最大どれだけの勾配を走れるかということで調べてみたのですが、38/1,000(38‰)までは普通路線では可能だったようです。奥羽本線の福島―山形間の板谷峠がそうだったようですが、こちらではE10などという、動輪が5つの蒸気機関車で走っていたようですね。 山中越えの25‰でも相当な勾配になるので、一気に上がらないよう、山の麓から徐々に高度を上げていく、涙ぐましい努力をしていました。 ‰(パーミル)はいわゆる千分率です。%(パーセント)は百分率なので1/100勾配(1%勾配)は100mって1m上がるような。1/1,000勾配(1‰勾配)は1,000m行って1m上がるってことです。 |
鉄道敷跡と想像がつくまっすぐな道 そして徐々に上がっている |
-11:25- 南今庄駅を通過します。 この駅は北陸トンネルができてからの新線になってからできた駅です。 |
南今庄ー |
そしてその先には、「北陸トンネル出口」を示す看板が。 |
ここかー | あそこが北陸トンネルの出口 | アップで撮った |
敦賀と今庄の間には鉢伏山(海抜762m)がそびえ、その鞍部である木ノ芽峠(海抜628m)は、古くから北陸道の隘路でしたが、北陸トンネル開通前の北陸本線敦賀
- 今庄間(1896年開通)は、木ノ芽峠を避け、敦賀市の海岸部に近い杉津駅を経由する山中峠ルートをとっていました。 この区間は、海岸の山麓を縫いながら4箇所のスイッチバックを擁して25‰の急勾配を上り下りする厳しい条件の単線区間の上、途中には3つの駅、3箇所の信号場、12のトンネルも存在し、列車の行き違いにも時間を要していました。 この区間は、北陸本線の重要区間であるのもかかわらず、戦後から1950年代には流通の本流を占めていた鉄道輸送の需要増に対応できなくなってきており、その解決のため1957年(昭和32年)に着工、1961年(昭和36年)6月10日より正式運用を開始した、延長13,870mのトンネルが北陸トンネルとなっています。 1972年に山陽新幹線の六甲トンネルが完成するまで、日本最長のトンネルでしたが、狭軌の陸上鉄道トンネルに限定するなら、現在でも日本最長のトンネルとなっています。 従来、今庄〜敦賀間が26.4kmが、北陸トンネルの開通で19.2kmとなり、30分以上の時間短縮にもなったそうです。 さー、それでは本格的に旧北陸本線に突入していきます。 旧北陸本線のこの区間は、1896年(明治29年)7月15日に開通しています。長らく北陸本線屈指の山越えの難所として知られていました。 旧線を利用した県道は、鉄道路線敷を思い出させる直線で、緩い勾配を上がっていきます。 |
直線を少しずつ上っていきます | 集落は下の方 |
北陸道をくぐります | ずんずん走ります |
途中の橋も、元々あった鉄道橋を利用しているということです。 |
鉄道橋の上にアスファルト敷いたかな |
-11:30- 大桐駅跡にやってきました。 大桐駅は、1908年(明治41年)に勾配区間にさしかかるこの地点にスイッチバック式の大桐信号場を設けたのですが、ほどなくして地元住民の要望もあり駅に昇格ということです。 |
説明です | 駅ホームが若干残っています | 経歴だそうで |
緩いカーブが鉄道チックでいいですねー。 |
SLの運転台からもこんな感じで見えたのかな |
大桐集落は、元路線敷によって分断されています。 元々が蒸気機関車の通行区間だったので、煙害、黄害を避けるため大桐集落の県道に面した民家は玄関を県道とは逆方向にしていることが多いようです。 |
《クリックで動画再生》 "エピダウロスの風"by 高中正義 大桐集落を抜けます |
こんなに高さを稼いでいます |
進んで行くと、なんか大規模な工事やっていますねー。 |
新しい道でもつくるかな? |
道は両側に樹木が生い茂る山道となっていきます。 しばらく走ると、前方にロックシェルターが見えてきました。 |
シェルターがあるぞー | 突然ポツンとあります |
なんでこんな場所にシェルターがポツンとあるんでしょうかね。スノーシェルターも兼ねていたのでしょうか・・・。 シェルターを通過して振り返ると、上にもなんか構造物ありますね。 |
通過したところ | 上のあれはなんだ? |
車どうしなら行き違いも難しいような狭路ですが、車とすれ違うことはほとんどないです。 まぁ、この先が今通行止めってこともありますけどね。 |
道幅3mってところですか |
進んでいくと、遠くに通行止めを示す看板が。 |
看板がなんか立っているなぁ |
その手前に、山中信号場跡があります。 元々信号場とは、単線の鉄道軌道で、対向列車とすれ違うためにその区間だけ複線にしているものですが、25‰の勾配では、すれ違うために一旦停止してしまうと、次は滑り下るしかないそうです。 そこで一旦水平の待避線に頭から進入します。そのまま本線に戻ると、同じく滑り下るしかないので同じくバックで水平の別の待避線に入り、そして勢いをつけて頭からまた勾配を登るという、スイッチバックとして、いわば「Z」の字のように進む方式でクリアしていました。 |
説明 | 現在の鉄道設計では考えられない急勾配だそうですよ | 信号場跡です |
山中隧道手前でガードマンに制止されます。もうあと20分くらいなので、待つことにしました。 横になんか道ありますねー。スイッチバックの待避線かなぁ。 さっきのロックシェルターの上に出れるのかな? 時間もあるし、ちょっとてくてく歩いてみることにしました。 |
これは旧待避線? | 行ってみよう | カーブミラー? |
うーん・・・ | ロックシェルターから離れているような・・・ |
行けども行けども林道だな・・・。待避線ではなかった模様。 またてくてく歩いて戻ります。 しかし、この坂を、重連のSLががんばって上ってきていた姿を想像すると、感慨深いものがありますねー。 |
ここを上ってきたのだね |
通行止め解除になるまでしばし待ちます。 このあたりは、携帯も圏外ですね。 |
今日からというのが悩ましかった |
撮った画像をみていたら、さっきの山中信号場跡のところが引込み線入口だったみたいですね。 てくてく歩いて見にいきます。 今や草ぼうぼうですが、進入禁止を示すチェーンがありますね。 |
こう見たら待避線がわかる感じ | アップです |
ガードマンがいたところでは、上から軽トラがやってきて、何やらしていますね。 監督「車来て文句とか言っていたか?」 ガードマン「いやぁ、このバイクだけが待っているくらいですよ」 なんて感じの会話が聞こえてきそうな身振りでした(笑) |
5分前だけど通れるみたい |
エンジンかけて、奥に進みます。 |
おー山中隧道だー |
-11:55- 山中隧道にやってきました。 隧道と、横の待避トンネルをいっしょに写したかったのですが、作業車が停まっていて無理ですね。 とりあえず、バイクを停めて、待避トンネルのほうに懐中電灯を持って進入してみます。 そう、今回は念のためサーチライトと言ってもいいくらいの懐中電灯持ってきていたのです(笑) |
おーあれかー | なんとなく霧が・・・ |
50mほど歩くと、待避トンネルの入口です。 懐中電灯で照らしてみると、中は30mほど先で閉塞されていました。 |
工事の人いるからいいけど1人なら怖いなー | 内部はすぐ先で行き止まり | なんか鉄筋出ていますが・・・。 |
トンネル入口で振り返ると、なんともいえない廃墟っぽい雰囲気です。 |
壁面は苔だらけ |
山中隧道も間近で見てみましょう。 完成後120年たったトンネルは重厚な雰囲気がありますねー。 山中隧道は、今庄〜敦賀間で一番長いトンネルで、その長さは1,195m。レンガで造られていますねー。すごい。 このトンネルの額縁には、今は撤去されていますが、第2代内閣総理大臣であった、黒田清隆の筆で今庄側は「功和于時」(功時に和す・・・。「事業の完成は一時代の要請に合っている」の意)の石額があったそうです。 |
左の高所作業車の奥が待避トンネル | 石額は撤去されています | トンネルの中 まっすぐ続く |
煉瓦積みです | 細部まで作りこんでいますねー |
これだけ長く、しかも狭いトンネルにもかかわらず、信号はありません。 画像ではわかりにくいのですが、一直線なので、トンネル出口の明かりが見えるんですよね。 ここからトンネル連続区間なので、高さ規制のバーも設置されています。 |
ここで言う交通マナーとは・・・ | ツララが落ちてくるの? |
では山中隧道に突入です。 天井照明が一応ありますが、かなり暗いです。 対向車も来ていないので、途中2度ほど停まって撮ってみました。 |
《クリックで動画再生》 途中2度ほど止まりますよ "Smells Like Teen Spirit"by Nirvana |
走行中 |
退避穴 | 止まって撮ってみた |
無事トンネルを抜けました。 信号がないので、もし運転の上手くないドライバーが不注意に突入されてきたら、下手したら1kmほど根性でバックしなきゃいけないハメにもなりかねないのは結構恐怖です。 敦賀側の石額には同じく黒田清隆の筆で、「徳垂後裔」(徳は後裔に垂れる)があったそうです。 |
山中隧道 敦賀側 |
すぐ先に、2番目のトンネル、伊良谷隧道が見えます。 長さ約400m、ここはトンネル内がカーブしていて、見通しが悪いので、待ち時間3分の信号機が設置されています。 |
伊良谷隧道です | 信号待ちです |
待機位置は結構距離ありますね。 |
ポツリん |
-12:07- 信号が青になったので伊良谷隧道に突入です。 |
《クリックで動画再生》 くらーい こわーい "Detroit Rock City" by KISS |
なんか幻想的 |
トンネルを出て、振り返ってみました。 |
青になっている時間は一瞬 |
そしてそこで前を向くと3番目のトンネル、芦谷隧道です。 長さ約200mです。 |
芦谷隧道ですよ |
-12:08- 芦谷隧道に突入です。 |
先にトンネルが見えます |
トンネルを出て振り返ると、芦谷隧道のむこうに、伊良谷隧道も見えました。 |
通ってきたトンネルも見えます |
次の4番目のトンネル、曲谷隧道はすぐ目と鼻の先です。 芦谷隧道と曲谷隧道の間から見える敦賀湾の景色は、晴れていたらきれいだったでしょうねー。 |
砂防ダムがありますね | 天気が良いとよかったのに |
曲谷隧道の長さは約250m、内部でカーブしていて、先が見えないにもかかわらず、信号機がないんですよね・・・。 |
おー曲がっているなぁ | アップ |
-12:10- 曲谷隧道に突入です。 パッシングしながら恐る恐る突入しましたが、幸いなことに対抗車は来ませんでした。 トンネルを出て振り返ります。 |
曲谷隧道出ました |
その先には、5番目のトンネル、第二観音寺隧道です。 長さは約400m、このトンネルも中でカーブしているようで、出口が見えないのに信号機なし。どういう基準で信号機設置しているんですかね。 |
第二観音寺隧道 | 先のほうでカーブしているなぁ |
-12:12- 第二観音寺隧道に突入です。 出口が確認できたら、途中停まって写真撮ったり。 |
おおー | 止まって撮ってみた |
トンネルを出て振り返ります。 |
第二観音寺隧道でした |
そのすぐ先には、6番目のトンネル、第一観音寺隧道です。 |
立て続けにありますね |
長さ約100m。ここは出口が見えていますね。 -12:13- 第一観音寺隧道に突入です。 そして、トンネルを出て振り向きます。 ここまでがトンネル連続区間なので、ここにも高さ規制のバーがありますね。 路面は苔生していたりしてのんびり走行しないとかなり怖いですね。 |
敦賀側です | 苔生えているし |
そして、道はなだらかに下っていきます。 |
《クリックで動画再生》 鉄道気分 "Roundabout" by YES |
北陸自動車道と平行して走っていきます。 |
高速からこっちはよく見ていましたけどね |
道は、県道207号を離れ、敦賀市内方面の市道へ。 |
左へ曲がります |
-12:17- 北陸道・杉津PA(上)のところにやってきました。 ここには当時、杉津駅がありましたが、今ではPAに取り込まれ、その面影はまったくありません。 また、この南側には、7番目のトンネル、河野谷隧道という53mの短いトンネルがあったそうですがそれも北陸道の建設の際に解体されたそうです。 |
杉津駅跡となっている北陸道・杉津PA | このあたりに河野谷隧道があったのかな |
続いては、8番目のトンネル、曽路地谷隧道です。 長さ約450m。ここも中でカーブしていて出口が見えないにもかかわらず、信号機がないです。 |
曽路地谷隧道行きます |
-12:18- 対向車にドキドキしながら、曽路地谷隧道に突入です。 |
《クリックで動画再生》 暗いー "Charm The Snake"by Christopher Cross |
電灯もない |
トンネルを出て振り返ります。 |
敦賀側 石積がきれいに残っています |
すぐに、9番目のトンネル、鮒ヶ谷隧道です。 長さ約100m。ここは照明もないですねー。 |
鮒ヶ谷隧道です |
-12:21- 鮒ヶ谷隧道に突入です。 トンネルを一瞬で通過し、振り返ります。 |
敦賀側 トンネルにしなくて開削してもよかったくらいでは? |
路線敷らしいゆるやかなカーブの道を走っていきます。 |
のんびり走ります |
-12:22- 葉原信号場跡かな?と思い写してみました。 でも、帰宅後確認したら、北陸自動車道の管理用通路だったみたいです。 |
待避線跡かと思ったら違いました |
そして、10番目のトンネル、葉原隧道です。 長さ975m、さすがにここには信号機が設置されています。 待ち時間は・・・。5分・・・。 |
5分は長いぞー |
しばし待ちます。 このトンネルにも黒田清隆の筆で、今庄側には「興国咸休」(与国咸(み)な休す・・・。「同盟国がことごとく盛んになる」の意)と書かれた石額があったそうです。 |
トンネルの中は真っ暗 | 停止線で待ちます | 北陸道 |
待っている間に、対向車が出てきました。 |
すれ違いは無理だね |
-12:27- 葉原隧道に突入です。 |
《クリックで動画再生》 後ろにダンプがついてきています "Separate Ways"by Journey |
ハイビームにして内部を照らして走る |
トンネルを出て振り返ります。 敦賀側にも黒田清隆の筆で、「永世無窮」(「いつまでも続いて、極まりがないこと」の意)と書かれた石額があったそうです。 トンネルを抜けると葉原信号場があったようです。ここでもスイッチバックがあったのですが、上下待避線は北陸自動車道になってしまい、今ではあったかどうかもわからないくらい原型をとどめていません。 |
青の時間は一瞬 | 画像右上に北陸道 |
葉原隧道を過ぎてしばらくすると景色が開けてきます。 |
山区間は終わりかなー |
この先、R476と合流するのですが、当初、旧北陸本線が走っていた頃は神社の境内を横切っていたそうなのですが、廃線に伴い神社の敷地は返還され、今では国道への合流路は路線敷とは関係ないコースで通っています。 |
前方に鳥居が | それを避けます |
その合流地点には、近代化遺産周遊ルートの看板とかありますよ。 |
案内版 | 小さく「旧北陸線跡」 | こんな感じ |
R476を走ります。 |
本来の合流地点に鳥居 |
このR476も、旧北陸本線が基となっています。 |
拡幅はされていますけどね |
-12:35- 多分、新保駅があったと思われる場所にやってきました。県道209号との分岐点ですが、帰宅後再度調べたらもう少し南に、新保駅跡の記念碑があったようです。わからなかった・・・。 |
新保駅があったあたりかと思ったが違ったみたい |
-12:37- 北陸トンネルを掘った時の、樫曲斜坑の入口がありました。 |
だそうです | 調査には行かない(笑) |
ずんずん走っていきます。 |
切った山にグリーンのシート |
-12:38- 11番目のトンネル、獺河内隧道があった場所を通過します。 ここは、2002年(平成14年)に道路用に拡幅され「獺河内トンネル」となり消滅してしまったのです。 |
獺河内トンネルです | トンネル左側に隧道があった模様 | トンネルの中 |
-12:39- 12番目のトンネル、樫曲隧道にやってきました。 ここも2002年(平成14年)までは一方通行の道路トンネルでしたが、今では歩行者専用通路となっています。 |
ガードレールの向こうにトンネル |
バイクを脇に停めて、歩行者専用トンネルに行ってみましょう。 説明がありましたが、実は12の隧道はすべて工法が違っていたそうです。 |
解説 | 地図アップ | 高さ関係アップ 旧線はほとんど25‰だ |
歩行者用となっているトンネルを歩いてみます。 |
レトロな照明があるなぁ |
通り過ぎて、振り返ります。 |
ここをSLが走っていたのですね | 煉瓦です |
敦賀方面へと走ります。 |
北陸道をくぐります |
-12:45- 北陸トンネル、敦賀側の入口にやってきました。 |
銘板は「北陸隧道」となっています | 1972年11月6日に起こった列車火災で亡くなった方の慰霊碑 | お参りするわけではないので入らないでおこう |
踏切からトンネルを眺めます。 |
まっすぐな線路 | トンネルの中に信号がありますね |
このあと、本当はR476に戻り、深山信号場跡とかトレースしたり、記念碑見ようと思っていたのですが、なんとなく今庄〜敦賀の隧道を調査し終えた安堵感で、ナビに従い、そのまま走ってしまいました。 市道から県道210号に出て、R8を南下します。 さて、旧北陸本線には、敦賀〜柳ヶ瀬〜木ノ本の間を走る区間が、後に柳ヶ瀬線と呼ばれる路線になり存在していました。 北陸本線の一部となったのは、1909年(明治42年)のことですが、1882年(明治15年)には、日本初のダイナマイト掘削になった、全長1,352mと当時としては日本最長であり、外国人の技術を離れ、日本人だけで完成したトンネルとして誇っていた柳ヶ瀬トンネルが完成していました。 1957年(昭和32年)には木ノ本〜近江塩津〜敦賀の区間が北陸本線に変更され、木ノ本〜柳ヶ瀬〜敦賀は柳ヶ瀬線として分離されますが、1964年(昭和39年)には廃線となってしまいます。 その後は、廃線を利用した道路として使われています。 今回は、その柳ヶ瀬線跡もトレースしてみようと思います。 敦賀駅の次は、鳩原信号場跡がありますが、そこは今回パス。 -12:55- 疋田駅跡にやってきました。 |
疋田第二会館が建っています その土台の石積が元プラットホームです |
疋田駅跡は、国道沿いのコンビニのところにある信号から疋田集落に入ったところにあります。 R8を走っていきます。 |
R8と言っても交通量少ないなぁ |
-13:00- 曽々木隧道跡あたりにやってきます。 R8建設により切り崩されてしまいました。 |
ちょうど「なかむら」敦賀店前くらい |
ずんずん走り、県道140号線に入ります。 |
刀根・杉箸方面 |
県道140号に入るとすぐいろいろ道路情報が。 |
まだ先の柳ヶ瀬トンネル情報 | 電光掲示板でも |
このあたりに、麻生隧道があったみたいなんですが、現在では切り通され消滅してしまっています。 北陸道の下をくぐっていきます。 |
北陸道ー |
-13:02- 刀根隧道を通過します。 刀根隧道と言っても、拡幅工事で以前の隧道は消滅してしまっています。 |
刀根トンネルですな | 広くて新しいトンネル |
さらに進んでいくと、一見道はまっすぐ通っているように見えますが、何やらガードレールが・・・。 |
先のトラックがいるあたり |
-13:03- 小刀根隧道にやってきました。 ここは県道が迂回しています。 |
突っ込んだら先はつながっていません | 車が突入している形跡はありますね |
バイクで突っ込んでいって、砂利道だったら嫌なので、停めて歩いて見にいきます。 |
小刀根隧道は敦賀市の文化財なんだ | 文化財指定碑と |
解説読んでたら、小刀根隧道は、現存する最古の鉄道隧道のようですね。 |
明治14年は1881年だから135年近く経過 |
歩いて通過してみましょう。 小刀根隧道は、長さ56mってことらしいです。 |
なんかすごいぞー | トンネル内から刀根トンネル方面 | 木ノ本側に出ました |
戻っていきます。 中には、退避所が1箇所ありました。 |
ちゃんとつくっていたのだ |
トンネルの中から木ノ本側を振り返ってみました。 |
なんかステキー |
ドライバーがタバコ吸うためだけに停めていた、佐川のトラックもいなくなったので、写真撮ってみました。 |
刀根トンネル方面 | これを直進する人もいるんだ |
さて、次に刀根集落に入ってみます。 -13:10- 刀根区公会堂前にやってきました。 拡幅され無くなった刀根隧道の要石が置かれていますよ。 |
こんな感じで | 説明 | 起工 明治13年6月 竣工 明治14年8月 |
この工事を担当した、長谷川謹助という人は、説明で戦前を代表する鉄道技術者とありますが、天竜川橋梁や台湾縦貫鉄道などを完成させてもいます。 -13:12- 刀根駅があった、北陸道・刀根PAあたりにやってきました。 実際には、このあたりの区間では柳ヶ瀬線は北陸道の向こう側を走っていたようで、刀根駅も刀根PA(上)の位置にあったようです。 |
刀根PA(下)に至る道 荒れているので入らない |
県道140号を走ります。 |
柳ヶ瀬隧道が見えてきたー |
片側交互通行になっていて信号機が設置されています。 待ち時間を示すカウンターがありますが、まだかかりそうです。 道路脇になんかありますね。 |
なんだろう | おー土木遺産なんだ | 柳瀬洞道碑と書かれていました |
5分くらい待つんですかねー。 柳ヶ瀬隧道の長さは、1,352mとなっています。 1882年(明治15年)から柳ヶ瀬隧道が開通するまでの約2年間は、乗客は洞道西口(柳ヶ瀬隧道敦賀口)〜雁ヶ谷間の山道を徒歩連絡していたそうです。 柳ヶ瀬隧道の石額には、北陸本線の全線開通を祝い、初代内閣総理大臣・伊藤博文の筆による「萬世永頼」(「この鉄道が世のために働いてくれることを、いつまでも長く頼りにする」という意)があったそうです。伊藤博文は当時政府参謀で、翌年、内閣総理大臣に就任します。 |
もうすぐかなー | 《クリックで動画再生》 よーし レッツゴー "Purple Haze"by Jimi Hendrix |
-13:20- 柳ヶ瀬隧道に突入です。 柳ヶ瀬隧道の勾配は25‰。山中越えと同じですが、トンネル内までがその勾配ということで、事故が起きてしまっています。 トンネル内で動輪が空転し立ち往生、蒸気機関車の当時では立ち往生してしまうとトンネル内に煤煙が充満することにより、乗客・乗務員の死亡事故へと発展してしまいます。 開通当初から窒息事故がたびたびあったようですが、1928年(昭和3年)12月6日には、40輌連結の貨車の前後に当時最強の機動車を連結して走っていたのですが、雪の影響もあり動輪が滑ってしまい柳ヶ瀬隧道出口まであと25mのところで立ち往生。結果3名が死亡、9人が負傷という惨事となったのです。 |
冥福を祈りながら走ります | 地元では「お化けトンネル」とも呼ばれているそうです | 独特の雰囲気ですねー |
柳ヶ瀬トンネルの中で滋賀県に入ります。 トンネルを出て振り返ります。 |
北陸道のトンネルも見えます |
R385に出ます。 -13:22- 雁ヶ谷駅跡にきました。 北陸本線時代には信号場でしたが、柳ヶ瀬線移行に伴い駅に昇格したそうです。 |
これ遺構かな | 現在はバス停 |
北陸道の造成と共に雁ヶ谷駅跡もかなりかわってしまったようなので、遺構じゃないですね(笑) 北陸道と並行して走ります。 |
新鮮な風景 |
-13:25- 柳ヶ瀬駅跡にやってきました。 |
こちらも今ではバス停 |
サルスベリですかねー。赤や白の花を咲かせています。 |
猿は滑らず登れます(笑) |
鉄道敷跡だからですかね。ずっと直線です。 |
気持ちいいなぁ |
-13:30- 中ノ郷駅跡にやってきました。 |
プラットフォームが残っています | これは当時のではないらしい | 当然これも後の時代だね |
廃線の柳ヶ瀬線は、次の木ノ本駅までとなりますが廃線調査はここで終了です。 R8から県道44号に入ります。 |
おー琵琶湖だー |
-13:55- 道の駅「湖北みずどりステーション」に寄ります。 |
ひっそりしているなぁ | よく無事でここまで |
スタンプ押します。 |
浅井三姉妹・・・。の間に顔出すのか? |
ここでレインウエア脱いで行きますか。 県道44号を戻り、R8からR303へ。 |
琵琶湖を眺めます |
椿坂以北は9月8日から通行止めだそうですよ。 |
という掲示 |
-14:15- 道の駅「塩津海道あぢかまの里」に入ります。 |
道の駅ー | お仕事の車とツーショット(笑) |
スタンプ押して、ちょいとうろうろ。 おや?丸子船ってのが飾ってありますねー。湖上交通で使っていた船のようですね。 |
屋根付き展示場 | 解説 |
農産物売り場には、でかいカボチャが。 |
飼料用なので食べられませんよ |
さー、次行こう。 R303からR161に入ります。 -14:35- 道の駅「マキノ追坂峠」にやってきました。 |
平日の道の駅は空いています |
トラックドライバーさんがたくさんいて、これが本来の道の駅の姿なのかなー。なんて思ったり。 スタンプ押してR161を戻ります。 -14:45- 福井県に戻ります。 |
福井ー |
敦賀市街へ向かいます。 |
狭い隧道 |
R8に入ります。 ちょっと早めなので、がんばって立石岬まで行こうかなと考えましたが、今日はハードだったので、宿の横を一旦通っていくことになるので、休みたい誘惑に負け岬は断念することに。 敦賀は昨日、一昨日とお祭りだったみたいですね。 |
通行規制は今日はないです |
-15:10- 本日のお宿、「東横イン敦賀駅前」に到着しました。 |
エントランス前に停めさせてくれました |
チェックインして、まずはレインウエアとか、濡れたものを干します。 さて、宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999のモニュメントがあるシンボルロードを観にいきますか。 ちなみに敦賀は松本零士の生まれ故郷ではありません。 ではなぜシンボルロードができたのかと言うと、かつては東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」であり、1999年(平成11年)に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像15体の計27体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置したということです。 |
ちょっとハゲている説明 |
とりあえず、敦賀駅に行ってみましょう。 駅前は再開発のため工事中でしたよ。 |
北陸本線の歴史が書いてある | 北陸トンネル開通ー | 新しい駅舎 |
シンボルロードは、銀河鉄道999から観ていきましょう。 |
東横インは近い |
鉄郎とメーテルの像が駅前広場にあったようですが、見落としていましたね・・・。 「銀河鉄道999」です。 |
モニュメント的な999 | 解説 |
銀河鉄道999のシンボルロード説明版もところどころハゲているなぁ・・・。 |
掘り込み文字とかにすりゃよかったのに |
「少年 星野鉄郎」です。 |
ハーロックの手配書みています | 生き死に関係なし |
どんなシーンだったかなぁ | 説明 |
松本零士ラッピングのバスが走っていますねー。 |
もうちょっと思い切ってもよかったのでは? |
「メーテルとの出会い」です。 |
メーテルー | 説明 |
「母との記憶」です。 鉄郎のお母さんは、機械伯爵に撃たれてしまうんですよね。 |
ちょっと悲しいシーン | 説明 |
「旅立ち」です。 車掌さん、好きだったなぁ。機関車に「機関車さん」って呼んでたし(笑) |
ビシッ! | 真面目な車掌 | 説明 |
「永遠の星の海へ」です。 |
メーテルに記憶を探られる鉄郎 | 説明 |
「迷いの星」です。 |
確か自分の生身の体が眠っているんですよね | 説明 |
バス停も松本零士色ですねー。 |
気合の入れ具合が微妙 |
「ガラスのクレア」です。 クレアさん、鉄郎のこと好きだったのですよね。 |
999の食堂車でウエイトレスさんしています | 説明 | 盆水浸し(笑) |
福井テレビがありましたよ。 |
事務所だけかな? |
敦賀のメインストリートは、無駄に幅広いですねー。 昔は路面電車でも走っていたのかなぁ。 |
挙句の果てに駐車串刺しでとれているし |
「エメラルダス」です。 |
一応メーテルの双子の姉というのが最新の設定 | 説明 | 宇宙海賊ですよ |
「時間城」です。 |
こんなんだったかなぁ | レリューズさん 「想い出なみだ色」を歌っていた |
説明 |
「友の眠る星」です。 |
アルカディア号が埋まっています | ハーロック かっこいい | 説明 |
「プロメシューム」です。 |
中空洞(笑) | 説明 |
「別離」です。 |
地球に戻ってメーテルとお別れ | 説明 | 鉄郎は生身の体でいつづけます |
今日はお祭りじゃないはずなんですが、出店はまだたくさんありますねー。 |
金曜日の日中ではそう売上ないでしょう |
お祭りは、敦賀・気比神社のお祭りだということでした。 |
気比神社 大きいですね |
帰宅後確認したら、999のモニュメント、2つほど抜けていました。 きっと出店で隠れてわからなかったのさろうなぁ・・・。 反対側に渡って、「宇宙戦艦ヤマト」みていきましょう。 「ヤマト、永遠に」もモチーフとした作品群みたいです。なんで最初のシリーズでやらなかったのだろう。 まず見えてきたのが、「アナライザー」ですが・・・。 |
お店のテント縛るのに使われている・・・ | ヤマトの錨のモニュメントと |
「英雄の丘」です。 |
島と古代 | 説明 2202年のことです |
こちら側はお店あまり出ていませんねー。 |
999のほうはたくさん |
松本零士なバス停です。 |
です |
「スターシャ」です。 |
最初の作品で「コスモクリーナーD」を地球から取りに来いと言った人(笑) | 説明 |
「別れ-出会い」です。 「ヤマト、永遠に」は作中を通じて、古代進は宇宙に、森雪は地球にと遠距離恋愛でした。 |
雪ー!! | 説明 |
「サーシャ」です。 サーシャは古代進の兄、古代守とスターシャの娘です。年代設定からするとすんげぇ成長が早いですね(笑) |
古代進の姪だよ | 説明 |
「サーシャの最期」です。 |
サーシャ 死んじゃうんですね・・・ | 説明 |
「スカルダートの罠」です。 |
首から下は機械の体らしい | 説明 |
モニュメント設置の経緯は書いていますが、作品紹介とかはないんですね。 |
宇宙戦艦ヤマトを知らない人もいるだろうに |
「惑星デザリアム」です。 |
変な形 | 説明 |
「雪とアルフォン」です。 |
若干惹かれてしまった雪 | 説明 |
「帰還」です。 |
イスカンダルの人はエネルギー体なんですかね | 説明 |
「信じあう愛」です。 ちょうど、東横インの前にあるんですよね。 |
なぜか森雪の像が触られまくって光沢出ていましたが・・・ | 説明 |
最後は「佐渡酒造」です。 ツーショットできそうでしたが、石が濡れていますなぁ・・・。 |
こう見えても船医です |
-16:30- 一旦、宿に戻ってきました。 |
チャンネルは4つ・・・ |
内、2つは全国どこでも映るNHK総合とNHK教育ですよ。 ローカル新聞は「福井新聞」ですかね。 |
ローカル欄は地方色出ています |
風呂入って、しばらくのんびりします。 -18:00- さて、そろそろ飲みに行くかな。 てくてく歩いていきます。 |
画廊喫茶って久々見た 店名「未完成」 |
-18:05- 「丸勘」さんにやってきました。 |
今宵は寿司ー |
「せっかく予約して来てくださったのですが、あいにく海が荒れていて入荷が少ないんですよ」と大将。 いやいや。大丈夫ですよー。 メニューのないお店です(笑) まずはビール。 |
くああー |
刺身と酢の物なんかをお願いしてみました。 |
刺身 うまーい |
確かにショーケースはちょっと寂しいくらいの並びようですかね。 |
おいしかったら問題なし |
魚うまーい。これは日本酒だな。 「聖乃御代」ってのを勧めていただきました。今日行った、今庄の蔵だそうです。 今庄には蔵が4つもあるそうですよ。 |
2合いっちゃう |
酢の物もきましたー。 |
うまーい |
てことで酒も進みます。 今度は「早瀬浦」です。 |
また2合 |
ちなみに、最初の2合は30分で空いていましたね・・・。 寿司に行く前になんかもう一品とお願いしてみました。 |
なめろうっぽいの うまーい |
昨日まではお祭りでてんてこ舞いだったそうですが、今日はのんびりできていますとのこと。 今日でよかったなぁ。 大将にいろいろ敦賀について教えてもらいました。 広い道は市電が通っていたとかではなくて、戦災復興で当時の市長が広い道が必要と主張してそうなったそうですが、今ではやはり「広すぎやろう」という意見が大半だそうです。 敦賀半島は原発が集中しているので、敦賀市も協力金で全戸ケーブルテレビが敷かれていて、チャンネルも多く助かるとか。宿はケーブル見れないんですよね・・・。 |
いい雰囲気 |
さー、では寿司いきますか。10カンくらいいきますか? おまかせで握ってもらいます。 既に何がなにやらわからないので画像だけ(笑) |
なぜだか、うちわくれましたよ。 |
なんか協賛しているらしい |
寿司続きます。 |
14カンくらいいきましたねー。 じゃぁ、そろそ巻物で〆ますかね。 |
おいしゅうございました |
お会計は、こんだけ飲み食いしたにもかかわらず予想外にお安くびっくり。 敦賀、いいですねー。大将は何もない街って言っていましたが(笑) てくてく歩いて宿に帰ります。 |
夜のアーケード |
-20:45- コンビニ寄ってから宿に戻ってきました。 |
夜の敦賀 |
水分しっかりとって、さっさと寝よう。 |
いろはす間違えてスパークリング買っちゃった |
本日の走行距離 311km 福井県に泊まったのは、社会人になった年以来なので、超久しぶりでした。 北陸ののんびりした雰囲気ってのもまたいいですね。楽しい敦賀ナイトでしたし。 明日もうろうろして帰りましょう。 |
■ RockzGoodsRoom ■ Sitemap Copyright(C) RockzGoodsRoom All Rights Reserved.