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奈良・京都(社員旅行で奈良・京都) (2024/01/27〜28)
会社で会があり、給料ごとに会費を納めていて、その中で「宿泊研修」という名目で社員旅行があります。
ここ3年、コロナ禍で中止となっていましたが、ようやく再開することになりました。
昨年8月
案内が来ました。
例年、11月くらいと思っていたのですが、今年はコロナも明けて、宿が取りづらいらしく、結局来年1月末になるそうです。
エントリーしておこう。
初日は、今井町の街並みを見学してから、奈良ホテルでランチ、その後、黄桜伏水蔵に寄ってから、京都の宿に。翌日は朝食とってからら自由解散です。
翌日は、京都の蔵ににいくつか寄ってゆっくり帰ろうかなぁ。
昨年10月
家族で、淡路島3年とらふぐを食べに行こうかということに。
シーズン中、宿泊で行けそうなのは、1月第5週かぁ。
1月28日・29日の日月の1泊ならなら、会社の社員旅行の朝、ダッシュで京都から帰ってきたらいけそう。ということで予約。
行程をみていると、今井町には河合酒造がありますね。あと、黄桜にも寄るから、御酒印帳公認蔵2つまわれるなぁ。
酒蔵といえば、以前、中谷酒造さんでいただいた、京阪・近鉄の酒蔵めぐりスタンプラリー。
よくよく見てみると河合酒造も黄桜もいけるぞ。
無理かなーと思っていたけど、コンプリートできそう。 |
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これね |
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そんなわけで、個人で楽しむオプションもいろいろ考えていたりしました。
1月27日(第1日)
当日となりました。
幹事なので、集合場所には30分前には行っておかなくてはならないことに。
前日もなんやかんや仕事の問題も多発して、クタクタで帰宅。
準備しないと。
早目に寝たいけど、そうはうまく行かないですな。
-05:50-
目覚めます。
眠い・・・。
-06:30-
では行きますか。
てくてく歩いて、最寄りの阪急・小林駅へ。
-06:40-
阪急・小林駅にやってきました。 |
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まだ暗い |
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阪急電車に乗って、西宮北口駅で乗り換え、今津駅へ。
阪神電車に乗り換えて、西宮駅へ。
-07:10-
阪神・西宮駅で電車を降り、てくてく歩いて集合場所へ。
一番乗りかなーと思ったら、若手幹事さんが先に来られていました。
おー。気合入っていますね。
しばらくすると、旅行社の方も来られたり。
4年ぶりですねー。
-07:40-
バスが到着しました。 |
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2台で行きますよ |
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早速おやつの配布 |
そして・・・ |
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ちなみに、今回はトイレ付バスではありませんよー(笑)
R43を走ります。
-08:10-
阪神高速3号神戸線・西宮ICから高速です。 |
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高速乗りますー |
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-08:20-
淀川を渡り、海老江JCTで阪神高速2号淀川左岸線へ。
おー、ここほぼトンネル区間のところだ。初めて通ったかも。
-08:25-
そして、北港JCTで阪神高速5号湾岸線へ。
なるほど。鳴尾浜まで行って湾岸線に乗るより、西宮市街地から2号経由で湾岸線へ行けるんだね。 |
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海遊館とか |
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昔ここで死ぬかと思ったなぁ |
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-08:35-
三宝JCTで阪神高速6号大和川線に入ります。
-08:40-
三宅JCTを通過して、そのまま阪神高速14号松原線へ。
-08:45-
松原JCTで阪和道に入ります。
ここまで来るのに、わが家からなら中国道から近畿道経由で来ますが、こういう行き方もあったのだなぁ。
阪神高速2号淀川左岸線と6号大和川線ができたのが大きいですね。
-08:50-
美原JCTで南阪奈道に入り、たじはや本線料金所を通過します。 |
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たじはやー |
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しばらく走るとビニールハウスがたくさん。
バスガイドさんから、河内ワインの話がありました。
ここ通るたびに何の栽培かなと思っていたら、ぶどうだそうです。
大阪のワイン造りは日本でも有数の長い歴史を持ち、ぶどう栽培面積も一時は山梨県を凌ぐほどだったそうです。
商業ベースではないものの、すでに安土桃山時代には栽培したぶどうから葡萄酒らしき酒が造られていたという記録が残っているそうです。
また、江戸時代にも農家の軒先でぶどうが栽培され葡萄酒が名産だったという記録もあるそうです。
1878年(明治11年)ごろ当時の大阪府指導園から現在の柏原市に甲州ぶどうの苗が移植されたのをきっかけに甲州ぶどうの栽培が盛んになり、明治、大正期には中河内、南河内地域に広がり、現在にわたって栽培されています。
本格的なワイン造りは大正時代に始まり、果樹園が規格外のぶどうを活用するために1914年(大正3年)にワイナリーが立ち上げたのがきっかけで、その頃にはデラウェアも導入され、栽培面積を増やしていきました。
しかし、戦後、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風、1961年(昭和36年)の第2室戸台風の際にぶどう畑が大きな被害を受けてからは、急速な宅地化や他のぶどう産地の台頭の煽りを受け、ぶどう栽培面積及びワイナリー数は急激に減少しました。
現在では、2004年以降の日本ワインブームの追い風に乗り、南河内地方で放棄されそうな畑を引き継ぐことで原料を自ら調達し、ワイン造りを始めたことをきっかけに、大阪府内の耕作放棄地を引き継ぐ動きがいくつかのワイナリーであるそうです。 |
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ぶどうのハウス |
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太子ー |
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そしてすぐに奈良県に入り、そのまま大和高田バイパスへ。
-09:05-
新堂ランプで降り、R24を北へ向かいます。 |
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京奈和道へのランプ建設中 |
2026年くらいにできる模様です |
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R166を東へ。
そして市道に入って行きます。
-09:15-
今井町にやってきました。
ここでバスを降りますよ。 |
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今西家住宅 |
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今井町は戦国時代の寺内町が原型となり、全建物数約1500棟弱のうち、約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多い地区で、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
中世末期に一向宗本願寺の進出によって頭角を現すようになり、外敵から郷民の安全を守るために、自衛上武力を養い、郷の周辺に三重の堀を巡らし、土塁を設けた環濠集落でした。
織田信長に対して戦いを続けた一向宗ですが、今井郷では信長の攻撃によく耐え、ついには信長からの和睦により、三重の環濠を一重にするなどの上、自治権を与えられます。 |
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今井の環濠 |
ほほう |
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ちょっと皆さんトイレに寄ってから、今西家住宅に入ります。 |
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今西家住宅へ |
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今井町は、1566年(永禄9年)に大和四家のひとつ、十市氏配下の河瀬兵部丞や河合清長らが今井郷に逃げ、今井道場を中心とする寺内町をつくりました。
信長から与えられた自治権により、今西家は司法・行政を司り、裁判を行ったため、お白州に見立ていた土間が建物内にあります。そこに皆さん座ってガイドさんの話を聞きました。
土間は、大梁3本を通すことで、柱を立てず広い空間を確保しています。 |
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なかのま |
小屋組みがすごいなぁ |
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罪人を白状させるよう、拷問部屋のいぶし牢が残っています。
2階の部屋に罪人を押し込め、下から燻すといったものです。 |
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女性用 |
男性用 |
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そのためか、木戸は模様が描かれていますが、すすけて黒くなっています。 |
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松竹梅の模様です |
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このお白州に見立ていた場所は、室内ですが外の扱いで、夜には仕切る木戸を閉めると、猿落としが落ち、今のオートロックのようになるとのことです。
今井郷は、織田信長の保護を受けていましたが、信長亡き後、豊臣秀吉の時代も保護を受けていましたがそれも終わり、江戸時代となった際の大坂夏の陣では徳川方についたため、豊臣方に今井家住宅はめちゃくちゃにされてしまったそうで、現在の今西家はその後の1650年(慶安3年)に改築されたものです。今西家のおかげで、今井の街は無傷で守られたということです。
河合清長はその働きから、郡山城主 松平忠明より今井の西を守ったため今西を名乗るよう勧められたとのことです。 |
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刀も授かりました |
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なかのま の奥は なんど |
すげぇ |
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今井家住宅は、大坂・堺への玄関口である西へのにらみを利かせるために西の妻側のつくりは、八つ棟造りと呼ばれる、お城のような見せ方の造りです。
今井では、1634年(寛永11年)に全国にさきがけて幕府から許可を得て、札元となり、藩札と同じ価値のある独自の紙幣である「今井札」が発行されます。
「大和の金は今井に七分」と言われるほど繁栄したそうです。
これは信頼性が高く、幕府が1707年(宝永4年)に硬貨の流通を妨げるものとして札遣いを全国的に禁止したのですが、今井町の今井札からの両替準備は充分で、その引き換えは滞りなく処理され国中で有名な話題になったそうです。
自治権を有し、かなり高度な街の運営がdきていた今井町ですが、1679年(延宝7年)に4代将軍徳川家綱によって天領に編入、今西家は武士の資格を停止となり名前だけの武士並み扱いとなります。
南側にはお庭が広がっていますが、その先には現当主の生活の場となっているため、結界石が置かれ、その先の進入はお断りとなっています。 |
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お庭 |
結界石 |
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北側のメインストリート、本町筋に面する建物の表情は、西側と大きく違い、商家の趣を出しています。
壁には紋が入っていて、右に「川の字を井桁枠で囲んだ」河合氏の定紋を入れ、左には「菱形を3段に重ねた」今西家の旗印を付けています。 |
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今西家の旗印 |
河合氏の定紋 |
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古くからの趣を残すものとして、牛や馬を繋ぐ金具が家々の壁にありますね。
馬用と牛用は違うのだそうです。後で回答しますねということでした。 |
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こういうやつ |
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では班分けしてガイドさんに連れられて街を散策します。
本町筋を東へ歩いて行きますが、今西家が途絶える角は、道がクランク状になっています。
今西家住宅の東面、北側の窓は、そこからまっすぐ東に延びる本町筋を見通すことができ、夜には建物の窓から漏れる明かりで行燈のような役割も持つ、城で言うところの隅櫓と似たような機能を持っていたようです。 |
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クランク状の道 |
マンホールの模様って馬や牛を繋ぐ金具の模様 |
隅櫓チックな |
てくてく歩きながら、いろいろとお話を聞きます。
街並みを保存する意味から、電柱はなく、電線は地中化されています。 |
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メインストリートだけど狭い |
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元々は平屋だけしか認められていなかったそうで、見た目だけは2階建てっぽくなったとのこと。 |
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屋根裏部屋みたいなのかな |
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これだけ狭い今井町の道、密集していることから防災に対する備えもしています。
旧西町生活広場というのがありましたが、40tの耐震性防火水槽を埋設しており、伝統的な建物を修理し、縁台を設けた休憩所と防災倉庫を併設した生活広場として開放しています。 |
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ここに防火水槽 |
旧西町生活広場 |
防災小屋と防火水槽 |
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バイクくらいしか通れないね |
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きれいな街並み |
2階っぽい見せ方 |
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樋のディテールがきれい |
きれいだねー |
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「今井まちや館」です |
基礎は礎石に柱を立ていただけだそうです |
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「今井まちや館」は、18世紀初期頃の町家です。
江戸時代は金物屋又兵衛(金又)だったということで、江戸時代中期頃の町家の様子を体感してもらえる施設として開放しています。 |
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一段高いのが「なかのま」
「おうえ」とも言うそうです |
おかま |
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あの窓 |
紐で開閉 |
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使用人部屋は、天井裏にあり、夜は梯子を外していたそうです。 |
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ここね |
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なぜ梯子を外すかというと、夜逃げされないためのようです。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、空き家も多く、そこに外から入ってきてカフェとか開く人も多いそうです。 |
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あーここは空き家になって長そうだね |
維持していくのも大変
ここは学童保育所 |
下水マンホール
今井町のまちなみ |
ブックカフェにリノベーションされた、今井文庫がありました。 |
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のんびりできそう |
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1本南の御堂筋へ。
-10:10-
称念寺にやってきました。
今井御坊とも言われます。 |
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表門 |
葵の御紋があるらしい |
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今井御坊は天文年間(1532年〜1555年)に、本願寺の河瀬兵部丞が石山本願寺から寺号を得て、今井郷に念仏道場を建ていたことに始まるといいます。
河瀬氏は豊臣秀吉の天下になってから今井氏へ改名したそうです。
紀州徳川家とのつながりもあり、瓦の巴の部分に葵の御紋がありますよ。 |
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本堂 |
表門の内側 |
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これです |
下の軒先 |
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ということで、ガイドさんはここまでとのこと。
1時間契約なのかな。
それはそうと、馬と牛の金具の話はどうなったのだろうと聞くと、それは忘れていました!とのことで、重要文化財の豊田家のところまで行きました。
馬は下のほうに繋ぎ、牛は上のほうにつなぐということでしたよ。 |
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牛用 |
馬用 |
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というわけで、ここからは自由行動です。
河合家住宅の河合酒造は行っておかないと。
御堂筋を歩いていきます。 |
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床屋さん |
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ふと屋根を見ると、小さな人形をがいますねー。
鍾馗(しょうき)さんです。 |
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鍾馗さん |
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京都市内の京町家など近畿から中部地方では、現在も鍾馗さんを置く風習があるところもありますね。
昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのがいわれだそうです。 |
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うだつのある街並み |
北側への小道 |
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このあたりは東町かな |
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てくてく行きます |
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-10:25-
重要文化財・河合家住宅の、「河合酒造」さんにやってきました。 |
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おおー |
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集合時間までそう間もないので、さっさと試飲させていただき、買っていくか。
試飲は、大吟醸出世男と奈良うるはし純米酒出世男に、本醸造出世男、純米酒うねび、純米吟醸上品寺屋のうちひとつをチョイス。それにお猪口か升を選んで800円の有料試飲です。
三人で、選べるものを1種類ずつ違うので試飲してみました。 |
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ほほう |
本醸造出世男でお猪口をチョイス |
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いろいろある |
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結局、試飲してよかった本醸造出世男をいただいて帰ることに。
あ、京阪・近鉄の酒蔵めぐりスタンプラリーと御酒印帳ありますー。
ということで、集合場所の今井まちなみ交流センター「華甍」にやってきました。
時間的に中を観ている時間はないですね。 |
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華甍 |
旧高市郡の教育博物館だったのだ |
1903年(明治36年)建設の建物 |
華甍は、1929年(昭和4年)からは、今井町役場として使われていたそうです。
バスに乗り込みますか。 |
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バス回してきてくださいました |
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プレモルいただいた |
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京奈和道建設中 |
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橿原バイパスを走っていきます。
-11:10-
郡山下ツ道JCTで西名阪道に入ります。 |
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郡山下ツ道JCT料金所 |
すぐに天理本線料金所 |
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-11:15-
西名阪道・天理ICで高速を降ります。 |
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天理― |
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R169を北上します。
「中西ピーナッツ」ってお店ありました。
なんかすんごい繁盛しているようでしたよ。 |
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中西ピーナッツ |
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ピーナッツはじめ、豆菓子の工場直営店らしく、結構人気みたいですね。
また行ってみよう。
ずんずんR169を北上していきます。
-11:40-
「奈良ホテル」にやってきました。
こちらでランチになります。 |
奈良ホテルは、創業1909年(明治41年)の、辰野金吾、片岡安の設計です。
東京駅設計の組み合わせですね。
こちらでランチをいただきますよ。
メインダイニングルーム「三笠」に通されます。 |
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いいねー |
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メニュー |
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ここは白ワインだな |
スモークサーモン |
トマトノポタージュスープ |
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牛フィレステーキ リヨネーズ添え |
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アップルパイとバニラアイス |
コーヒーもいただく |
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食後は自由散策となっています。
オプションで、興福寺に行きたい人は連れて行ってもらえるので、国宝館に行きたかったので、奈良ホテル内の散策も捨てがたかったのですが、興福寺に行くことにします。
-13:05-
では、奈良ホテルを出発し、すぐに興福寺到着です。 |
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国宝館にまずは行く |
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国宝・乾漆八部衆立像や阿修羅像がありますねー。
以前、東京国立博物館の「阿修羅展」で阿修羅像を観た時は、真後ろも観れましたが、人多すぎてゆっくり観れませんでした。
今回は自由時間が少ないなりにもゆっくり拝見することができました。
興福寺は、710年(和銅3年)創建の、藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺です。
藤原鎌足夫人の鏡王女が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、669年(天智天皇8年)に山背国山階(現・京都府京都市山科区)で創建した山階寺が当寺の起源とされています。
壬申の乱のあった672年(天武天皇元年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺と称します。
710年(和銅3年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けたとのことです。
あまり時間はないですが、境内内の他のも観ておきましょう。 |
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国宝・五重塔 |
中金堂 |
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五重塔は、昨年から120年ぶりの大修理に入り、もうすぐ囲われてしまいます。
2031年3月まで、7年ほどかかるそうです。
御朱印授かろうかな。
南円堂のほうに行きます。 |
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南円堂 |
あ納経所は行列 |
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西国三十三所巡りの時には一度御朱印は授かっているのですけどね。
今回は時間的に無理だな。
バスに戻ります。 |
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五重塔7年後だな |
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では、奈良ホテルに戻ります。
ホテルに戻り、ホテルと周辺自由散策班と再度合流。
-14:05-
出発しますよ。 |
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奈良ホテル ステキでした |
夜もステキなんだろうなぁ |
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春日大社一之鳥居 |
奥には奈良国立博物館 |
あれは若草山かな |
そのまま県道754号を北上していきます。
-14:25-
京都府に入ります。
-14:30-
京奈和道・木津ICから高速です。 |
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高速入りますー |
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プレレモル飲んだり |
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田辺西ー |
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-14:40-
城陽JCTを通過し、新名神に入ります。 |
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JCTに料金所 |
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-14:50-
八幡京田辺JCTで第二京阪に入ります。 |
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高槻への新名神延伸工事中 |
2027年度には繋がるらしい |
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-14:55-
久御山JCTを通過してすぐの第二京阪・巨椋ICで高速を降ります。 |
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巨椋ー |
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醍醐山のほうかな |
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京都外環状道から市道へ。
-15:00-
「黄桜 伏水蔵」にやってきました。 |
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駐車場から歩きます |
伏水蔵=ふしみぐら |
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黄桜は、伏見の蔵元・澤屋(現:松本酒造)の分家として1925年(大正14年)に創業しました。
1964年(昭和39年)に黄桜酒造となりましたが、社長が黄桜の花(淡く緑色がかった白い花を咲かせるサトザクラの一種)を好んだことからだそうです。
漫画家・清水崑が描く河童を長期にわたりマスコットとしていましたが、清水氏の没後、1974年(昭和49年)からは漫画家・小島功が描く河童となり、ちょっと色っぽい女性の河童とか有名ですね。
あと、「河童の歌」(かっぱの唄)のCMも印象深いです。
伏水蔵は、2016年(平成28年)にできた施設で、日本酒醸造蔵と地ビール蔵を同時に見学できる施設です。 |
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では入りましょう |
金のカッパ |
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伏見ー |
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そして、レストランのほうに向かい、試飲をいただきます。 |
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2種類楽しめます |
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美味しいですねー。
試飲をして、ちょっとお酒買います。
黄桜の酒、と思いましたが、1967年(昭和42年)からグループ企業となっている、東山酒造の閂が気になって買ってしまいました。
一応、それでもちゃんと御酒印帳のラベルを授かれましたよ。
京阪・近鉄の酒蔵めぐりスタンプラリーも押していただけ、スタンプラリーも完成しました。
さ、では見学していきましょう。 |
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こういうの家でもしたいなぁ |
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ビール発酵タンク |
仕込槽 |
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1925年(大正14年)創業 |
昔は1級・2級だったなぁ |
カッパ新旧 |
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1992年(平成4年)から級別基準が変わりましたね |
カッパ家族 |
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地ビールには1995年(平成7年)に参入 |
2022年(令和4年)にはウイスキーも始めたのだ |
4階に上がります。
地ビール「京都麦酒」は、インターナショナル・ビア・カップやアジア・ビア・カップでいくつも賞をとっているそうです。 |
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そうなんだ |
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古代エジプトでは、エンマー小麦でビールを造っていたそうですが、紀元前8000年ごろ以降、古代エジプトで栽培されるようになった「エンマー小麦」を現代によみがえらせ、麦芽とともに京都の名水・伏水で仕込んだ現代ビール”WHITE
NILE”が黄桜のビールです。 |
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デュラム小麦が"BLUE NILE"
ピラミダーレが"RUBY NILE" |
黄桜は濾過で酵母を取りきらないそうです |
フレーバーつけているのもあるんだ |
地ビールに参入して約30年。いろいろなラベルがありますねー。 |
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ずらり |
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瓶詰工程もありますが、今日は動いていないのかな。
土曜日だしね。 |
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火入れ? |
X線検査しています |
ビールのロードマップ |
ロードマップ見ていると火入れもするので、酵母残していてもそこである程度酵母の働きは止まるのかなぁ。 |
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地ビール充填ライン |
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こちらは日本酒の熟成タンク |
酒母室かな |
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一麹 二もと 三造り |
麹室 |
年に一度しか仕込まないという、黄桜DIAMONDというのがあるそうです。
35%まで丸三昼夜かけて磨いた最上の兵庫県特A地区産酒造好適米「山田錦」を全量使用。
杜氏は、微細な変化も見逃さないように1か月以上もろみと24時間向き合うそうです。
圧をかけないように酒袋に入れてゆっくりと搾り、米の旨味を存分に引き出し、香りは上品に仕上げているとのこと。 |
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600mlで35,000円! |
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というわけで、2階に戻り、地ビールも試飲しておこう。 |
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有料ですが |
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京都麦酒のケルシュをいただきます。
結構軽いなぁ。
というわけで、バスに戻ります。 |
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カッパッパールンパッパー |
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来た道を戻り、洛南道路を北へ。
-16:05-
第二京阪道・伏見ICから高速です。 |
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上は第二京阪 |
入りますー |
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-16:10-
第二京阪道・鴨川東ICで高速を降ります。 |
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高速はここまで |
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R24を北上し、JRをくぐって府道115号を西へ。 |
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京都タワー |
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おつかれさまですー |
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18時から宴会なので、それまでに風呂入りましょう。
ということで、部屋に分かれてから温泉へ。
気持ちいいですねー。
-17:45-
2階の宴会場へ行き、幹事のいろいろ準備を済ませます。
-18:00-
では宴会開始です。 |
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京会席です |
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かんぱーい |
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先付け 焼八寸 |
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土瓶蒸し |
いいねー |
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今日寄った黄桜の生もと山廃 |
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造里 |
蒸物は慈姑饅頭蟹餡
慈姑は「くわい」ですね |
小鍋は鯛ちり |
そして、ビンゴ!今回は2等の、奈良ホテルのアフタヌーンティーセットが当たりました。
わーい。 |
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黒米御飯と福久佐味噌仕立て |
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福久佐味噌仕立てって何だろうと思って、帰宅後調べたら、京都では赤みそと白みそを合わせたものを、茶の湯で使う袱紗(ふくさ)になぞらえてふくさみそというそうです。
なので、きっと福久佐はホテル側の当て字に思われますね。 |
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ほうじ茶プリン 蕨餅など |
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ということで、お開きとなりました。
今回は2次回は何もセッティングしていないので、皆さんそれぞれ楽しまれるようです。
ラーメン食べに行ったりとか(笑)
幹事部屋はちょっとだけ反省会兼ねて持ち寄って飲みました。
-23:00-
寝ますか。
皆さまおつかれさまでしたー。
1月28日(第2日)
さて、今日は朝食をいただいたら各自解散で帰宅です。
今日は、速攻で帰宅して淡路島に行くので、本来は幹事は全員のチェックアウトまで残るのですが、申し訳ないですが先に帰りますよー。
-06:00-
目覚める。
が、同室の方々まだ目覚める気配がないな。
-06:30-
そろそろ動き出すかな。
朝温泉は諦め、着替えて荷物整理をします。 |
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外はトワイライトな感じ |
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同室の皆さんは温泉に行くとのことなので、じゃぁ、朝ごはんいただいて帰るのでここでー。
お疲れ様でしたー。
朝食会場が開くまでいまだ少し時間ありますね。 |
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0時〜6時は施錠されています |
耐震性かなりある |
防災意識高いなぁ |
-06:50-
さて、そろそろ朝食会場に行きますか。 |
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朝食券 |
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朝食は他の団体さんも同じ会場のようですね。
外国の方がわらわらおられました。
ちょうどいっしょになった同僚と相席します。 |
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梅干し湯 目が覚めますよとのこと |
いただきまーす |
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紙鍋の湯豆腐 |
優しいお味 |
御飯とお味噌汁はおかわりできましたが、たくさん食べて眠くなってもなので、ほどほどにしておきました。
-07:15-
というわけで、いただきたら早々に帰路につきます。
皆さんお先にー。 |
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ハトヤ瑞峰閣さんでした |
京都温泉 |
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日曜の朝 人少ない |
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京都タワー |
そして京都駅へ |
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-07:25-
JR京都駅から新快速に乗ります。
-07:55-
JR大阪駅で降り、阪急に乗り換えます。 |
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日曜の朝の大阪梅田 人まばら |
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-08:05-
阪急・大阪梅田駅から神戸線に乗ります。
阪急・西宮北口駅で宝塚行に乗り換え。
-08:35-
阪急・小林駅で降ります。
そして、てくてく歩いて帰宅しました。 |
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河合酒造のラッピングいいね |
本醸造出世男 |
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出世男! |
にこちゃん |
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黄桜で購入した、東山酒造の閂、なかなかビジュアル的にはいいですね。 |
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閂 |
次は黄桜のを買おう |
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奈良ホテルのアフタヌーンティーセットもなかなかよさげ。 |
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コーヒーも入っていますが |
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コロナ禍で3年ブランクがありましたが、久しぶりの社員旅行は楽しかったですねー。
皆さんのニーズも変わってきていて、今後は隔年で行う方針ですが、次はどこに行けるかなぁ。
幹事の皆さんもおつかれさまでしたー。 |
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走行マップ |
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