RockzGoodsRoom > Outing > Outing2024 >

RockzGoodsRoom > PAST Contents > Goods2024 >

 大阪(関西大学千里山キャンパスで村野藤吾建築を堪能) (2024/03/30)

草屋の会」の代表である、建築家の前田由利さんは、関西大学のご出身で、建築学科卒業生で「千里山建築会」というのがあり、参加されています。

関西大学は、建築家・村野藤吾(1984年没)が設計した建物が多くあります。
近代建築史とかでは必ず出てくる方で、宝塚市在住でした。
というわけで、宝塚市役所やカトリック宝塚教会などは、以前から慣れ親しんできた建物でしたし、尼崎市役所や西宮トラピスチヌ修道院など、近くにも結構ありました。
関西大学には、1953年(昭和28年)から1980年(昭和55年)に、現存するだけでも24の校舎を設計しています。

千里山建築会では、既に建て替わった村野建築がある中で、今のうちに「もっと千里山キャンパスの建築、特に村野建築を勉強しよう!」という活動をされています。

その流れで、前田さん自身が企画され、残念ながら取り壊しが決まっている建物を含めた現存するすべての建物を見学できる最初で最後の貴重な機会を得たとのことで、卒業生以外で内部見学ができるのは大変稀な見学会が開催されるということなので、参加しました。

一応、草屋根の会で募集しますが、会員以外もOK(参加費1,000円必要)ということなので、会社で、そういえばあの人も関西大学の建築OBだったよなぁと言う方にもお声がけをしました。

というわけで当日。
今日は、10時〜17時まで、お昼休み以外は歩き続けるという予定の結構ハードなツアーです。
大学が春休みな上に土曜日なので、キャンパス内では食べられないかもということで、お昼ご飯も持参となっています。

-07:00-
目覚めます。
人事異動に引っかかっちゃって、来週月曜の新年度から新たなポジションなんですが、引継ぎ関係で片付けないといけない上に、年度末はいろいろあって忙しかったので、実はあまり新年度準備が進んでいないなぁ。
明日は休日出勤だな。
と思いなが、今日は今日で楽しもうということに。

-08:15-
では行きますか。
てくてく歩いていきます。

途中のコンビニで、おにぎり買っていこう。

最寄りの阪急・小林駅から電車に乗ります。
小林駅 こじんまり
阪急・西宮北口駅で神戸線に乗り換え、阪急・十三駅で京都線に乗り換えます。

乗った電車は京都線から千里線に入ります。

途中、阪急・淡路駅に着き、目の前のドアが開くと、片山工務店の片山社長が乗り込んで来られました。
おー。奇遇ですねぇ。
というわけで、いっしょに関西大学に向かうことにしました。

-09:15-
阪急・関大前駅で降ります。
北改札から出ますよ。

外に出て、片山社長がコンビニでお昼を仕入れるのでしばし待ちます。
正門はまだ向こうかなぁ。
コンビニ前にも入口があるんだけど。

大学のガードマンさんに聞いてみると、コンビニ前からエスカレーターとかあるそうです。
そうなんだ。ここは南口なのか。新アクセスとも言うらしい。
でもせっかくなので、正門から行ってみましょう。
キャンパスマップ 広大
片山社長とは関大ではない同じ大学の卒業生ですが、我々が通っていた大学とは違いますねー。
The 大学って感じで(笑)

てくてく歩いていきます。

-09:25-
関西大学千里山キャンパスにやってきました。
商店街の向こうに正門 正門です 正門の解説
集合は、簡文館ということなので、キャンパス内を進んでいきます。

簡文館前にやってくると、前田さんが待ち構えられていました。
大学だなぁ スタッフの山下さんも来られたのでお手伝いする
関西大学の、橋寺准教授が資料をお配りになっていました。
先生の文章
-10:00-
時間になりました。
見学会スタートです。
前田さんのご挨拶 橋寺先生の解説開始 全体的なお話から聞く
橋寺先生のほうで、キャンパスマップに村野建築がわかるようにした資料を作成されていました。
わかりやすい
あと、「簡文館みどころマップ」というのもいただけました。
おー。これもすごい。

関西大学は、1928年(昭和3年)に、千里山キャンパス初の鉄筋コンクリート造建築物が建てられます。
これは、今も唯一現存する建築物だそうで、簡文館と繋がった建物だそうです。

まず、第1学舎エリアから見学します。

最初は、簡文館です。
簡文館は、1955年(昭和30年)建設で、旧千里山図書館、現在は関西大学博物館となっています。
先ほどの1928年(昭和3年)に建てられた図書館に増築されたもので、これを皮きりに、村野藤吾は以後30年余り関西大学千里山キャンパスに携わることになります。

では中へ。
階段の造形 タイル張りがノスタルジックでいいです
3階の展示室へ。
ドーム型の天井は、ライトが埋め込まれているのかなと思ったのですが、小さなトップライトでした。
いいねー トップライト
屋根は、放射状に梁があるのですが、逆梁で天井面に梁が出ないようにしています。
おー
天井近くの黒い部分は、元々はハイサイドライトですが、現在は博物館なので閉じているそうです。
黒い部分ね
橋寺先生の説明が一通り終わり、ちょっと自由に観てくださいねということに。
トップライト この照明は元からこの形だったか不明だそう いいねー
ハイサイドライトの下には窓もあるのですが、こちらも博物館展示室と言う都合上閉じています。
裏側見てみた
あー窓ありますね
緑の柱が、耐震補強の鉄骨風にも見えますが、オリジナルだそうです。
いいなぁ 補強じゃないよ トップライトとは思えないシルエット
屋根を見に行くそうです。
上がってきた階段
屋根が観られる階段は、上がって降りてになるので、順番に観ていきます。

屋根を見ると、先ほどお聞きしたように、逆梁の様子が見えました。
緑は後から塗ったのかな
3階で皆さん観終わるのを待ちます。
特別展示室前
特別展示室は、1928年(昭和3年)に建った建物で、これは村野建築ではないです。
この先約100年前建物 ぶどう模様のレリーフ
では降りていきます。
独特な階段デザイン
2階に降ります。
事務室とか
廊下が円形
真ん中は螺旋階段
螺旋階段を降ります。
おーいいねー 階段の薄さ・・・
1階には、いろいろとパネル展示されていました。
大学の歴史とか 当初は大阪市内まで観えたそうです
いろいろと昔の写真もありますね。
ほほう こんなスロープもあったのだ
3階の展示室は図書館だった 今と昔の比較とか
というわけで、外へ。
簡文館の村野建築部分
外観上、ベランダはありますがデザインだけで外に出ることはなかったそうです。
デザインのベランダ ここに屋外スロープが接続していた
屋外スロープは、なにわ大阪研究センターが増築された時に撤去されたそうです。
そこに付くキャノピーは、旧大学ホールを解体する際に移設されたもので、村野藤吾デザインだそうです。
ガラスの庇 解説
簡文館は、国の登録有形文化財です。そして、大阪府の有形文化財でもありますが、文化庁の定める登録有形文化財にはプレートがありますが、大阪府のものにはそのようなものはなかったので、自前で似せて大阪府バージョンを自ら作ってしまったそうです。
違和感はないね
北のほうへ移動します。
第1学舎1号館と「あすかの庭」と呼ばれる芝生の広場のあたりには、かつては旧第1学舎1号館(村野建築)と、その前には大学本館が建っていました。

1927年(昭和2年)に建設された大学本館は、当時資金が潤沢でなかった大学が、住友財閥の合資会社時代に、本社社屋を建替える際の旧社屋を譲り受け、大阪市中心部から移築したたもの、リユースしたものでした。六角形の塔屋が特徴的な建物だったそうです。
ここに建っていたそう 解説
第1学舎エリアの奥へと向かいます。
時計台
キャンパス内、結構起伏ありますねー。
私の母校は超フラットだったので、なんだか新鮮。
右:1号館
左:3号館(村野建築)
第1学舎は法文学舎となっています。

第1学舎(法文学舎)3号館を眺めます。
こちらは、1967年(昭和42年)建築の村野建築です。
こちらは、法文研究室ということです。
外壁タイルは北欧風のタイルを用いています。村野藤吾は、戦前より北欧建築は良いと言っていたそうです。

タイルのラインの見せ方が、南面と東面で違いますね。これ、タイルの裏表をわざと使い分けているそうです。
第1学舎(法文学舎)3号館 タイル縦貼をブロック状に そうすると大きなタイル割りに見えますね
法文研究室の中には入れません。
外部から階段の様子を眺めるに留めます。
階段 最下段部の手摺の仕舞いが独特
窓は、中心に大きな面積を取り、両側にスリット状の窓を配置するデザインや、下が小窓で上が大面積といったデザインは、村野建築では好んで取り入れられているそうです。
ほほう 第1学舎(法文学舎)3号館と法文研究室1号館の間を法文研究室第2号棟に向かう 村野デザインの窓
エレベーターは近年増築したそうですよ。
バリアフリーを無視できないのは時代の流れですね。
関大マンホール
法文研究室2号棟へ。
こちらは、1967年(昭和42年)建築の村野建築です。
2号館
大勢の学生の出入りを想定して、1階にはエントランス的なものはありません。
後に、大学側の都合でシャッターなどがつけられましたが、ほぼ閉められたことはないとか。受験の時くらいかなーということでした。

正面の大階段は、当初のデザインでは多くの詳細設計が検討されていたようですが、最終的にはシンプルなものが採用されたということです。
大勢の学生の出入りを想定してシンプルに 大階段
ちなみに、横の階段を囲うフェンスのデザインは村野藤吾ということでした。
エキスパンドメタル加工かな
法文研究室2号棟と第1学舎(法文学舎)3号館の間を通り、第1学舎(法文学舎)2号館へ。

既に、2号棟と2号館と似た名前で地図をちゃんと確認しないとわからなくなってきています・・・。
第1学舎(法文学舎)2号館
こちらも1967年(昭和42年)建築の村野建築です。
アウトフレームで耐震改修工事が施されています。
なぜアウトフレームかというと、こちらの建物は、大学の先生方の研究室棟で、インフレームにすると部屋の面積が減ったり、工事も一旦いろいろなものを仮移設しなければならないなど、先生方の理解が得られなかったから・・・。というようなことだそうです。
うーん。せっかくの村野建築が・・・。

その先には先ほど見た法文研究室1号棟の北側になります。
窓は、元々両側の部分が可動で真ん中が嵌め殺しだったおすですが、改修の際に既製品を流用することで、それが逆転したのだとか。
村野建築でよく見られるデザインの窓
真ん中が動く
階段薄いなぁ
村野建築では、半階程度を上がり下がりするような階段など、結構階段の設置が多いそうです。
コンクリート製の階段、構造上はちゃんともつことになっているのですが、昔の大学生ならいざ知らず、近年の大学生は体格もよくなっているので、ちょっと不安はありますねとのこと。

歩いていくと、「城口」と書かれたマンホールがありました。
城口ってなんだ?
帰宅後調べると、大阪城口研究所ってとこのマンホールで、給排水衛生設備・空調設備・消火設備等の設計施工をしていて、メンテナンスなどをする際に分かりやすくするため、自社の蓋を使っているそうです。

岩崎記念館(大学院新学舎)にやってきました。
こちらは1974年(昭和49年)建築の村野建築です。

木々が生い茂っていていいのですが、建物を映すには難しいですねー。
エントランスはこっち 木々の間から タイル張り
先ほどの第1学舎(法文学舎)3号館とはまた違う
大学院の学舎は、初代が1949年(昭和24年)に建築された、村野藤吾の関西大学での初仕事となった建物ですが、それが建替となりこちらになっています。
大学院学舎としては、二代続いて村野建築とうことですね。

縦窓や庇に村野らしさがあるとのこと。
2〜5階の壁面と比べると、1階部分は少し奥まっています。入り口部分は控えめで、中に入ると広いというのも村野的とのことです。
自動ドアは後から
でも床タイルは当時からのもののようです
小口平と二丁掛の組み合わせかな
大学年史編纂室では、明後日から約1年、「第1学舎の記憶」って企画展するそうですよ。
入館料無料です
ということで、岩崎記念館を後にします。
岩崎記念館(大学院新学舎)でした
以文館は、1954年(昭和29年)に老朽化のため解体された大学本館をモチーフとして、2003年(平成15年)に法科大学院の学舎として建築されました。八角形の塔・ドームのデザインがオマージュとして取り入れられていますが、なぜか両端についています。
うーん・・・。なんかなぁ。
以文館
簡文館前の戻ってきました。
簡文館 円形の建物
ピロティ部分で持ち上げられたような形
簡文館ができた1955年(昭和30年)頃は、まだ周囲にそう高い建物がなく、遠くからもこの簡文館やかつてあったグランドやその観客席も見えたそうです。
円い簡文館をアイストップとして建設した意図もあったのではということです。
奥は1928年(昭和3年)に建った現特別展示室 特別展示室の増築が村野建築
1928年(昭和3年)に建った現特別展示室は、大林組が施工したのだそうです。

ここから第4学舎のほうへは高低差が約15mあります。この間の部分に、学生の課外活動のための施設群である、誠之館があります。
誠之館3号館和室
では、和室に行きましょう。
こちらは一度に全員入れないので、3班に分かれて見学します。
村野藤吾の茶室 振り返ると第1学舎との高低差
誠之館3号館和室は、1963年(昭和38年)建築の数寄屋づくりの茶室です。
村野藤吾が茶道部のために設計しました。
大学に茶室があるのかぁ
今日は朝から暖かく、桜が咲き始めているようです。
つぼみが膨らんでいます 花一輪
和室の外周を先に観ておきます。
仕上げは、ベニヤ板を使っているので、結構痛みが出ていますね。
数寄屋造りの茶室 軒天 ベニヤ いいねぇ
軒天角の収まり 建物(壁)側 むくりのある屋根です
さて、ではそろそろ見学できるかな。
いわゆるアプローチ部分 前庭っぽい空間
では、おじゃましますー。
玄関
茶道部の学生さんたちが、部活する前の時間を利用して拝見します。
ありがとうございますー。
天井 くれ縁にはなっていないけどなんとなく内部と一体化する感じ
広間の茶室 床の間のほう
茶室は2つあります。
炉が切ってある茶室 水屋
まぁ、今やエアコンないと過ごせませんので、仕方ないですがちょっと残念。

学生さんたちありがとうございましたー。

次は、誠之館2号館を通っていきます。
こちらは、1962年(昭和37年)建築の村野建築です。

向かいの誠之館3号館も1962年(昭和37年)建築の村野建築です。
この2棟を結ぶ渡り廊下も村野建築で、どうやら屋根の勾配をわざとスパンごとに左右に変えているそうです。
渡り廊下 左右に傾きが違う へー面白い
この手法は、甲南女子大学にある渡り廊下でもみられるそうですが、甲南女子大学は部外者の見学は不可能ということで、村野建築を研究している橋寺先生でも難しそうでした、
誠之館3号館
誠之館2号館の壁は、ブロックタイルですがわざと表裏逆にしたりして表情を変えているそうです。
裏面使用 誠之館2号館
元々は素地のままだったそうですが、現在は改修で塗装仕上げとなっています。
裏面使って面白い これが表面の表情
誠之館2号館と誠之館3号館(1968年(昭和43年)建築の村野建築)の間を通っていきます。

誠之館2号館は西側と東側が全然違いますね。
西側は平屋に見え、東側は2階に見えます。土地の高低差を処理していますね。
誠之館2号館東側
KUシンフォニーホール(特別講堂)にやってきました。
こちらは、1962年(昭和37年)建築の村野建築です。
竣工当初は今のような庇もなく、エントランスは入り込んでから建具があったとのこと。

ちょうど背面が小高い丘になっていて、そこに突き刺すような形で建設されました。
村野建築では、結構攻めた建て方をしています。村野藤吾曰く、「村野でもこういう建築ができるんだ」ということだったそうです。
シンフォニーホール 後付けのエントランス
シンフォニーホールと行っても、音楽ホールではなく多目的ホールです。
主に、クラブ活動の発表の場となっているそうです。

では中へ。
部室は上らしい 渡り廊下
大階段を上って、左右に振り分けてホールに入ります。
振り分けると狭い階段
地形を生かして、ちょうど座席も傾斜して設置できていますね。
センター後ろから 後ろの右端から
中央には、特別席?なブースもありますね。
結構いいホール 照明ブースの形が面白い
左前から センター最前列から
皆さん、思い思いに観ています。
上がってきた階段 椅子のデザインは村野藤吾・・・。ではないよねきっと
大階段を降りていきます。
シンプルだけど手摺いいね
外部を歩いていきます。
元々は、外壁仕上げはコンクリート掻き落としだったお酢ですが、改修工事により塗装仕上げ。
橋寺先生が言われるには「きれいになりすぎた」そうです。
元の斜面に沿って階段 屋根は折板屋根らしい 先ほどの照明ブースのところ
このあたりは、桜が結構咲いてきています。
朝から少しずつ咲いているのかな
内部から見えたドアは、すぐ外に出るドアです。
外部とのドア ここにもドア
裏側に来ました。
結構急な階段 こちらもエントランスとして使うのかな 面白いデザイン
菅組の菅社長が屋外階段を上ってみるそうです。
上りますか やっぱり結構急ですよね
凛風館の屋上庭園に行きます。
シンフォニーホールの屋根
-12:00-
さて、ここで午前の部が終了。
お昼は各自とりますよ。
梅田のほう 第4学舎1号館の屋上にはエアコン室外機いっぱい
屋上庭園で朝買ったおにぎり食べますか。
たくさん歩くと思って今日は3個
おにぎり食べながら同行の皆さんといろいろお話したりして、休憩終了。

-12:50-
悠久の庭に集合で、午後の部スタートです。
午後もがんばって歩きましょうー
ちょっと関係者通路でショートカットしていきます。

一高・一中エリアにやってきました。
まずは、一高1号館(第一高等学校新校舎)です。
1980年(昭和55年)建築の村野建築で、村野藤吾の千里山での最後の設計です。
タイル張り うちの高校はこんな立派じゃなかったなぁ 庇が独特
今回、この1号館は残りますが、2号館、3号館は解体されてしまいます。
ただ、1号館も新校舎建設に伴い、一部解体はされたそうです。

階段のデザインは奥行を見せるように1段目を少し控えるようにしています。
1段目がちょっと浮いた感じに見えます なるほどー
外壁用のタイルが内部まで回り込んできています。
これも村野建築ではよく目にしますね。
外壁タイル
階段周りをみていきます。
アイアンの手摺子いいなぁ 1段目ステキ 結構こういうところの仕事大変
村野建築って、階段の折り返しとかて均等にしないパターンも多いですね。
階段幅木が人研ぎだ
1段目の処理見ると、これ、左官屋さんだいぶん苦労したのだろうなぁ。
おー これ大変
内部を歩いてみていまわります。
ここも小口と二丁掛の組み合わせかな
階段室の形状が複雑ですねー。
なぜこうなったのだろう 下半分暗い色なのは学校ならではだな スリット状の窓の光がいい感じ
教室内は普通の教室ですが、廊下側の窓には村野建築を感じますね。
こんな廊下窓は普通の学校にはないね
一旦外に出て、南側から一高1号館を観ます。
同じ年、宝塚市庁舎も設計しているので、ベランダはプレキャストコンクリートですが、形状はどことなく似ていますね。
宝塚市役所っぽい 奥に見えるのも一高1号館
一高2号館(第一高等学校校舎)を外から眺めます。
こちらは、1953年(昭和28年)建築の村野建築です。
2階までは鉄筋コンクリート造で、3階は木造だそうです。
見た目はわからない どういう接合しているのだろうか
3階が木造ということで、屋根が瓦屋根なのですが、むくんだりして結構雨漏りしたりといろいろと大変だったそうです。

一中一高は、元々は天神橋筋6丁目の天六キャンパスにあったそうです。
第3学舎を中心としたこのあたりのエリアは、元々は阪急が手がける千里山遊園だったのを、別の学校法人が取得したのですが、その後関西大学が買取り、現在のキャンパスになったそうです。

一高3号館(高中理科特別教室)に向かいます。
こちらは、1966年(昭和41年)建築の村野建築です。
一高3号館 では中へ
階段の壁、末広がりになっていますね。
細かいところにこだわりを感じます。
足元が末広がり 耐震壁かな 上がっていきます
窓の割付は、やはり村野建築という感じです。
普通の学校とは違うね
階段の壁、気になりますね。
左官屋さん泣かせだな 階段の途中も末広がり
屋上に出させていただきます。
一高2号館の屋根が見えました。
瓦屋根 うわぁすごい波打っている 平場もあるぞ
一高3号館の屋根の勾配は、瓦のように見えましたが、防水シートでした。
面白いー
そして、1階に降りてきました。
一高2号館の軒は木造
続いて、一高2号館の中へ。
階段やっぱり特徴的 学校建築でこんな階段はあまりやらないなぁというプラン
解体する建物ですが、内部は結構改修されて標準的になっていましたね。
廊下側はパネル壁
そして別の階段を上がります。
手摺もいいんですよね村野建築 いいなぁ
2階の廊下を歩くと、方杖のような出っ張りがありました。
木造を支えている?
どんな構造になっているか、解体の時に見てみたいなぁ。
特別教室
降りていきます。
階段室にも方杖
外に出て、移動します。
桜と校舎 右は新校舎
前と左は一高1号館
新校舎の横を通っていきます。
新校舎・景風館 1999年(平成11年)建設の体育館・秀麗館
この辺りも桜が結構咲いてきています。
おー咲いていますねー
一中1号館(第一中学校校舎)にやってきました。
こちらは、1957年(昭和32年)建築の村野建築です。
一中1号館
こちらは扇形校舎となっていて、中心から放射状に教室が並んでいます。
当初はバルコニーもあったそうですが、教室が狭くなり、そこも取り込んだそうです。
そのように床面積を増やしはしましたが、それでも足りないとのこと。
拡張性がなかったですね。

あと、出入りが教室前面のみというのも使い勝手が悪かったようですね。
1階部分は内部に控えています 内部はカーブの続く廊下 配置図 扇形
建物の裏側?北側に回ってみると、なんだかダンジョンチック。
異世界空間みたい
ということで、再び、扇形のほうに。
当時としては斬新ですよね
再び関係者専用通路をショートカットし、関西大学会館にやってきました。
こちらは1965年(昭和40年)建築の村野建築です。
大学会館 おー
こちら、通常は内部非公開ですが、今回特別に観させていただけることに。
ありがたいです。

まずは最上階の講堂へ、そしてそこから屋上に出ます。
名神高速が見えます 螺旋階段
関西大学の敷地下に名神高速が通っています。
そういえば、吹田と豊中の間にトンネルありましたねー。あの上なんだ。
いつもは吹田から先は名神使わず中国道なので、あまり気にしたことはなかったですが。
屋上塔屋 講堂から出入りできます
名神高速の上、東側は大学の駐車場になっていますね。
テニスコートのそばに駐車場
その先高速
ぐるっと屋上をまわります。
塔屋特徴的 出窓の大きな窓 柱の存在とタイル壁の組み合わせがなんとも言えないバランスだなぁ
屋外階段は寺橋先生によると「コルビュジエっぽい」そうです。
コルビュジエとは、フランスの建築家 ル・コルビュジエのことで、モダニズム建築の巨匠といわれ、特にフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠とも呼ばれます。
サヴォア邸とかユニテ・ダビタシオンとかは建築の教科書に出てきますね。

ちなみに今はどうか知りませんが、以前に建築家・安藤忠雄は愛犬をコルビュジエと名付けていたと聞いたことがあります(笑)
コルビュジエっぽい階段 反対側
分かれて螺旋階段を観ていましたが、そろそろ空いてそうかな。
観に行きますか。
広い講堂
こちらの螺旋階段、ステキすぎます。
手摺がきれい 中間踊り場がアクセントになっていたり
照明もいいですねー。
これはオリジナルのままなのかな
こちらの階段も、やはり1段目は接地を和らげる見せ方をしています。
カッコイイ 吹き抜けて外部光を取り込み
周囲には元は部屋がなかったそう 1段目浮かせています
外に出ます。
この関西大学会館は、その当時大学が財政難ということもあり、村野藤吾+小川設計ということで設計されました。
なので、どこまで村野藤吾あるいは小川設計のデザインかということはわからないそうです。

エントランスは竣工後にできました。例によって、内部に入り込んだところにエントランスが当初はあったのですが、使い勝手から後に大きな庇をつけてとなったそうです。
この庇は、村野・森建築事務所のOBである斎藤氏による設計だそうで、村野イズムが引き継がれた設計であったということです。
でかい庇
車が横付けされ、大学側がご招待したお客様が雨にも濡れず大学会館にお入りになることを想定しての庇なんでしょうねー。

てことで移動します。
コルビュジエっぽい階段
第2学舎エリアに向かいます。
てくてく歩いていく 第2学舎1号館を通り抜ける
-14:45-
少し休憩しますよ。

-15:00-
では再開です。
休憩していた場所には、村野藤吾デザインの街灯がありました。
プレキャストコンクリート製(形に入れて整形したコンクリート製品)だそうですが、内部の配線などを復活させるのは無理だったそうで、現在はモニュメント的に置かれていますが、実は夜は下からライトを照らしていて、それでぱっと見ぶら下がったライトが光っているように見えるそうです。
村野藤吾デザイン 解説
明後日からは4月。新入生も入ってきますねー。
部活やサークル勧誘
円神館の前を通り、第4学舎方面へてくてく歩いていきます。
円い図書館の円神館
第4学舎2号館大教室棟にやってきました。
こちらは、1964年(昭和39年)建築の村野建築です。

元々は第4学舎が工学部というこtで、本日参加の皆さんはおそらくその当時を知る方ばかりでしょうと言うことですが、現在は理工系3学部(システム理工学部、環境都市工学部、化学生命工学部かな)の学舎だそうです。
このエリアは、1950年代に天神橋筋6丁目の天六キャンパスにあった工学部を1960年(昭和35年)に移転させたものです。
第4学舎2号館大教室棟 壁面としては大面積だけど威圧感はない
ちなみに、関西大学千里山キャンパスには第1学舎から第4学舎までありますが、これは整備された順番ではなく、土地取得の順だそうです。

1階にトイレがあるのですが、これは元々1本脚で支えられた箱体でしたが、設備配管とか多いのでってことで隠されています。
これトイレですよ 1本脚を見せてもらいました 今はパネルで覆われている
昔は、壁面のパネルももっと人がいればわかる程度の透過だったそうです。
吊り階段 人研ぎの手洗い
研究棟別棟がありますが、こちらは設計製図などの教室です。
研究棟別棟 こちらも村野建築 別棟の東面
第4学舎2号館はかなり複雑な形状ですねー。
迷いそう
形状としてはほぼオリジナルを保っているそうですが、縦樋は当初なかったけど今は設置されているというのはあるそうです。
樋後付け
村野藤吾の設計思想には、壁が地面と接する足元はできるだけ軽く見せるというのがあったそうです。
なのであえて接地していないように見せたり
窓の形状は、サッシを入れ替えた際、できるだけ既製品を使うというところで探したところ、オリジナルは上の窓が大きく嵌め殺し、下の小窓が開閉するようになっていたのですが、今は位置がその逆で、大きな窓が開閉します。
現在の窓 当時の窓
当時の下段の小窓は内倒しの窓だったのですねー。

第4学舎1号館に来ました。
こちらは1960年(昭和35年)建築の村野建築です。耐震改修が施されています。
第4学舎1号館 補強のため1号館の増築棟からワイヤーで建物内を通し引っぱっています 2号館と結ぶ渡り廊下
渡り廊下も村野建築ですが、2階と3階のデザインの違いの意味は不明だそうです。

第4学舎の外壁は、白色タイルで統一されています。
けど経年劣化で色が変わってきているそうです
1号館の中に入ります。
上階に上がるにつれ階段幅が狭くなっているそうです。
上に行けば行くほど利用者が減るので、理にかなっていますねとのこと。
階段を上がる 中央に階段が押されてきている? 踊り場の接地の仕方とかがオシャレというか標準的ではない
階段横には情報コーナーがあって、以前は休講の張り出しとかもしていたそうですが、今ではメールなどの対応となり、実質その情報コーナーは使われていないそうです。
時代だなぁ。

中を通って行きます。
結構階高高い
南端の階段は、村野建築の特徴がよく出た階段となっています。
橋寺先生のゼミでは、学生に実習でこの階段の実測をさせるそうですが、これがなかなか大変な作業だそうです。
やっぱり手摺がいいよね いいなぁ 普通な階段ではない計画
踊り場の設定の仕方なのかな 段部分に至るには幅を絞ったり
絞ったところが表情を豊かにしている じっくり見れば見るほどいろいろ見えてくる
内部の一部には外壁タイルがまわってきています。
塗装はしているけどオリジナルな形状
増築棟との境界あたりで外へ。
なんだか、面白い形の柱がありますね。
なんだろう
先ほど2号棟との渡り廊下部分で見た耐震補強のところですが、地震などの際には増築棟の重みを利用して北側に倒れないようにしています。
逆に既存1号棟が南側に傾いた場合は、既存と増築部分がエキスパンションジョイントで繋がれているので、そのジョイントが潰れてお互いの建物に影響が出ない(建物同士がぶつからない)ようにしています。
エキスパンションジョイントのところ
1号館は渡り廊下で東側にも同一棟ということで繋がれています。
こっちが東側の棟
その渡り廊下のところに、割と立派な階段室があります。
これは、教員用の玄関というような意図で設置されたようです。
これです アイアンの把手がいいね
しかし、その裏は30年以上前には既にゴミ置き場になっていたりで、設計思想とは違う使い勝手がされていたようです。

ちなみに、先ほどの変わった形の柱ですが、どうやら地下にボイラーがあるらしく、その関係の管を意匠的に囲ったものだそうです。
なるほどー
では移動します。

円神館(専門図書館)にやってきました。
こちらは1964年(昭和39年)建築の村野建築です。
関西大学2つ目の図書館として建設されました。第2学舎(経済・商学部)と第4学舎(工学部)を対象とした図書館だったそうです。
現在はITセンターだとか。
円神館 なんかすごい
16本の柱に支えられた円形の閲覧室と吊り下げられ2・3階のボックス状の事務室から成ります。
柱と天井の接合部は柔らかな印象を持たせるようにという配慮のもとデザインされていましたが、過去の地震により全国各地で吊り天井の落下があったことから、ITセンターに改修する際、建築基準法が改正されていたのですが、その影響でこのステキなデザインが失われる危機があったそうです。

なんとか回避できる技法を使って現在もデザインは保たれています。
これね 美しい
ボックスが吊り下げられた下の空間では、学生が実習などでよく使うそうです。
広いね こういうアイデアはやっぱりすごい
見上げます。
柱はコンクリート掻き落とし ボックス事務所
柱のコンクリート掻き落としは、改修の際にもその仕上げが続くようなやり方で残せた(土湯ような仕上げをもう一度した?)そうです。

円神館がなぜ円形なのかは、第2学舎と第4学舎の中間に位置するため、どちらを正面にするかということへの配慮もあったかもということです。
正門から進んでくると、ちょうど円神館のあたりで通路が曲がるので、そのアイポイントにもなったのかもということでした。
なるほどねー
いやぁ、趣ありますね。
そういえば、関西大学には、はるか昔受験しに来たことがあるのですが、この建物を観た記憶が蘇ってきました。
いいですねー 桜と円神館
目にとまるので絶好のアイポイントになります ITセンターの銘板はいただけないなぁ
ちなみに、現在は簡文館と円神館と合わさり、総合図書館ってでかい図書館があります。
1985年(昭和60年)鬼頭梓の設計
都市伝説として、大学側では村野藤吾はやめたいという意向があったそうです。
円形は使いにくいというのもあったようですね。

総合図書館は、元々第1グランドがあったところに建設されました。

第2学舎1号館の中を通り抜けていきます。
桜結構咲いています
経済学部商学部研究棟を眺めながら先へ。
こちらは1966年(昭和41年)建築の村野建築です。
耐震化していますね。
研究棟なので先生方の理解が得られずアウトフレーム 窓いいですねー
そして、第2学舎3号館へ。
こちらは1967年(昭和42年)建築の村野建築です。

しかし、現在事項は16時を過ぎており、新学期準備が終わったようで施錠管理されていて入れませんでした。
残念。
3号館D棟 第2学舎3号館D棟E棟
建物のネーミングがカオスです。
新入生は自分がどこに行かなければならないか、必ず迷子になるそうで、この春からはでかでかとD棟、E棟などと出すことにしたそうです。

第2学舎3号館は特殊な建設の仕方をしていて、両端部分を建ててから真ん中部分を建設したそうです。
最上階の出っ張った部分は広い教室ということで、変化を持たせた外壁仕上げとなっています。
上は出っ張った教室部分 タイル仕上げは第1学舎と同じかな
北端の屋外階段は、珍しく打ちっぱなしですね。
なんとなく珍しい あーちょっと露筋してきていますね
名神沿いに出て移動します。
3号館の最上階はこちらから見るとフラット エントランス部分は昔はこうなだらかなスロープ状ではなかったらしい 経済学部商学部研究棟
経済学部商学部研究棟は南側に同じ経済学部商学部研究棟(社会学部研究室)が続きます。
こちらも1968年(昭和43年)建築の村野建築です。
経済学部商学部研究棟(社会学部研究室) 窓の上のものは通気のためのものらしい
てくてく歩いて第3学舎エリアへ。

第3学舎1号館(社会学部)にやってきました。
こちらは1968年(昭和43年)建築の村野建築です。

耐震改修が施されています。
第3学舎では、村野建築は1号館のみです。
第4学舎1号館と似たタイルが使われています。

階段室となっているタワーのスケッチ段階では日時計が設置されていたりというものもありましたが、結局はスリットを入れただけのデザインとなりました。
第3学舎1号館 タワーの上にはアンテナ? では中へ
当初は、開けた室内だったようですが、建築基準法の縦穴区画などの規制により、いろいろと閉じられた空間となってしまいました。
エントランスホール 当初はもっとオープン
吹き抜けが最上階まで続いていたのですが、これも区画の関係で今は閉じられています。
当初はフレームもなく円く全部開いていたそうです
この建物は、一旦上階に上がるのに、廊下で3段ほど降りたりとよくわからないつくりになっています(笑)
なぜ降りるのか(笑) その横は教室
特に特別ではない
円形の吹き抜けは、フレームが入りガラスでふさがれています。
下の階の吹き抜け 上の階の吹き抜け
その上はトップライト
参加者に、約50年前に社会学部に在籍された方がおられました。
このトップライトが閉じられていなかった頃は、上の階の友人と会話ができたそうですよ。
上がって下がる階段
最上階まで来ました。
吹き抜けから下を見る
当時の図面がありました。
村野・森設計事務所
1階に降りてきました。
かつては建具がなかった場所
-17:00-
というわけで、見学はここまで。
解散となりました。

よく歩きましたねー。
少し、のどを潤してから帰りますかということになり、有志でちょっと飲みますよ。

-17:05-
CAPE COD」さんにやってきました。
千里山建築会でよく来るそうです
てことで、ちょっとビール飲んで、ちょっと食べます。
おつかれさまー この後疲れて食べ物も撮らず(笑)
では帰りますか。

てくてく歩いて阪急・関大前駅へ。

-18:50-
阪急・関大前駅から電車に乗ります。

今日は、あべのハルカス近鉄本店で大納川さんが、近鉄上本町店で魚津酒造さんがプロモーションしているのですが、さすがに疲れましたね。
帰宅しましょう。

阪急・十三駅で神戸線に乗り換えます。

阪急・西宮北口駅で宝塚方面へ。

-19:40-
阪急・小林駅で降りて、てくてく歩き、帰宅しました。

いやいや、一日よく歩きました。
多くの村野建築を見学てきてよかったです。
こういう機会ってそうそうないですらね。
天気もよくて良かったです。
ありがとうございましたー。

おでかけ一覧へ  記事一覧へ  「食は此処に有り」へ


■ RockzGoodsRoom  ■ Sitemap    Copyright(C) RockzGoodsRoom All Rights Reserved.