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 兵庫・大阪(ガウディ展と松下幸之助歴史館) (2026/05/29)

4月14日
ガウディ没後100年公式事業 NAKED meets ガウディ展」というのが東京で解されており、大阪も4月17日から開催されるということを知りました。

土日は混むだろうなぁ。
平日休暇をとって行くならいつが行けるかな。6月15日までの会期だけど、5月中には行っておきたい。でないと最後も混むでしょうから。
misenさんと調整すると、5月29日なら行けそうということに。
そんなわけで、前売券を買っておきました。

他にもどこか行けるかなと考えると、門真のPanasonic本店にある、「松下幸之助歴史館」に行ってみようかな。所蔵品が近代化産業遺産に指定されているのですが、平日しか開館していないのですよね。
ガウディ展を観てから移動しても閉館まで十分間に合うな。

当日misenさんは病院通いがあるので、昼に合流しましょうかということになっていました。

1日休暇をとることにしたので、朝一番は久々に映画を観に行こう。
あー、それなら移動途中に弓弦羽神社があるから寄って行こうこなぁ。


5月27日
22日に封切りの「スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー」が観たかったので、TOHOシネマズ西宮OSの予約が可能になったのでチケット予約。
朝一番の上映はIMAXレーザーのシアターで観られます。もちろん字幕ですよ。

misenさんは、神戸の住吉あたりの病院に行くので、映画が終わったらそっちに移動して、軽く昼食べてから大阪に向かうか。


5月29日
-07:30-
ゆっくり目に目覚めます。

-08:30-
では行きますか。
てくてく歩いて、最寄りの阪急・小林駅へ。
小林駅
-08:40-
阪急・小林駅から電車に乗ります。

-08:55-
阪急・西宮北口駅で降りて、てくてく歩いて「阪急西宮ガーデンズ」へ。
西日本最大級のショッピングセンターです
店舗は開店前ですが、中に入って映画館に向かえます。
これですね IMAX 店舗は開店前なので閑散
そして5階の「TOHOシネマズ西宮OS」へ。
マンダロリアン
-09:20-
「マンダロリアン&グローグー」上映です。
映画「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」のその後の世界を舞台にした実写テレビドラマシリーズ「マンダロリアン」の劇場版です。シーズン3の続編。となります。

一応、シーズン3までBlu-rayで持っているので話は繋がりますが、いきなりこれ観た人は、マンダロリアン(ディン・ジャリン)やグローグーのバックグラウンドがわからないので、冒頭は少し厳しいかもしれませんね。
ウォード大佐役で、シガニー・ウィーバーが出ていて、Xウイング操縦していたのはちょっとすごかった(笑)
シガニー・ウイーバーももう76歳なんですね。
アニメ「スター・ウォーズ 反乱者たち」や「スターウォーズ・クローンウォーズ」のキャラクターも実写化で出ていたのは、おおーって思いました。

-11:45-
上演終了しました。
次は「マイケル」観たいな
さて、移動しますか。

-11:55-
阪急・西宮北口駅から電車に乗ります。

-12:05-
阪急・御影駅で降ります。
御影駅前 暑い
てくてく歩いて、JR住吉駅を目指します。

-12:10-
途中の弓弦羽神社に寄ります。
裏参道から入らせていただきました。

歴史としては、神功皇后の三韓征伐からの帰途、忍熊王が挙兵したことを知り、この地で弓矢・甲冑を納めて熊野大神に戦勝を祈願したとのこと。
弓矢・甲冑を納めたということから、当社背後の山を「弓弦羽岳」「武庫山」(後に「六甲山」(むこやま→ろっこうさん)の字が宛てられた)と呼ぶようになりました。

延暦年間(782〜805年)に弓弦羽の森が神領地と定められ、849年(嘉祥2年)に社殿を造営し遷座しました。
平安中期以降は熊野信仰の隆盛に伴い崇敬を集めたそうです。

熊野三山同様に八咫烏をシンボルとしていますが、日本サッカー協会も同じ八咫烏をシンボルとしていること、また日本初のサッカーチームが近隣の御影師範学校で編成されたという縁もあり、境内に御影石製のサッカーボールが設置されています。
神戸を本拠地とする女子サッカーのINAC神戸レオネッサがシーズンイン前に必勝祈願を行うそうです。
また、フィギュアスケートの羽生結弦が、ファンからのお守りで自身と名前の似た当社の存在を知って2011年(平成23年)に参拝したこともあり、羽生ファンの聖地と呼ばれるようになっているそうです。
八咫烏のサッカーボール 献 INAC神戸レオネッサ
奉 ヴィッセル神戸
INACは献納、ヴィッセルは奉納なんですね。
どう違うのかなぁ。
神饌所には灘のお酒が奉納されています
拝殿でお参りをします。
拝殿
そして社務所で御朱印を授かりますよ。

松尾社の御朱印もあるのですね。
何故だろうと尋ねると、松尾大社の末社があるそうです。
日本酒の名産地である灘五郷にあることから、氏子には造酒メーカーも多いそうです。
新年に菊正宗、白鶴、剣菱の奉納した樽酒がふるまわれるほか、メーカーの醸造祈願祭も行われています。そんなことから酒神として知られる松尾大社から、末社が勧請されているそうです。
絵馬
案内図がありました。
境内 由来
では行きますか。
正面から退出します。
おじゃましましたー
てくてく歩いて行きます。
ずんずん南下して、JR沿いに東へ。

JRの壁に、ベイカーストリートの表示がありましたが・・・。
住吉駅はもうすぐ 誰だこれ貼ったの
JR住吉駅南側に出ます。
南側ロータリー
すぐに、通院を終えたmisenさんと合流。ちょうどいい時間でしたね。

-12:35-
近くの「ぶん太」さんに行きます。
ぶん太さん
立ち食い蕎麦・うどんのお店です。
久々に立ち食い店行くなぁ。
こちらは黄そばもありますね。中華そばを出汁でいただくものですが。

スタミナ蕎麦にしようかな。
misenさんは、ぶん太そばです。

スタミナは、卵と天ぷらが入ります。
天ぷらはごぼ天と海老を選べますが今回は海老。かき揚げですね。
蕎麦に卵を乗せその上に熱い出汁をかけます。

お代は商品と引き換えにというルールですので、出来上がりと共にお支払い。
ぶん太そば スタミナ蕎麦
misenさんの、ぶん太そばは、中華そばを出汁でというのは姫路の「まねきそば」が発祥らしいですが、近畿圏独特の文化ですね。
うどん そば ぶん太から選べます
リーズナブルですが、出汁がいい味出していますね。
結局飲み干してしまいました。

ふと見ると、レトルトカレーがありますね。
カレーうどんにはこれ使うのですね。コスト考えるとこの割り切りは正解ですね。

いやぁ。美味しかった。
また来てみたいなぁ。

では行きますか。
JR乗ってもいいのですが、misenさんが途中郵便局に寄りたいとのことなので、阪神電車のほうに向かうことにしました。

阪神御影駅前郵便局に寄りました。
阪神御影商店街はINAC神戸を応援しています
-13:00-
阪神・御影駅から電車に乗ります。
御影ー
途中、大物のSGLスタジアム横を通ります。
阪神2軍球場
-13:35-
阪神・大阪梅田駅で電車を降ります。

てくてく歩いて行きます。

-13:50-
グラングリーン大阪うめきた公園にやってきました。
暑い ミャクミャクのマンホール
VS.(ヴイエス)」が会場になっています。
「文化装置」という位置づけで、「ビジョンを実現するステーション(Visionary Station)」、「異なる価値観や個性、ジャンル、世代間が“良い対峙”をするVersus」の2つの意味をもつそうです。
設計監修を安藤忠雄建築研究所が、設計・監理を日建設計が手がけた、公園と調和するよう半分は地下に埋め、表面を植栽で覆うようにした施設です。
ここかぁ
では、「ガウディ没後100年公式事業 NAKED meets ガウディ展」を拝見しましょう。

地下に降りていくと、あれ?入場時点で並んでいます。
エレベーターシャフト沿いに階段を降り、チケットのチェックをしてその後エレベーターシャフトを一周して会場の中に入って行くようですが、会場に入るところで一定時間を置いて入場させるような制限をしているため、チケットチェックもゆっくり進めています。

前売りを購入していたのでスマホに表示させてチェックです。
ペーパーレス 上のカフェの割引券
そして進んで会場に入るのを待ちます。
音声ガイドもスマホ利用
ゆっくり一周回る間に、来た時は階段を完全に降りて待ちましたが、今は階段上にも行列ができていました。
もうすぐ入れます
-14:10-
ようやく入場です。20分待ちましたな。

今回は、ガウディの手記や直筆の書簡、彼が使用した制作道具をはじめ、未公開の資料や模型、スケッチなど、学術的にも極めて貴重なコレクションを網羅的に展示しています。
これほど多くのガウディ財団所蔵資料が同時公開されるのは世界初のことだそうで、見どころが満載です。
なお、内部は基本撮影OKです。

「旅の始まり」から。
静かに時を遡り、ガウディという人間の原点へと導かれる序章。
未完の聖堂を遺して逝った建築家の軌跡をたどりながら、自然と信仰、そして美の本質を探る旅が始まる。
映像と空間が重なり、来場者は“死から過去へ”と時間を反転させる体験の中で、ガウディの精神へと歩みを進める。

入ってすぐ、映像作品があるので人が溜まっちゃいますね。
エントランス 映像で観る
ガウディは、スペイン・カタルーニャ出身の建築家で1852年に生まれ1926年に交通事故で亡くなっています。
昔は、スペイン語(カスティリーヤ語)表記のアントニオ・ガウディと言っていましたが(学生時代はそうだた)、最近はカタルーニャ語の表記のアントニ・ガウディというので統一されているみたいですね。
ガウディ
「記憶の森」です
ガウディの感性を育んだのは、カタルーニャの太陽と緑あふれる森だった。
木々の枝ぶり、虫の羽、花の螺旋――自然の中に秩序と造形美を見出した幼少期の眼差しが、やがて彼の建築思想の礎となる。
光と影が織りなす“観察の森”を歩きながら、彼が見た世界の秘密に気づくエリア。

ガウディの幼少期からの感性の形成をたどります。
ガウディの幼少期 生まれ故郷レウスについて 小麦がサグラダ・ファミリア上部の塔のモチーフ
糸杉の円錐はベリュスグアドルドの塔のモチーフ キノコはグエル公園の煙突のモチーフ
プラタナスはサグラダ・ファミリアの柱のモチーフ 蜂の巣はカサ・カルベットの覗き穴のモチーフ
さまざまな自然の造形をモチーフとしていたのですね。
カサ・カルベットの覗き穴 葉っぱやひまわりのタイル
塔などの模型は近寄って観ることができました。
塔や柱 小麦なサグラダ・ファミリア上部の塔 糸杉なベリュスグアドルドの塔
にんにくなカサ・バトリョの換気塔 キノコなグエル公園の煙突
ところどころに、ガウディの名言があります。
いつも開かれていて私たちが丁寧に読み取るべき偉大な書物は自然だそうです
「創造のるつぼ、バルセロナ」です。
19世紀末、産業革命の熱気が渦巻くバルセロナ。
若きガウディは、ゴシック建築やアラブ様式など多様な文化が交差するこの都市で、建築という表現の新しい可能性を見出す。
街の図面が光で立ち上がり、建物が息づくように形を成していく。
異文化が交わるこの街こそ、彼の独創を育んだ“創造の坩堝”。その熱気とエネルギーを、来場者自身が体感する。

ガウディは、バルセロナで建築を学びました。
解説 なかなか学生時代からとんがった人だったらしい
卒業制作の図面がありました。
バラニンフォ短手断面図 桟橋計画案
1878年4月にガウディは建築士の資格を取得しています。
当時のバルセロナ建築高等技術学校校長で建築家のエリアス・ロジェントは、ガウディについて「この学位を狂人に与えたのか、なのか天才に与えたのかはわからない、時が明らかにするだろう」と言ったとのこと。

同年、ガウディはパリ万国博覧会に出展するコメーリャ革手袋店のためにショーケースをデザインしました。
この作品の独創性を見初めたのが、繊維会社を経営する実業家エウセビ・グエル侯爵でした。グエル侯は、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼したのです。
ガウディとグエルの出会い ガウディのキャリア タンジールと北アフリカへの旅
世界初公開の図面もありました。
モンセラート協会の平面図
世界初公開
一番右は世界初公開の
至聖所とドームの横断面図
ガウディの名言がありました。
物事をうまくやるにはまず愛
そして技術が必要
プロジェクションマッピングの通路がありました。
空間と映像と音楽と
カサ・ビセンスのタイルがありました。
先ほどのタイルはレプリカでしたが、こちらはオリジナルですね。
花とカーネーション
手形のところに触れると、映像が変ります。
アストルガ司教館 おおー
カサ・ボティネス ステキ
見上げると図面が。
いいねー
「ガウディの工房」です。
紐と重りを使った“逆さづり模型”フニクラをはじめ、ガウディは自然の法則を通して構造を発見しようとした。
重力や光、音など、宇宙に潜む秩序を読み解き、建築を生命体のように育てた彼の探求心。
このエリアでは、来場者自身がデジタルとアナログを行き来しながら構造を生み出し、ガウディの実験精神に触れることができる。

ガウディが一部手掛けたコロニア・グエル教会地下聖堂の柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず、ガウディは10年の歳月をかけて実験をしたそうです。
その実験装置が「逆さ吊り模型」(ポリフニキュラー模型)で紐と重りだけとなっていて今回も再現されていますが人多すぎで一瞬で順番を代わるようなのでパスしようか。
この逆さ吊り模型は網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものですが、垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だとガウディは考えました。
ガウディは、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描きませんでした。設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみで、彼の模型や設計図といった資料はスペイン内戦で多くが焼失しましたが、焼失を免れた数少ない資料を手がかりに、現在のサグラダ・ファミリアの工事は進められています。
ガウディの探求期 デジタルでオリジナルなポリフニキュラー模型ができる
ガウディは、建築デザインを3次元で視覚化するため3D立体視眼鏡を使用していました。
それと同じ原理の物が試せます。
ここは空いているから並んでみる 3D立体視眼鏡
写真はガウディが実際に使ったものと同じものだそうです。

他にも動かして納得できる展示があります。
フレームを折って曲線を生み出す 双曲放物面です
これが・・・ こう
直線母線曲面のは調整中だそうです。
直線母線曲面はガウディの美学と構造哲学の根底だそうです どんなだったのかな 調整中で不明
双曲面の円筒も体験できます。
ふむふむ あんまりやると壊れそうで怖いな
二重ねじれの柱では、全ての柱の断面を星形として、場所に応じて柱の底面を12星形、8星形、6星形とし左右両方向に螺旋回転させながら上昇させていくとその断面は円形に近づいていくという法則をガウデイが発見したと言います。
ガウディの柱:石の森 柱いろいろ 解説
ガウディがデザインした金物もいろいろ。
触っていいです カサ・パトリョのドアハンドル
意外と持ちやすい
カサ・ミラの扉の一部 カサ・カルベットのオフィス用ミラー
ガウディ円熟期の建築の模型があります。
カサ・バトリョ 隣接する建物がある面かな 大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの邸宅
仮面をモチーフにしたバルコニー こちら側は割と普通なバルコニー
続いて、カサ・ミラです。
実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅です。
カサ・ミラ 直線部分がまったくないそうです 建設当時のバルセロナ市民は醜悪な建物と考え、「石切場)」と呼びました
さまざまなパーツがあります。
カサ・バトリョの屋根棟部材 カサ・ビセンスの門の竜
カサ・バトリョの屋根瓦 カサ・バトリョの屋根棟部材
カサ・バトリョのドアがありました。
有機的なドアらしい でかいね
ガウディ・デザインの椅子もいくつかありました。
結構、座り心地がよかったです。
カサ・バトリョのダイニングルームのベンチ
2人掛けだけど向きが違う
ベンチを後ろから
金物もいろいろ。
カサ・ミラの洗面所ドアハンドル カサ・カルベットの覗き穴 カサ・カルベットのドアハンドル
「生命のかたち」です。
地中海のゆらめく光と波のリズムは、ガウディの造形に息づく。
《カサ・バトリョ》《カサ・ミラ》《グエル公園》など、彼の代表作に見られる有機的な曲線や流動する空間は、海の呼吸そのもの。
反射する光と揺らぐ空間の中で、無機と有機の境界を越えた“生命の建築”の思想を感じ取る。

若きガウディが記したノートが展示されています。
解説 自筆ノート
グエル公園のトカゲの噴水、エル・ドラクがいます。
解説 この子
「光りをまとうトカゲ」として、タブレットを通して好きにデザインできます。
解説 ほほう 面白い
タブレットに指で色をつけていくと、目の前のエル・ドラクが変っていきます。
しばらくするとリセットされてオリジナル色に
グエル公園の全体像を観ます。
解説 グエル公園 テラスの一部
グエル公園は、ガウディのパトロンであった、エウセビ・グエルが民間住宅開発としてガウディに依頼したプロジェクトでしたが、住宅はほぼ買い手がつかず(買ったのはグエルとガウディだけだったとか)、結局頓挫して市に公園として寄付されたとのこと。

昭和世代の多くの日本人がガウディを知るきっかけとなったのは、まぎれもなくこのグエル公園でしょう。
1984年(昭和59年)、サントリー・ローヤルのCMで出てきました。(こちら
今見ると、最後にサグラダ・ファミリアも出ていましたね。
Mark Goldenbergの音楽と、グエル公園に現れるさまざまなキャラクターで、一見カオスに見えますが、実にハイセンスだったなぁと今にしてみれば思います。
この頃の電通はいい仕事していたんだなぁ。
ウリプタ・グエルのステンドグラス カサ・パトリョの吹きガラス
ガウディは、ステンドグラスを装飾としてだけでなく。光、空間、感情を形作るツールとしても用いました。
解説 サグラダ・ファミリアのステンドグラス「バイオリンを持天使」
タイルもいろいろありますね。
グエル公園の「花」とグエル邸んお「アイリスの花」 グエル公園のタイルたち
カテナリーアーチの実物大模型があります。
縄や紐の両端を固定し、垂らした時にできる曲線をそのまま上下反転させたものがそれになります。
解説
サンタ・テレサ学院の回廊です
実物大模型はカサ・バトリョの屋根裏回廊っぽいです
「サグラダ・ファミリア:永遠の聖堂」です。
100年以上の時を超えて今なお建設が続く未完の聖堂。
このエリアでは、サグラダ・ファミリアが生まれ、変化し、受け継がれてきた“光の記録”を辿る。
大地から立ち上がる柱、天へ昇る塔。
石と光、音が呼応する没入空間の中で、自然と人間の共作が紡ぐ壮大な祈りを体感する。
解説
サグラダ・ファミリアは、信者の喜捨により建設する贖罪教会で、初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受けました。
1882年3月19日に着工しましたが、意見の対立から翌年にビリャールは辞任。その後を引き継いで2代目建築家に就任したのが、当時は無名であったアントニ・ガウディだったのです。
ガウディは設計を変更したものの既存の計画は踏襲され、1926年に亡くなるまでの生涯をサグラダ・ファミリアの設計・建築に捧げました。
晩年はサグラダ・ファミリアに住み込み教会建設にすべてを捧げ、日曜は近くの教会にミサに通うといった日々だったそうです。
1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、段差に躓き転倒、そこに通った路面電車に轢かれました。晩年は酷く痩せていたうえ、身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われてタクシーで運ぼうにも乗車拒否があったりで手当てが遅れ、事故の3日後に入院先の病院で死去しました。享年73歳。
遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されています。

生前のガウディが実現できたのは地下聖堂と生誕のファサードなど、全体の4分の1未満でした。
ガウディ死後の1936年に始まったスペイン内戦により、ガウディが残した設計図や模型、ガウディの構想に基づき弟子たちが作成した資料のほとんどが散逸しました。
これによりガウディの構想を完全に実現することが不可能となりましたが、職人による口伝えや、外観の大まかなデッサンなど残されたわずかな資料を元に、ガウディの設計構想を推測するという形で建設が続けられることになりました。
ヨーロッパの教会建築の伝統的な工法である組積造で工事が行われていることから、完成まで300年はかかると言われていました。

1980年代から、礼拝堂内部、塔などはRC造が主体の工法が採用されるようになりました。
工法の変更や経済的な上向きなどにより進捗は加速。さらに21世紀に入ってから導入されたITを駆使し、ソフトウェアによる3D構造解析技術と3Dプリンターによるシミュレーション検証、CNC加工機による成果が著しく、ついに今年の2月、塔の中で最も高い172.5mのイエスの塔の頂部が完成し、ガウディの没後100年に当たる6月10日に完成記念式典の開催が予定されています。

しかしこれで完成ではなく、本来の正門にあたる栄光のファサードと4基の塔、大階段などの建設にとりかかり、全体の完成は2035年頃になる見込みだそうです。

あと10年くらいかぁ。
死ぬまでに一度全体像を観てみたいなぁ。

サグラダ・ファミリアの完成予想模型があります。
栄光のファサードからのほう 反対側
いいですねー 実物を観てみたい
映像作品があります。

ガウディの作品たちと周囲の風景などが美しく交差します。
おー、見ごたえありますねー。
カラフルなカサ・バトリョ 《クリックで動画再生》
上階からのバルセロナの眺め
《クリックで動画再生》
ガウディの生涯
今年 中央塔感性予定
いやぁ、なかなか見ごたえがある、超巨大な映像作品でした。
ガウディの名言
神がつくったバルセロナのムンジュイック(ユダヤ人の山)は標高173mだそうです。
人間の創造物は神の創造物を超えてはならないとのことで、佐倉ダ・ファミリは170mでセーフと言うことらしい。

「未来への種」です。
ガウディが遺したものは、建築ではなく“思考”そのものだった。現代の建築家やアーティストたちがその哲学を受け継ぎ、新たな形で世界に響かせている。ガウディを敬愛する著名人からガウディへのメッセージを展示。
そして、壊れた破片が集まり、新しい形を生み出す――ガウディが見出した“再生の美学”を表現したトレンカディス・その一片一片は、個の力が調和して全体を成す象徴でもある。来場者自身がその“欠片”となり、未来へと続く美をともに紡ぐ。
解説
サグラダ・ファミリアの設計図がありました。
解説 配置図っぽいの 立面
部分平面 立面 アバウト 部分平面
部分詳細 トラス構造っぽい詳細図 継手
構想だけの建物とかもあります。
ニューヨーク 未完成ホテル 模型
ニューヨーク 未完成ホテルはAIが考えたそうです。
タンジール伝道所の計画
タンジールは政情不安により実現しませんでした。
ランカグア礼拝堂の計画 模型
チリで約100年の時を経て、どうやら実現する方向で調整されているそうです。
コロニア・グエル教会
地下聖堂のみ完成
「GAUDI × DANDELION」です。
ネイキッドの参加型アート《DANDELION》によってガウディの意思が世界で広まっていく様子を表した、インスタレーション。種が風に乗り花を咲かせ、未来を形づくる人々へと渡されていく。
タンポポの綿毛
ひとつだけある黄色い花に息を吹きかけると背景の映像がかわりました。

最後にショップを見ますが、こちらは以前、佐川美術館で観たガウディ展のほうが魅力的な物が多かったですね。
ということで、図録のみ購入。

では行きますかと思ったのですが、1階にあるカフェ・LOHEの10%割引券をチケット・チェックの時にいただいたので利用しますか。

-15:20-
LOHE」さんに入ります。
オーダーは、スマホ経由でということで。
全体的にお高いなぁと思ったのは、主力がコーヒーカクテルだからということですね。
アルコールを飲む気分じゃないので、コーヒー飲もう。
ゲイシャ種もありますが、おーさすがにいい値段ですね。

というわけで、エチオピア・リム・ゲラをアイス、アメリカーノで。misenさんはホンジュラス ロスプリモスをホット、ラテで。

しばし待ちます。
コーヒーミードが並ぶ カウンターはいい雰囲気
ちなみに、目の前に並んだコーヒーミード、立ち並んでいるのは簿おる1本7,000円ちょっとですが中央に寝かされているプレミアムはボトル55,000円のまさしくプレミアム。
ちなみに、コーヒーミードとは、蜂蜜とコーヒー、酵母の組み合わせでできたアルコール飲料です。
コーヒー味のアルコールは、冬にバーで飲むアイリッシュコーヒーくらいなので興味はありますが今日はやめておこう。

しばし待つとやってきました。
エチオピア・リム・ゲラ テイスティングノート misenさんのホンジュラス ロスプリモス
安藤忠雄監修の建物の中で、ゆったりした時間を過ごしました。
では行きますか。
LOHEさんでした
てくてく歩いて、OsakaMetroへ。

-15:45-
OsakaMetro御堂筋線・梅田駅から地下鉄です。

-15:55-
OsakaMetro御堂筋線・淀屋橋駅で京阪に乗り換えます。
京阪・淀屋橋駅から乗ります。

準急に乗り、京阪・守口市駅で乗り換えます。
菅島行各駅停車に乗ります
-16:20-
京阪・西三荘駅で降ります。

駅を出ると、目の前がPanasonic本店ですね。
Panasonic本店
-16:25-
松下幸之助歴史館」にやってきました。
来ました ここですな 松下幸之助像
この像は労働組合に理解を示していた幸之助に感謝する形で、松下電器労組が贈呈したものだそうです。
相反する関係なのに珍しいなぁ。

入館料は無料です。
基本、写真も撮って良いそうです。

松下幸之助歴史館の所蔵物は、「パナソニックの架電製造関連遺産」として、近代化産業遺産に指定されています。
改良アタッチメントプラグ、二灯用クラスター(二股ソケット)、スーパーアイロン、角型ランプ、電気コタツ&電気コタツ用サーモスタット、3球1号型受信機(R−31)(ラジオ1号機)がそれになります。

展示室では、松下幸之助が歩んだ94年の道を7章立てで展示しています。
企画展示もやっています
第1章「礎」です。
誕生
「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助は、1894年(明治27年)に和歌山県海草郡和佐村(現・和歌山市)に生まれます。

その後、9歳で丁稚奉公に出され、大阪市に導入された路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を志し、16歳で大阪電灯(現・関西電力)に入社し、7年間勤務しました。
当時の電球は自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業であったため、簡単に電球を取り外すことができる電球ソケットを在職中に考案しました。
1917年(大正6年)、大阪電灯を依願退職し、大阪市東成区の自宅で、妻むめのと、その弟の井植歳男(営業担当、後に専務取締役、戦後に三洋電機を創業して独立)等と自身が考案したソケットの製造販売に着手します。
解説 当時の銀行通帳
第2章「創業」です。
解説 ソケットからコンセントをとっていた時代もあったのか
ソケットの売れ行きは当初芳しくなく窮地に陥りましたが、川北電気(現在のパナソニック エコシステムズ)から扇風機の部品を大量に受注したことにより脱することができました。
その後、アタッチメントプラグ、二灯用差込みプラグがヒットしたため経営が軌道に乗りました。
川北電気 国内初量産扇風機タイフーン 二股ソケットとか ソケット型コンセントでアイロン
配線器具に続く商品として、自転車用の電池式ランプを発表します。
砲弾型電池式ランプの特許出願広告 砲弾型電池式ランプ
続いて、電熱部を新設し、アイロンの開発をします。
解説 スーパーアイロン
経営者として様々な試練を乗り越えていきます。
世界恐慌を克服し ラジオの開発・普及に取り組みます
3球1号型受信機 ラジオの普及のため特許内容を開示した
松下電器製作所の頃のものも残っています。
松下電器製作所の法被 「松下電器月報」創刊号
「松下電器月報」創刊号は、まだ従業員が50名ほどの頃に創刊された、販売店向けに発刊された最初の機関誌です。

でかい乾電池がありました。
1931年(昭和6年)乾電池第1号
左・小型ランプ用
右・大型ランプ用
Panasonicの礎となるのは松下幸之助ですが、黎明期を支えたのは、妻の松下むめのです。
実は、松下幸之助は事業独立にあたり当初はおしるこ屋を画策したそうですが、むめのが強く反対したことで、電気器具の製造へ舵を切った経緯があるそうです。
家でソケットの制作 奥さん大変だったろうなぁ がんばる
小規模な制作も可能だったようですが、それでも家を事業所としていたのでは大変だったでしょうね。
アタッチメントプラグの製造工程 むめのの弟 井植歳男
後に三洋電機を創業
そして、事業が軌道に乗り、1933年(昭和7年)に事業拡大のため土地が広い大阪府北河内郡門真村(現:門真市)に本社・工場を移転しました。
解説 自主責任経営と経営者育成のため事業部制を導入
第4章「苦境」です。

事業拡大と共に、いろいろな物を造っていきます。
1934年(昭和9年)
1/2馬力3相誘導電動機
1935年(昭和10年)頃のマーツ電気扇
太平洋戦争後は、民主化の一環によりGHQから労働組合結成が奨励されたり、軍需生産が原因で財閥解体により会社解体の危機があったそうです。
厳しい時代 PHP文庫もPH研究所からかぁ
テレビの試作機がありました。
1935年(昭和10年)
浜松高等工業学校の高柳教授らによるアイコノスコ−プ
仕組みです
この高柳教授の指導を得て、同年末からテレビの研究を開始、1938年(昭和13年)には松下無線・東京研究所で12インチブラウン管使用の試作品を完成しました。
1939年(昭和14年)5月には日本放送協会(NHK)の技術研究所と東京放送会館との間の無線伝送試験に成功し、同年7月には特許局陳列館で開催された電気発明展覧会に受像機を出展、初めて一般に公開しました。

本来、1940年(昭和15年)に開催予定の東京オリンピックに向け業界あげてテレビ開発が取り組まれましたが、1938年(昭和13年)に戦争のために東京オリンピックが中止となり、テレビ放送も実現せず、テレビが一般家庭に入るまでには戦後なお数年の経過を必要としました。

第5章「飛躍」です。
1952年(昭和27年)
17インチ白黒テレビ1号機 17K-531
当時290,000円
1958年(昭和33年)
シリンダー型電気掃除機 MC-8型
当時13,800円
1958年(昭和33年)
ウインドウ型ルームクーラー1号機
ホームクーラー W-31
当時125,000円
1956年(昭和31年)
電気自動炊飯器1号機 EC-36
当時4,500円
1960年(昭和35年)
業界初のカラーテレビ
17インチのカラーテレビ1号機
当時370,000円
1954年(昭和29年)
脱水用ローラ絞り機付き洗濯機
角形噴流式電気洗濯機 NW-303
当時28,500円
1953年(昭和28年)
電気冷蔵庫
当時129,000円
1952年(昭和27年)
ミキサー MX-2
当時13,800円
1952年(昭和27年)
標準5球スーパーラジオ RC-83BW
当時14,800円
1952年(昭和27年)の高卒国家公務員初任給4,600円のところでテレビ290,000円。
5年分ほどの年収のものってすごいなぁ。家1軒買うようなものか。

現在では、ラジオやテレビの受信機はトランジスタを使用した「スーパーヘテロダイン」方式となっています。
スーパーヘテロダイン方式は、受信した電波を一旦低い中間周波数に変換してから増幅・復調する回路技術です。
トランジスタは、1948年に電話の発明で知られるグラハム・ベルが設立したベル研究所が電波の増幅回路に使用した半導体素子です。
それまでは、同じスーパーヘテロダイン方式でも真空管を使用していましたが、トランジスタを使うことで小型化・軽量化・携帯化が可能になっています。
真空管の時代では、周波数変換−中間周波増幅−検波増幅−電力増幅−電源整流の5本の真空管で構成されるため、「5球スーパー」と呼ばれました。
ちなみにスーパーは「超」の意味ではなく、Supersonic(うなり)を意味するものです。
1958年(昭和33年)
タクシー無線車載用ユニット
タクシー無線ユニットは、本体がかなりの大きさですね。
どこに搭載していたのでしょう。それでも当時は画期的だったのでしょうね。
1954年(昭和29年)
ナショナルハイパー乾電池
今のサイズ 単1と単2
1959年(昭和34年)
往復刃メンズシェーバー
当時4,000円
1960年(昭和35年)
トランジスタラジオ「ゴールデン・エイト」
当時11,500園
1954年(昭和29年)
ダブルコーンHi-Fiスピーカー BP-W1
Panasonicブランド第1号となった商品
松下電器産業の時代、松下幸之助の求めに応じ、千葉大学の教授であった真野善一氏が1951年(昭和26年)に新設されたデザイン工業部門におられました。
その時代の同社のデザインを多く手掛け、後には松下電器産業の意匠センター所長も務められました。
そんな真野氏が手掛けたひとつが、ゴールデン・エイトで当時はこのデザインがウケたそうです。
ゴールデン・エイトは第12回ミラノ・トリエンナーレ展金賞を受賞しています。

第6章「打開」、第7章「継世」とみていきます。

PHP研究所の延長に「真に国家と国民を愛し 新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し 人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献しよう」を掲げ、1979年(昭和54年)に私財70億円を投じて松下政経塾を設立し、政界に貢献しようとしました。
解説 塾是 塾訓 五誓
松下幸之助の「今日のことば」がありました。
今日は「自己観照」
デザイン理論がありました。
なるほど 図解
おー今や懐かしいビデオデッキがあります。
1977年(昭和52年)
ビデオ(マックロード)
VHS方式を決定的なものとしました
現代では、ビデオテープ自体が家庭からほぼ姿を消していますが、1975年(昭和50年)にソニーがベータマックス方式を発表、1976年(昭和51年)に日本ビクターがVHS方式を発表し、いわゆる「ビデオ戦争」が勃発します。
ベータ方式はソニーの他東芝、三洋が参入、VHS方式には子会社であるビクターが開発したこともあり、松下電器もVHS陣営へ。
最終的にはベータ陣営は、ソニーを規格主幹として東芝・三洋電機・NEC・ゼネラル(現・富士通ゼネラル)・アイワ(現・ソニーマーケティング)・パイオニア(現・オンキヨーテクノロジー)が、VHS陣営は日本ビクターを規格主幹として松下電器を中心にシャープ・三菱電機・日立製作所・船井電機・ニコン・オリンパス・赤井電機などが、それぞれ加わりました。
結果、VHS陣営が勝利し、2002年(平成14年)にソニーがベータから撤退し終局を迎えます。

我が家は最初からVHSでしたなぁ。
そいえば、近所の友人宅に発売すぐのVHSデッキがありましたが、我が家に導入されたのはいつだったか覚えていませんが、VHS機とベータ機の両方が家にあった記憶があります。

松下電器産業は、毎日新聞社との共同で、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)で、原始時代から1970年当時の文化と人類の叡智などを後世に伝えることを目的として、同じ内容の「タイム・カプセル EXPO'70」を松下館に2台設置しました。
このタイムカプセルは、万博終了後の1971年(昭和46年)に大阪城公園本丸跡・地下15mで、埋設管、3層のコンクリート保護体と幾重にも防護された状態で埋設されています。
万博万歳 万博万歳
カプセルのうち、1号機は最下部に5,000年埋設し、西暦6970年に開封する予定だそうです。
2号機はその上に、まず2000年に第1回の開封を行い、収納品点検の後再埋設し、以後100年ごとに6970年まで都合50回にわたってこれを繰り返すとのこと。
本体はニッケル・クロムを基調とした、日本が関発したNTK-22ATの組成をもつ特殊ステンレス鋼製を材料として、坪型の直径1m、50万立方cm、重量1.74t(収納品を入れると2.12t)のカプセルを制作。
この中に、松下電器技術本部に設けられた無菌室で、自然科学分野742点、社会分野686点、芸術分野592点、その他78点の物品を29個のステンレス容器に分けアルゴンを充填し収納しています。
封は蓋の部分と本体を溶接で繋ぎ、完全密封されています。
この中には当時の新聞・雑誌・写真などの印刷物、レコード・カセットテープ、計器類などを収納しており、収納基準として

1.市場で用意できる平均的なもの
2.特殊なもの以外は購入
3.同種のものは市場に最も多く出ている銘柄
4.同じものを4つ収集

としたそうです。

予定通り、2000年(平成12年)3月に2号機が引き上げられ、点検のため開封されたそうです。
2098点の収納物のうち173点が点検され、その結果としては、細菌の一部は死滅していたが、炊飯器やテレビなどが正常に作動したほか、植物の種子が実験で発芽するなど、ほとんどのものが封入時の性能・状態を維持していたそうです。
次回の開封・点検は2100年だそうですよ。

この2個のタイムカプセルは、松下電器産業と毎日新聞社の共催ということでしたが、管理は現在の文部科学省となっています。実際に眠る大阪市も含め、管理についての四者による覚書が交わされているそうです。

波乱の人生を送られた、「経営の神様」松下幸之助は、1989年(平成元年)4月27日に94歳でお亡くなりになりました。
Panasonicホールディングスを一代で築き上げた、稀代の人物でしたね。
無粋な話ですが、遺産総額は2,450億円。これは今でも日本で史上最高の遺産総額とされているようです。
著書「道をひらく」の一節
人はいつも死に直面している
閉館時間が迫っています。
一応、一通り見学できました。

受付のショップには、ナショナル坊やの人形がありました。
昭和30年代に松下電器産業時代の広告や店頭の販促用として誕生した企業マスコットです。
グラフィックデザイナーの岩永泉氏によって考案されたそうです。
懐かしい
では帰りますか。
てくてく歩いて駅へ。
いろいろ工事中 Panasonic村だな 関連会社一覧
同級生や知り合いもここで何人か働いているはずなんですけどね(笑)

駅前ではPanasonic労組の方々が賃上げ関連のビラ配りとかしていました。

-17:00-
京阪・西三荘駅から電車に乗ります。
西三荘駅 区間急行に乗ります
行は、西三荘駅に停まる電車が淀屋橋駅から直通ではなかったのですが、帰りは通勤時間帯の関係か、区間急行に乗れて、乗り換えなしで行けました。

-17:20-
京阪・淀屋橋駅で降り、OsakaMetro御堂筋線・淀屋橋駅から地下鉄に。

-17:30-
OsakaMetro御堂筋線・梅田駅で降ります。

てくてく歩いて阪急へ。

途中、「A-1ベーカリー」でパンをいろいろ買っていきました。

-17:40-
阪急・大阪梅田駅から乗ります。

阪急・大阪梅田駅は今年からリニューアル工事が始まっていて、神戸線がまず停車位置が約14m十三駅側に既に移動しています。
その部分を囲っています 駅設備の充実などを見据えコンコースを広くするらしい
阪急・西宮北口駅で乗り換えます。

-17:55-
疲れたし、帰宅して夕食つくるのがしんどいので、今日は駅構内の551蓬莱で買って帰ることにしました。
551蓬莱があるときー
今日はBセットにしましたよ。
豚まん4個、焼売6個、えび焼売12戸、焼き餃子10個というセットです。
あと、中華ちまきとラーメンも買っておくか。

そして、宝塚行に乗ります。
宝塚ホテル100周年マーク
-18:15-
阪急・小林駅で降りててくてく帰りました。

夕食にするかと準備すると、あれ?タレとか一切ない・・・。
研修中の店員さんで、いろいろテンパっていたので入れ忘れたか・・・。がんばれー。
夕食
サグラダ・ファミリアのイエスの塔が完成し、6月10日にローマ教皇レオ14世が記念ミサを行うそうです。
今年の6月10日は、ガウディ没後ちょうど100年だそうです。
栄光のファサードが完成する頃には海外旅行ができる元気があるか、世界情勢がどうなっているかわかりませんが、やっぱりガウディ建築はこの目で見ておきたいなぁ。

いつかスペインに行けるといいなぁ。

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