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 宮城(親父と行く第二の故郷への里帰り) (2017/04/21〜24)

第1日(4/21)  第2日(4/22)  第3日(4/23)  第4日(4/24)

昨日は1日金華山で疲れたのですが、夜は楽しく呑んでリフレッシュ。
さて、今日は内陸側を巡って仙台です。

4月23日(第3日)

-07:00-
目覚めます。
カーテンを開けると今日もいい天気。
まぶしい
-07:30-
朝食行きますか。
今日はホテルバイキングです。
洋モノメニュー少ないな フルーツも食べておく
食べ終わったら「終わったよ」カードを出して退席です。
裏面は「食事中」です
-08:10-
予定よりちょっと早いですがチェックアウトします。

市道から県道33号へ。
昔よく乗ったミヤコーバス石巻営業所
旧北上川を渡り、R398へ。

-08:30-
三陸道・石巻女川ICから無料高速へ。
日赤病院そばのインター 乗りますよ
4車線化してきれいになりましたねー。
走り良い
しかし、しばらく走るとまた片側1車線に。
うー
-08:40-
三陸道・桃生津山ICで降ります。
桃生津山ー
県道61号から北上川を渡ります。
柳津大橋です
一瞬R342を走り、R46を南三陸へ。
過去ここまで津波が来たそうです
桜がまだきれいに咲いていますね。
満開だー
BRTの駅がありました。
BRTとはBus Rapid Transit。日本では「バス高速輸送システム」とも呼ばれますね。
今回の場合、津波被害を受けた鉄道に代わり、その路線敷をバス専用路として利用するものです。
信号なしで通行できますが、バスを通すために線路や枕木を撤去しています。
将来、鉄道を復旧するつもりはないのでしょうかね・・・。
陸前戸倉駅のところ
南三陸町内は土地造成途上ですね。
R398の橋かな
海沿いを走ります。
きれいな海
志津川地区に入り、R398へ。
≪クリックで動画再生≫
"サブリナ"家入レオ
海沿いになると景色が一変
まだまだだなぁ 志津川高校かな
あっちこっちで土地造成中です。
女川は海沿いの平地が狭かったので、造成も周辺に比べて時間がかからなかったのかもしれませんね。
南三陸は平野部が広いです。
造成の山だらけ 防災庁舎が埋まりそう
-09:05-
3月3日に本設開業を開始した、「南三陸さんさん商店街」にやってきました。
南三陸町のグランドデザインも担当した建築家・隈健吾氏の設計です。

仮設の時より店舗数が減ったのかなぁ。
自力再建をする方もおられるんでしょうね。
ミニストップがある まだ時間早すぎだね 開いていない
賑わい戻るかな 木質系の店舗
以前、仮設の時に行った「志のや」さんを探しましたがないですね・・・。自力再建されるようです。

防災庁舎は震災遺構として30年間宮城県が管理するようです。
危険な箇所は手を入れられていますね。
土盛りで下の方見えないな
パノラマしてみよう
がんばっぺ 南三陸
トイレ行っとこ。
寒冷地仕様のヒーター付トイレ
写真館では在りし日の南三陸の写真展をしていました。
きれいな景色 戻ってほしいね
時間の余裕がかなりあるので、ちょっと海沿いに行ってみましょう。
≪クリックで動画再生≫
" NO RAIN NO RAINBOW"HOME MADE 家族
漁港のほうを走ってみる
志津川湾 戻ります
南三陸もこれからどんどん進んで行きますかね。

R398を内陸側へと走ります。
さんさん商店街の仮設はもうない
-09:35-
3月20日に延伸した、三陸道・志津川ICから無料高速に乗ります。
すげぇ色選んだな 志津川ー
トンネルもまだまだきれいです
出来たてトンネル
-09:40-
三陸道・三滝堂ICで一旦降ります。
無料だから乗り降り自由
インター降りてすぐの、道の駅「三滝堂」に寄ります。
4月1日にオープンしたばっかり 津波被害の展示
この道の駅にはファミリーマートが設置されていて、24時間型の道の駅になっています。
無料区間で乗り降り自由ということもあり、高速道路のPA的な存在にもなりますね。

スタンプ押してから、ファミマも覗いてみました。
ミネラルウォーター買いました
Go!Hatto登米無双」って映画?のポスターがありました。
なんだろうと調べたら、登米市のPR動画らしい。
なんかすごいぞ 「はっと」を「御法度」にすることに対抗するおばあさんの動画らしい
ストーリーは・・・。

登米市の穏やかな昼下か?り。
親子て?楽しそうに小麦粉を練って“はっと”作りをしているところに突如現れたサングラスをした怪しげな男たち。
同時に登米市のいたるところにも現れ、「御法度」と書かれた札を“はっと”に貼り市民から“はっと”を取り上げていく。

「御法度」にされ、泣き崩れる親子の前に、畑仕事から戻ってきた“はっと”作り名人の祖母、トメ。

異変を察し、思い立ったように神社に行き、長年封印されている古びた木の箱を開ける。
そこには、トメか?先祖から受け継いだ津山杉から削り出したとされる木棒が。

“はっと”と登米市の危機を前に、
先祖から受け継いだ一子相伝の秘技、TOME MUSOU(登米無双)が今、蘇る!

ってことらしいです(笑)
ちなみに、登米の郷土料理「はっと」は実在する料理です。

ちなみにこの動画の主人公は、金子早苗さんという女優さん。タレント名鑑を見ると、特技は「殺陣 日舞 長唄 三味線」となっていました。
・・・。スタントで殺陣していたのじゃなかったのだ!
登米市、よくここまでやったなぁ。

-09:55-
では、登米市街に向かいますか。
再び三陸道・三滝堂ICから無料高速へ。
三滝堂ー
交通量調査していた
ちょっと雲が出て来ましたね。
雨降るかな
-10:00-
三陸道・登米ICで降ります。
登米ー
市道を走って行きます。
10時半くらいに「東海亭」に着くつもりで走っていましたが、半時間は余裕がありそう。
あ、そうだ。以前から行ってみたかった登米教育資料館に行ってみよう。

県道36号に入り、とよま観光物産の駐車場に停めさせてもらいます。

なんか、今日はお祭りですかねー。
みちのく発動機愛好会らしい
-10:05-
登米教育資料館」にやってきました。
ちなみに、このの住所は登米市登米町。「とめしとよまいちょう」と読みます。
市は「とめ」なのに、町名は「とよまい」なんですね。同じ「登米」なのに。

登米教育会館は1888年(明治21年)に建てられ、1973年(昭和48年)まで実際に使われていた旧登米高等尋常小学校の校舎です。

門のところには渡辺政人氏顕彰碑ってのがありました。渡辺政人氏は登米出身の実業家らしい。
レンガ造りの門から眺めます。
ほほう 門は趣きあるね
いい感じの洋風建築です。
西洋建築ではなく、日本人の手による洋風日本建築です。
おーステキ いいねー
二宮さんがいましたよ。
嵐のニノさんではなく二宮金次郎
先ほど洋風建築と言った由来が書いてありますね。
洋風の中に部分的によく和風の技法を取り入れた和洋折衷とあります
下足室で靴脱いで上がります。
ちょっと怖い感じのハイカラさんがご案内
事務室がそのまま受付になっていて、ガラガラっと戸を開けて、中でお支払いします。
まだストーブたかれていましたよ。

では順に見ていきましょう。
洋風建築に和な庭木
校舎のガラスは、建設当時に輸入されたもので、歪んだ上に気泡や線が入っていました。
2011年(平成23年)の東日本大震災では、多くのガラスが壊れたため、ドイツから「歪んだガラス」を再度輸入したそうですよ。
解説 ガラス
1950年(昭和25年)のジェーン台風では、登米もかなり浸かったようです。
わぁ敷地内で船漕いでるよ
長い廊下がいい感じですね。
開放廊下
2階に上がります。
2階も見れる
傘立ては、雨の日に展開するもののようでした。
傘立て
裁縫室兼講堂がありますね。
裁縫科があったらしい 畳の講堂にミシン
なんかすごい書がありますね。
「孝」「忠」 戦前の人間の徳目ですな PTAの歌ってあるんだ
全国的らしい
裏は現在の登米小学校です。
耐震補強しているなぁ
再現教室がありました。
解説 子供たち 何の時間かな
理科か? ノートではなく石盤
バルコニーがありますね。
ステキ
校長室はバルコニー前にあります。
解説 校長先生・・・。顔色悪い・・・ 歴代職員一覧だって
バルコニーは亜鉛鉄板敷です。
解説 風雪による腐食対策らしい
廊下は木なのにね
建築に関する部屋がありました。
この建物は、宮城県建築技師の山添喜三郎氏の設計・監理によるものでしたが、山添氏の工事に対する厳しさのエピソードがいろいろあったようです。
解説
敷居水抜き穴ってのがありました。
敷居の溝に雨水が溜まった時の水抜き穴がありました。腐食防止策ですね。
ほほう 解説
建築的な特徴tかもいろいろ。
基礎・玄関・廊下の話 教室とか屋根の話 山添喜三郎氏の話
山添氏45歳の頃の作品だな
学校の銘板がたくさん並んでいました。
歴史だね
現在はミヤコ―バスになっていますが、統合前は宮交登米バスというのが走っていました。
また、仙北鉄道登米線という軽便鉄道もありました。
その資料を置く部屋もありましたよ。
これは鉄道の窓口かな 大正時代にはポーター号ってSLが走っていたらしい
登米には、太平洋戦争末期に、東京都杉並区の桃井第3・第4国民学校の児童・教師両校あわせて600名ほどが集団疎開してきていたそうです。
学童疎開の話
終戦になって、子供たちは東京に帰っていきましたが、その頃東京は焼け野原。
自分の家の場所も、家がどうなったかもわかりません。
東京駅で解散して、それ以後、それっきりで会えなくなった人もいるそうです。

サザエさんでスペシャルの話で登米出たそうですよ。
あ この建物だ
ということで1階へ。
トイレも昔のままかなぁと覗いてみましたが、こちらは現代風に改修していました。
ベランダを下から
時の鐘は半鐘を鳴らしていたそうです。
鳴らしていいそうなので鳴らしてみた
教科書展示がありますね。見てみよう。
明治の教科書
尋常小学校だな
大正から昭和初期の教科書 サイタサイタサクラガサイタ
戦時下の教科書 戦後の教科書
あたらしい憲法のはなし
いろいろ
ということで、一通り見終りました。
さっき写っていたジェーン台風での浸水高さが記録されていた
駐車場に戻ると、長蛇の列になっていました。
うわー。すごいことに。
早く来てよかったですなぁ。

-10:40-
すぐの「東海亭」にやってきました。
まだ少し時間はありますね。
駐車場 第2・第3駐車場もあります 東海亭
今回、予約はしているので早くに来る必要はなかったかもしれませんが、駐車場に停められないと困るので早目に来たのです。

来た人から紙に名前を書くのですが、カタカナで書いてって書いているのにみんな漢字だし(笑)
予約しているので、書かずに待ちます。
いい匂いがしてきた
-11:00-
開店です。
予約していたらすぐ呼ばれるのかなと思ったら、何組か名前書いている人の後に呼ばれました。
どういうシステムで呼ぶ順番決めているのかなぁ。
名前呼ばれて案内される間に、「ご予約ありがとうございます」と言っていただきました。

うな重とうなぎ骨から揚げを頼みます。
親父は二段、私は三段。ごはん大盛無料なので、三段は大盛に。
さぁどうなるか(笑)
メニュー
うなぎは出来上がりまでかなり時間がかかるので、骨から揚げも頼んで時間調整というわけです。

予約していたからか、席は景色の見えるいいお席でした。
堤防のお花がきれいですねー 水仙かな
堤防の向こうは北上川です。

昔の登米の写真がありました。
登米から石巻の定期航路があったのだ 登米は北上川の恩恵を受けて栄えたのだね 来神橋という船を並べて橋を架ける「船橋」をつくったらしい
いつも気になる、「登録商標 冨士屋の山椒粉」がありましたよ。
いまだにどこでつくった山椒粉か不明
そうそう。登米市のレンタカーキャンペーンでスタンプもらうの忘れないようにしないと。
と台紙を改めて見てみると、あ、これ昨年度の台紙だよ・・・。
大丈夫かなぁ。
まぁニッポンレンタカーがこれしかないと言ったのだから・・・
しばらくすると、うなぎ骨から揚げがやってきました。
結構スパイシーでした
約半時間待って、ようやくうな重登場です。
親父の二段は蓋されて出てきましたが、私の三段ご飯大盛は蓋ができません(笑)
すごいボリューム 食べきれるだろうか・・・
いやー、しかしここの鰻は相変わらずおいしいです。
外はカリッと、中はふわふわなのは、低温でじっくり焼き上げている証拠ですね。

ということで、おいしくいただきましたー。完食!!

支払いの時に「お願いしますー」とキャッシュバックの台紙を出すと、「全部押しですね」と端と端を押して、間はボールペンで線書きでした(笑)
ニッポンレンタカーがこれでキャッシュバックしてくれることを願おう。

外に出ると、さらに人いっぱい。
駐車場もいっぱい。
では次行きましょう。
満車
県道36号からR398を走ります。
青空見えてきた
なんとか雨にあわずに走れそうですね。
いい感じだぞー
県道185符号で迫川を渡ります。

旧くりはら田園鉄道の若柳駅にやってきました。
ここにはくりはら田園鉄道時代の車両が保管されているということで見に来たのです。
旅客・貨物輸送を行った単線ローカル線で、「くりでん」の愛称で親しまれていましたが2007年(平成19年)に廃線となりました。
その歴史を後世に伝える活動として、旧若柳駅では「くりでんイベント」が開催されていて、「くりでん乗車会」や「レールバイク」などを定期的に開催しているようですね。

-12:35-
駅の隣に農産物直売所がありますね。そこに停めます。

おー列車ありますねー。
近くから見れるのかなぁ。

案内板がありますね。
ふむふむ 左拡大 右拡大
どうやら、こちら側からは近寄れない模様です。
KD951 DB101 ワフ74とト102・103とか
KD11とM153 M153はキハ15とも呼ばれていたみたい TMC
駅舎のほうからは行けるかな。

てくてく歩いて駅舎へ。
ここは始発駅
若柳駅駅舎にやってきました。
中に入ろうとすると・・・。あれ?鍵かかっている。
どうやら開く日が決まっているようですね・・・。
うーん残念・・・。
若柳駅舎 レールバイクとか楽しそう レトロな雰囲気
駅の解説がありますね。
ふむふむ
記念碑もありましたよ。
最近建てられた碑だ 裏は年表
結局、外からしか見れないんですかね。
残念。
ED203 KD11とKD951
ED203は電化していた頃の車両 M153とか
では戻りますか。
若柳駅でした
ふと道向かい側の建物を見ると、「くりでんミュージアム」ってのがありますね。
リサーチ不足でしたが、この4月1日にできた施設のようです。
せっかくだから、行ってみよう。
ほほう 出来たてなんだね
入管券は硬券で、入口でパンチしてくれました。
ちょっとうれしい 壁には駅名看板が並ぶ
古い車庫を改装したのでしょうかね。
こぢんまりしていますが、なかなかいいです。
いろいろ置いている
KD10列車には運転シュミレーターがあり、有料で体験できるようです。
KD10です 解説
若柳駅車両係員詰所が移築されています。
当時の感じを出している 解説 安全は全てにおいて優先されますね
外からKD95が眺められました。
ん?中からも見れるのか?
外側を歩いて行くと、古い貨物車両の再利用状態が保存されていました。
台車から外して上だけ 倉庫として使っていたらしい
中を見切っていなかったようなので、再び中へ。
既存文化財建造物群らしい 高圧電線の交換機?大丈夫か?
屋根とかはそれなりに補修されています。
ちょっと高みから見れるような螺旋階段があったので上がってみました。
天井というか屋根 上から見てみた
さきほど外から見たKD95がありました。
KD95 解説
その前にはミニシアターがありましたが、上映されませんねぇ。
まぁいいか。

資料館に入ります。
「くりでん」は、栗原軌道として1921年(大正10年)に軽便鉄道(軌間762mm)として始まりましたが1941年(昭和16年)に栗原鉄道に社名変更し、細倉鉱山駅までの延伸を果たしたことにより、細倉鉱山から産出される鉱石が主要な貨物となりました。

戦後、1950年(昭和25年)に軌間762mmのまま電気鉄道へ変更し、栗原電鉄となりましたが、軌間762mmのままでは、軌間1067mmの国鉄線への貨車乗り入れがいつまでたっても行えず、貨物(鉱石)の積替えが必要であったため、1955年(昭和30年)に1067mmへの改軌をしました。これにより、石越に設けられた中継ヤードを介して、国鉄貨車の入線が可能となったのです。

その後、経営組織の統廃合を経た後、1986年(昭和61年)の円高のあおりで翌年細倉鉱山自体が閉山して貨物輸送が廃止され、さらに閉山に伴って過疎化が加速したことで、経営が急速に悪化しました。

1995年(平成7年)には、施設老朽化に伴う電化の廃止により、社名をくりはら田園鉄道に改称しついにはバス転換する方針となり2007年(平成19年)4月1日付でくりはら田園鉄道が廃止となりました。
年表 移動文庫ってあったのだ 詳細年表
ジオラマがありますね。
鉄道模型が走っていました。
細倉鉱山のあたり
硬券がいっぱいあります。
硬券は、乗車駅と降車駅の両方を記載しておく必要があったので大変ですね。
自動券売機が普及した現代ではほとんど見られることはなくなりました。
硬券ホルダー ダッチングマシン パンチいろいろ
タブレットもありますね。
まぁ、事故防止システムですね。
詳しくはググってください(笑)
タブレット(通票)閉塞機 仕組み
いやー、予定にはなかったですが、楽しかった。

では次行きますか。

県道4号をずんずん走ります。
開放的でいいねー 遠くの山は栗駒山かな
東北道をくぐります。
若柳金城ICのとこだな
R4を一瞬走って、県道161号からR427へ。

そして、県道180号に入ります。
近代化産業遺産の看板傷んでるなぁ
-13:35-
近代化産業遺産認定に認定されている細倉金属鉱業にやってきました。
遺産といっても、現在も稼動している会社内にある建物なので、中に入っては見れません。
ここで認定されているもので外から見れるのは、総合事務所と貨物駅プラットフォーム跡くらいかな。

正門まで行ってUターンしました。
貨物駅プラットフォームかな 鉱山跡
総合事務所を門から見る プラットフォーム跡だな
-13:40-
県道160号に入り、すぐそばの「細倉マインパーク」にやってきました。
ここは、旧・細倉鉱山が閉山後に廃坑道を利用したテーマパークとなっています。
そういえば、明延鉱山の案内をしてくれた方が、「ここはよかった」というので見てみたかったのですよね。

昨年夏まではリニューアルのため一旦閉めていたようですが、今では再開しています。
Bスポ的な怪しい展示もあったようですが、今はどんなかなー。
坑道内トロッコ
ガソリン駆動なんだ
まずは無料の鉱山資料館へ。
左のほうですな
館内をみていきます。

細倉鉱山は、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱を主に産出した鉱山で、最盛期は岐阜県の神岡鉱山に次ぐ規模の日本を代表する鉛、亜鉛の鉱山であったそうです。
先に書いたように、1987年(昭和62年)2月、まだ採掘可能な鉱石を残しながら閉山に追い込まれたということ。

この鉱山資料館は閉山前の1981年(昭和56年)に開設されたそうですが、元々近くにあった資料館をここに移設させたようですね。
航空写真 昔の作業風景
亜鉛の延べ棒 年表
続いて有料エリアの廃坑へ。
チケットを買って進みます。

この「細倉マインパーク」は、細倉鉱山跡を利用したテーマパークです。1990年(平成2年)にオープンしました。
当初は細倉鉱山の歴史と宇宙の神秘をテーマとしていた。当時のテーマソングは『ホソキュリアン音頭』という摩訶不思議なスポットだったようです。

しかし昨年7月にリニューアルして坑道の後半部分から続いたタイムトラベルゾーンが全て撤去され一部が細倉鉱山としての歴史を学べる展示や写真に変わったそうです。

では行ってみましょう。
坑道入口 トンネルを進む
キャラクターのマイン坊やがいました
夕張炭鉱のマスコット「ゆうちゃん」と若干かぶる気がする ≪参考≫
夕張炭鉱のマスコット「ゆうちゃん」
気温は11℃
坑道は777mの長さがあるそうです。
中に入っていくと、まず水タンクがありました。
鉱石掘るのに大量の水が必要だから
木製の支保工下を通ります。
荷担枠
案内はリニューアル時につくりなおしたのか、きれいですね。
年表 地図
たぬき掘跡がありました。
江戸時代に掘った跡ですよ。
4〜500年前だから江戸時代前から江戸初期ですね これかぁ
火薬庫跡があります。
ダイナマイト保管庫 火薬類携帯の注意
バッテリーで走るトロッコがありました。
ピント合ってなかった・・・
坑内事務所が再現されていました。
作業確認中 顔色悪いですよ・・・ 行く場所の指示を受けています
発破作業のブースがありました。
火薬を仕込むところ 解説 発破スイッチ押すと音と光で発破体験
さく岩作業のところがありますね。
作業中 1t鉱車 手積みなんだ
奥へと進みます。
直線
途中に鉱石が飾られていました。
方解石 方鉛石 閃亜鉛鉱
蛍石ってブラックライトで光る石がありました。
紫外線を浴びると光るのはなぜだろう ほほー 解説
シュリンケージ採掘跡にきました。
鉄骨で支えているよ 下みてみた
すごいねー 工法の説明
坑内エレベーターがありました。
ここは感天立坑 ここから300m下がれるんだ
あべのハルカスくらいだ
鉱山の立体模型がありますよ
ずんずん先に進みます。
神秘的 上層をここから落として積んでたのかな
坑道内休憩所跡に出ました。
広い空間
鉱山神社の山神社もあります。
作業の無事を祈る
古酒蔵ってありましたよ。
いろいろあるなぁ 自分で持ってくる酒を寝かすんだ
まだ奥もありますが、この先は行けません。
通洞抗と言うらしい 在りし日の様子
砂金掘り体験のところもあって、おじさんが番人していましたけど、ずっと地下に居るの嫌だろうなぁ。

坑夫の一日ってことで再現していました。
大空600Aローダーで鉱車に積む
シャワー室がありましたよ。
なんかすごいな
削岩体験コーナーがありましたが・・・。
機械は動きません
ポーズだけ
手作りランタンがたくさん灯っていました。
きれいだね
鍾乳石ができているようです。
矢印のところ
鉄分が強いので赤い
ということで地上に戻ってきました。
結構楽しかった
リニューアルしてがんばっているというところでしょうかね。
今更ながらマップ 30分で見てしまった
Bスポ的なものは無くなっていましたが、今の展示のほうが私好みでよかったです。

さて、予定より押してきましたねー。
次行きましょう。

R427から市道を走り、県道178号へ。
県道17号から県道59号と走り、県道167号から県道1号へ。
さらに県道19号をひたすら走り、県道242号へ。

-15:05-
大崎市の「松山ふるさと伝承館」にやってきました。
隣の「松山酒ミュージアム」との共通入館券がありますね。
これで見学しましょう。
ふるさと伝承館です フランク永井? C58型の動輪
まずは、ふるさと伝承館から。
ここは大崎市に合併前の松山町出身であった、歌手・フランク永井の展示室がありますが、それよりもなぜここに寄ったかというと、近代化産業遺産の人車があるからなのです。
解説読めない・・・ これです人車
フランク永井展示室は撮影禁止です。
フランク永井といえば、ナツメロで「有楽町で逢いましょう」とか歌っていたのをみた記憶があります。
世代的に、リアルで聞いたのは「おまえに」とかですかね。
1980年までは紅白に連続27回出場されていました。

てことで、ささっと見終わり、隣の「松山酒ミュージアム」へ。
こちらは日本酒の一ノ蔵が運営しています。

そして、こちらにも人車があります。
人車は文字通り、お客さんを乗せた客車を、人力で押していくというものです。
酒ミュージアム 人車だ かわいいね
では中へ。
杉玉ー
ここでは酒造りの映像がちょうど流れていたので見入ってしまいましたよ。
杜氏集団としては越後が一番多いんだ
平成5年だけど
利酒のお話とか。
解説 手順もあるんだ 用語もいろいろ
貧乏徳利がありました。
1升サイズと2升サイズ 見栄ででかい徳利使った説も
陶器製の樽もありますね。
へー
一の蔵では、日展出品作品をラベルにしているものもあるらしい。
原画も展示していました へー
見学後は、向かいの「華の蔵」をちょっと物色。
なんとなく買い集めている酒蔵の前掛けがあったので、思わず買ってしまいました(笑)
あと、お猪口と。
一の蔵はおいしい酒です ふるさと伝承館
さー、今日はあと仙台に向かうだけです。

県道242号から県道16号、県道146号と走り、県道9号へ。

-15:45-
三陸道・松島大郷ICから高速に乗ります。
松島ー
-15:50-
利府JCTで仙台東部道に入ります。
空いていてよかった
-16:00-
仙台東部道・仙台東ICで高速を降ります。
仙台東部ー
県道23号から県道137号と走り、仙台駅方面へ。
このあたり7車線とか
あー。「萩の月」買って帰らないとなぁ。
看板見て思い出した
コボスタ宮城の横を通過します。
楽天のホームグランド
5月14日は仙台ハーフマラソンで通行規制ありますよ。
会社の部下が出場するらしい
新寺通に入り、本日の宿近くまで来ますが、中央分離帯を挟んで進行方向逆にあるので、ちょっと先の街区をぐるりとまわって戻ります。

本日のお宿、「東横INN仙台駅西口中央」にやってきました。
常宿だな
おつかれさまですー。
さて、夕食まで時間があるので、チェックインしてすぐ、ちょっと仙台駅に行ってみましょうか。

てくてく歩いて仙台駅へ。
仙台駅
萩の月買っておこう。

そうそう、ずんだシェイク飲みますか。
ずんだ茶寮」のずんだシェイクをイートインスペースでいただきました。
おいしー
仙台の、さくらの百貨店は、今年の2月27日に破産して閉店しちゃいましたね。
石巻行きバスを待つのに、よくトイレ借りました(笑)
寂しいなぁ
ということで、一旦宿に戻りました。
画像バックアップとったり、充電用意したり。

-18:20-
では、ラストナイト行きますか。

てくてく歩いていきますよ。
「伊達の牛たの」本店
-18:25-
利久・北目町店」にやってきました。
お気に入り
まずはビール♪
18:27
くああー
牛タン食べる前に、牛タン以外をちょいと。
利久サラダハーフ 定義山の三角揚げ 青葉餃子
ビール2杯目いきます。
18:35 早い・・・
食べ物も続きます。
タラの目天ぷら
ハイボールにシフトしよう。
18:49 竹鶴ハイボール
とりあえずオーダーの食べ物はこれくらいかな。
梅きゅうり
そしてハイボール。
19:00 2杯目
牛タンオーダーしますか。
牛たの"極"焼1人前と、牛たの焼を8枚で。
左が極
そして酒も進みます。
仙台発祥のレゲエパンチもいっちゃいますよ。
レゲエパンチはピーチリキュールをウーロン茶で割ったカクテルです。
19:12 ハイボール3杯目 19:24 レゲエパンチ 19:37 レゲエパンチ2杯目
最後は親父リクエストで牛たの寿司。
おいしゅうございました
ということでラストナイト終了。
てくてく歩いて宿へ。

自販機で水買っておこう。

-20:05-
部屋に戻り、さっさと風呂入りました。
窓の外は線路の高架 水分とっておこう
そして、さっさと寝ましたよ。

本日の走行距離 212km
通算の走行距離 373km

今日は行ったことのない所も結構行けて楽しい一日でした。
明日は一日仙台うろうろして夕方帰路につきます。
4/23走行マップ

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