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 兵庫(まちの宝を再発見) (2026/01/31)

1月7日
昨年10月に「村野藤吾建築の魅力とガイドツアー」(こちら)に参加した際に名刺交換をさせていただいた、ひょうごヘリテージの中川さんからメールをいただき、その際にも少しお話を伺っていたのですが、村野藤吾関連のイベントの開催があるとのこと。
村野藤吾設計の、宝塚ゴルフ倶楽部のクラブハウスが国の登録有形文化財に登録されたのを受けての企画だそうで、関西大学の橋寺先生も講演されるとか。
これは行かないとね。

   これです

1月8日
申し込み開始日です。
先着順だったようですが、無事申し込み出来ました。

1月は、misenさんの入院とかあって結構ドタバタです。

1月31日
というわけで当日です。

13時半から受付開始ですね。
会場の宝塚市中央公民館は歩いて半時間弱なので、のんびり行きますか。

-12:40-
では行きますか。
てくてく歩いていきます。

いやぁ。それにしても寒い。
山は雪かなぁ
ちらちらたまに雪が降りますね。

用水路沿いに歩いていくと、ふと見ると鮒かなぁ。たくさんいました。
結構でかい
-13:00-
宝塚市役所にやってきました。
寒いので一生懸命歩いていたら結構早かった。
宝塚市役所
村野藤吾設計
市庁舎1階の食堂、「宝塚料理店」は土曜日もやっていますね。
店内の壁タイルは、昨年10月に聞いたときは、村野藤吾がセレクションしたオリジナルタイルということでした。
ということで行ってみます。
入口 宝塚料理店
日替わりは土曜日もやっているのですね。
今日は、豚ロースのカツレツですか。

どういうシステムで注文かなぁと思ったら、出入口が2箇所あって、注文はもう一方の出入口のほうでした。

特製カツカレーランチにホットコーヒーをプラスしよう。
これで1,050円安いね。
食券購入してカウンターへ。
おおー
帝国ホテルの故・村上信夫シェフのレシピを元に、4時間リーを炒めた欧風カレーです。
お、結構辛さが効いていますねー。

食後のコーヒーを取りに行きます。
カウンター上のブルーのタイル
ゆったりコーヒーをいただきます。
いいねー
廻りにばかり目が向いていましたが、すぐそばの柱もタイルでした(笑)
おー 目地が太いね いいねー
名建築で飲むコーヒー、最高でした。
わーい
では、そろそろ中央公民館に向かいますか。
武庫川沿いに出ます。
左に宝塚市役所 右に武庫川
-13:30-
宝塚市中央公民館にやってきました。
昔はここになかったけどね
場所は、1階のホールです。
これね
もう受付が始まっていたので、受付を済ませ席を確保します。
本日の資料とか
-14:00-
市役所の方の説明があった後に、第1部の中川ちあきさんの講演です。
「宝塚ゴルフ倶楽部クラブハウス」国登録有形文化財決定を受けてということです。
第1部開始前
宝塚ゴルフ倶楽部は、昨年11月に国の有形文化財に登録されました。

文化財って結構分類が複雑です。

   文化庁HPより

「指定登録文化財」なんて言われて、指定と登録の違いもあったり。

文化財保護法に基づき、歴史的・芸術的に価値の高い文化財のうち、特に重要なものを国や地方公共団体が「指定」し、それ以外の身近な文化財で保存活用が特に必要なものを「登録」する制度の総称となっています。
つまり、「指定」は国からの一本釣り、「登録」は個人や企業などが手を挙げて国が認める。といった違いのようです。
指定文化財は、いわゆる国宝になりますかね。

登録の基準となる条件は、まずは建設後50年を経過したものであること。加えて
1.国土の歴史的景観に寄与しているもの。
 →地域に親しまれている建物。
2.造形の規範となっているもの。
 →時代の特色をよく表している建物。
3.再現することが容易でないもの。
 →材料や技法など再び造ることができないもの
のうちのどれか一つでも当てはまれば評価の対象となります。

ちなみに、文化財データベースがあり、ここで登録となった際の条件がわかるそうです。

登録有形文化財は、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災がきっかけだったそうです。
それまでの文化財保護法は指定し、保護することが主であり、阪神・淡路大震災で、指定文化財以外の多くの歴史的な建造物が瞬く間に取り壊され蛸との反省により、1996年(平成8年)に法改正され、新たに創設されたものです。
それにより活用ということもでき、行政だけでなくとも民間の力も生かせるということを狙ったようですね。

中川さんは、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の際には、神戸の建築事務所で働いておられましたが、事務所も被災、出勤も叶わなかったそうです。
事務所は「こういう時だから建築を生かしたボランティア活動などしておけば給料を出すよ」と言ってくれたそうで、宝塚市で応急危険度判定のボランティアをしたそうです。
その際に、震災がなければ観ることのできなかった建築物を見れたことがきっかけで、建築物の保護の意識が芽生えたということでした。

文化財保護法の改正は、阪神・淡路大震災だけがきっかけではないでしょうけど、とにかく建築物の数が多いので、国の指定だけでは追いつかないという面もあるようです。

この登録有形文化財の制度の骨子としては、建物の様々な活用を行いやすいことが特徴となっています。

登録数は、R7.5.1現在ですが、
全国 2,781件 棟数 4,591件
兵庫  213件 棟数  289件
だそうです。
一か所に、門と建物とかもあるのでそういった数になるそうです。

宝塚の登録有形文化財は、山田家住宅以外はすべて斜面地にあるのが特徴だそうです。
宝塚という土地は、六甲山系と長尾山系(北摂山系)の間の、武庫川沿いの武庫平野がある立地なので、平地は主に農耕向きだったのでしょうかねぇ。その後の新興住宅地なんかは利用されていない斜面地となったってことかな。
ちなみに、旧高崎家住宅というのがありますが、これはヴォーリズ建築です。

中川さんからは、市民ひとりひとりが発見していくのが大切、それが登録有形文化財につながるとのことでした。
万葉集は約4,500首の歌が収められていますが、約半数は詠み人知らずと言われています。同じように、登録有形文化財も設計者がわかっているのは半分くらいで、著名な建築家の設計でない建物も多い。だから、皆さんで詠み人知らずの建築を見つけましょうということでした。

少し休憩の後、第2部です。
第2部は、関西大学環境都市工学部准教授の橋寺先生の講演です。
「宝塚の村野藤吾建築 ー村野藤吾とは? 村野藤吾の面白さー」です。
橋寺先生の講演です
村野藤吾作品を紹介しながら、村野藤吾の人となりをお話いただきます。

村野藤吾(1891-1984)は、近代建築を代表する建築家の一人です。
生まれは佐賀県唐津ですが、早稲田大学で学び、大手設計会社に入社する予定だったそうですですが、大阪の渡辺節建築事務所に誘われ入社したそうです。

学生の時は新しいものを取り入れるような傾向があったそうですが、渡辺節建築事務所時代に、洋式建築を、そして建築に費用を惜しまないことが客を呼び、ひいては施主の利益になることを叩き込まれます。
その頃の代表作は、大阪・船場の綿業開館ですが、村野藤吾の名前での設計ではなく、渡辺節建築事務所の一担当者としての仕事と言っていたそうです。

村野藤吾が宝塚と所縁が深いのは、村野藤吾が敬愛した建築家であった、日建設計の創業者の一人、長谷部鋭吉が宝塚市の清荒神に住んでいたので、近くに済むようになったとか。
奈良県橿原市あたりの古民家を移築したものですが、村野藤吾によりかなり改築されていたそうです。
しかし
阪神・淡路大震災を機に解体されもうないそうです。

1929年(昭和4年)に独立します。
1954年(昭和29年)に竣工した、広島世界平和記念聖堂(カトリック幟町教会)は、丹下健三設計の広島平和記念資料館と共に、2006年(平成18年)、戦後の建築物として初の重要文化財に指定されました。

1968年(昭和43年)からは迎賓館本館(旧赤坂離宮)の改修も手がけました。
この際に、赤坂離宮の時は黒塗りだったフェンスを、迎賓館という役目に変ったことから、白に塗り替えたそうです。

村野建築には、図面にも「植栽はちゃんとやりましょう」と書かれるほど、植栽も しっかり考えられていたそうです。

さて、宝塚の村野藤吾建築です。
宝塚には
・村野藤吾自邸(現存せず)
・宝塚ゴルフ倶楽部クラブハウス
・カトリック宝塚協会
・宝塚市庁舎
です。

このうち、今回メインの宝塚ゴルフ倶楽部クラブハウスは、1959年(昭和34年)、宝塚ゴルフクラブハウス建設委員会(村野藤吾・佐野正一・加藤宜彦)による設計です。
村野藤吾以外の2人、佐野正一は安井建築設計、加藤宜彦は三和銀行建築部の方だったそうです。
水平線が強調されたデザインで、1936年、フランク・ロイド・ライト設計のカウフマン邸(落水荘)をリスペクトしたのではとは、村野藤吾研究の第一人者である、京都工芸繊維大学・笠原一人准教授の話だそうです。
宝塚ゴルフ倶楽部のクラブハウスの内部には暖炉があるのですが、フランク・ロイド・ライトもまた暖炉を上手く使ってきたそうです。

カトリック宝塚協会は曲面のデザインです。
寺橋先生は、曲面デザインは村野藤吾晩年のスタイルだと思っていたそうですが、1965年(昭和40年)と90歳を超えてもなお創作意欲は落ちず、93歳で亡くなる前日まで働いていたとの村野藤吾70歳の頃。晩年と言うには早いのかなと思ったそうですが、笠原先生が「村野の晩年の始まり」だと言っていたそうです。

村野藤吾の建築はモダニズムの時代でしたが、村野藤吾自身の作品には、幅広いものでした。豪邸があれば経済的なものがある。モダンなものがあれば装飾的にユニークなものもありました。
村野藤吾は建築設計をすることを「99%関係者の言うことを聞かなければならない、ただそれでもね、1%ぐらい自分が建築に残っていく。村野の作品というのはそこから始まる。」と語っていたそうです。
99%はクライアント、1%が自分が残るところ。かぁ。そう考えると、表現者としては厳しいのでしょうね。

橋寺先生によると、村野建築の面白さは細部(ディテール)と質感(テクスチャや色)のある建築だということだそうです。
「別冊新建築日本現代建築シリーズ9 村野藤吾」というのがあり、これは村野藤吾が亡くなる一か月前に発刊されたのですが、部分にみる村野デザインとしてまとめられたとても興味深いものだそうです。

また、近代建築全般の見方、楽しみ方は、時間や空間の使い方の変化、体験できる建築が多いことが近代建築だということでした。

ということで、以上終了。
アンケートを書いて帰ります。
中川さんと橋寺先生にお声がけしていこうと思いましたが、なんだかいろいろと取り囲まれていらっしゃったので、そのままおいとましましたよ。
あ、同じ「草屋根の会」の田中松壽園さんが来られていたので、少しご挨拶したりしましたが。

-16:00-
では帰りますか。
向かいは宝塚市役所
てくてく歩いて帰ります。
寒いけど、行きよりは少しマシかな。

-16:30-
帰宅しました。

宝塚ゴルフ倶楽部は、かなり格式高いそうで、会員でプレーする場合じゃないと入れないらしいです。
市が主催で見学会してくれないかなぁ。

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